金ちゃんの「こんな青春、過ごしてみたい」

 タイトルではもはや何のことやらわからんと思うが、夏目漱石「坊ちゃん」の新解釈である。(漱石の本名は金之助。)
 夏目漱石でこの一篇だけ、異彩を放っているのだよな。文豪と言われているから他の作品も読んでみるかと思うと、えらい退屈である。「文鳥」なんか、先見えがする上に、特にこれと言った名文もなし。内容は取り巻きがせこいというのと責任は家族にある、とネチネチ言っているだけである。なんで坊ちゃんだけがここまで輝いているのか(まー、団子がどうのとネチネチ言っているところは間違いなく漱石なのだが)、それが分かったような気がしたので書いてみた。


 夏目漱石「坊ちゃん」が赴任先に上陸する場面を読んで、爽快感を覚えない人はおるまい。船より先に上陸し、そこらの生徒を脅して道案内させ、わずか5分で市内に着く。
 注目したのは同じ漱石の「倫敦塔」との著しい対比だ。漱石本人は坊ちゃんと対照的に、きちんと道順を調べて、うじうじと言い訳しながらロンドン塔に近づいてゆく。最初は「倫敦塔」での地味な表現を見て「きっと年を取ってからこんな性格になったのだろう」と考えていたが実際には倫敦塔のほうを先に書いている。あれ?と思うのが普通だろう。

 坊ちゃんが卒業した学校は今でいう東京理科大学、である。漱石自身が英語教師だったために、英語教師という設定は仕方のないところがあるが、なぜ出身校を東京理科大学にしたのであろうか。別に漱石自身が出た東大でいいじゃないの、という気がしないでもない。
 ここで、坊ちゃんの無鉄砲さと漱石の根の暗さ、理系の坊ちゃんと文系の漱石、という2つの対比がそろった。するとこんな想像をするのも難しくはなかろう。漱石は坊ちゃんを自分の理想像として書いたのではないか。つまり漱石は「こんな青春過ごしてみたい!」という憧れを込めて坊ちゃんを書いたのではなかろうか。するとあの一作だけが生き生きと光っているのも分かる。

 そう考えると「坊ちゃん」の配役は青春コミックスそのものだ。主人公とその親友、ヒロインに悪役とその太鼓持ち。これだけですでにドラえもんだ。ただし主人公=ヒーローとなっており読者の主人公への自己同一化が難しい分、読者が自分を投影しやすい役柄を用意している。具体的には「うらなり」だ。この設定は洋の東西を問わず王道みたい。主人公ハリーポッターと親友ロイ、ヒロインのハーマイオニー、敵役マルフォイと取り巻きたち、そして最後に一番いい役をもらうまではひたすら地味なネヴィル。スコットランド発の世界的ベストセラー「ハリーポッター」でさえこの配役を踏襲しているのだ。
 「猫がしゃべる」という荒唐無稽な設定を第一行目で持ち込んだ「吾輩は猫である」はライトノベルとみなしてもよいような書き出しであったが、「坊ちゃん」もまたライトノベルの源流だったのだ。

 確かに坊ちゃんも竹を割った性格のようでいて、何となく器が小さい。妙に生徒に怒るし月給が出てくるところなどあまり青春ドラマらしくない。漱石自身も墓碑銘に月給の額を入れていることから「そういう性格は隠せないのだなあ」という気はしている。ただし待遇は比較的良いというのを出すことは小説の流れ上、そんなにおかしくはない。ためしに小説の中で坊ちゃんの月給40円を今の貨幣価値に換算してみた。港から市内までの運賃が5銭。漱石が松山に赴任していた時期の鉄道運賃がそれだとすると、高浜から松山市までである。これが今の運賃だと410円。税引380円。つまり月給は30万4000円。今の若い教員の給与と比較すれば高いような気はするが、当時は今ほど高等教育も普及しておらず、ひょっとして遠隔地手当もあったのだろう、こんな金額で妥当かな、という気はする。すると道後温泉の座敷に行ったり、団子を多めに食べてもそんなに贅沢とも感じなかったのも納得がいく。
 しかし漱石が坊ちゃんを「東京理科大」出身としたことを考え合わせると、単純に「数字も使えます」ということを表現したくて月給の額などを入れたのかもしれないな、と思わせるところもある。自分が英語が得意だったので、当時の夢であったろう留学をかなえるためには英語の道を進むしかなかったのだろうが、例えば少し早くプロイセンに留学した森鴎外にちょっとだけ憧れていたのかもしれない。森鴎外が不要部分をそぎ落としつつも、とてもドイツ語に訳しやすそうな文章を書くのに比べて、漱石はやはり日本人だ。英語に訳すのは一苦労と思える。間違いなく最高の日本語を書く人ではあるが、鴎外の文体に本人ちょっとコンプレックスを持っていたのかもしれない。

 今回、漱石を調べて驚いたのは、その文筆活動の短さだ。「吾輩は猫である」と「倫敦塔」が1905年。絶筆となった「明暗」が1916年。わずか12年間の活動である。健康問題もあったのだろう、晩年は小説の書ける状態ではなかったようだ。だから本人も「坊ちゃん」を読み返すたび「こんな青春が過ごしたかった」という思いはより痛切なものになってきたかもしれない。それを考えると一部で悪く言われている高浜虚子が本文に手を入れたのも漱石本人にはプラスに働いたことだろう。虚子が完璧に修正した伊予弁が若かりし頃の漱石の思い出を本人が書いたもの以上に喚起したにちがいない。「そうそう、あいつらこんな言い方してたんだ。全く憎ったらしい奴らだったなあ」と。それを思って、この作品を読むと私自身、涙をこらえるのが大変なのだ。

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