頭のいい人だけが出るクイズ番組

 最近のクイズ番組は
「到底視聴者に解答が出せないような」
ものが多数ある。そんなもん見てもつまらんだろう、と思う。視聴者がクイズの回答を考えることはまず、想定されておらず、超難問、と銘打ったモノを「おーあんなに知っているのか」と感心することが画面を見ての反応となる。スポーツのスーパープレイを見るときの感覚に近いのかもしれない。菊池が内野ゴロをギリギリでさばくさまは、しばしばサーカスのレベルを超える。だから「超難問」クイズ番組も脳内参加はできなくとも知的なサーカスとして娯楽になりうる、のかな?うちの子に限って言えばスポーツやサーカスには全く関心がないがクイズ番組であれば「東大王」が好きでよく見ている。
 ただしその番組の回答者席に座っていてもおかしくない程度のアレな人間と日夜過ごしているので感じるものはあるらしい。
 「頭のいい人のためにそれより劣る人が考えた問題は結局細かい知識を問うしかなくて、出題者が劣ることは頭のよい人にはすぐにわかってしまう。小説においても頭のよい人を描写しようとしても実際には作中人物ほど頭が良いわけではないから、実際には描くことはできない。もし、頭のよい人が頭のよい人のことを想定して書いたとすれば、普通の人にはもはや何のことかわからないだろう。」

 侮れないこどもになった。自分で考え付いたことを自分の言葉で表現できたことを高く評価してやりたい。しかしそのへんの「頭のいい人と悪い人」の差を見て楽しんでいるというわけでもなく、どうやら水上さんという回答者のファンなので見ているらしい。解説が分かりやすいそうだ。「自分はこういう知識を持っていて、そこから演繹して正解にたどりついた」とか、「あとがないのでこの文脈ではこのような問題になるだろうと予測して早押しした」とか回答に至る過程を説明してくれる。なのでうちのガキとしても「自分ももう少し知識があれば、あんな難問も解決できたかもしれない」という気分になるらしい。
 私もその感覚はよくわかる。父親がそういう言い方で物事の考え方を教えてくれたな、となつかしい。(なのでこんなことができる。別のクイズ番組だが「枕草子からの問題です。次の単語の意味を答えなさい」というマクラだけで〜本文が出る前に〜正解。「早朝」。この流れで問題文としては「春はあけぼの〜」しかない。その文章の中で単語の意味が問題となるに値するのは「つとめて」だけである。)

 といいながらうちのガキ、Boys be ambitious.に続く言葉は何か?の問題に対してしっかり回答していた。日本語ですがね。正解は"Like this old man."だそうだが、うちのガキは「ただしそれは金銭や利己心のためであってはならない、名声という空しいもののためであってもならない・・・」とキッチリ。たしかに「英語で」という制限は問題文になかったから、うちのガキは瞬間的ながら東大王の皆さんを上回る回答を出したことになる。
 ambitiousは普通に訳すと「野心的」。日本語と同様英語でも必ずしもいい意味だけとは限らない。なのでクラーク博士はいろいろと制限をつけたわけだ。さーて娘よ、そういった制限をかけても残る野心を日本語でなんと表現すればしっくりくるかな?
 頭の良さを、単に知識量で測るのでないとすれば、こういう問題になると思うよ。
「このambitiousをクラーク博士の意図に基づいて、日本語一語に象徴させればどうなるか。」
 頭のよい回答者が並んでいるのだから、アシスタントが正解を読む必要はない。でも十分絵になると思う。各回答者の表情が考えているうちにどう変わってゆくだろうか。そこに彼らが頭を使うさまが現れる。もう勝ち負けじゃないのだな。個人的にはみていてとても面白いクイズ番組だ。
 正解をただ待っているだけの人であれば、表情は変わるまい。せいぜい正解を聞いて「それがどうした」の色を浮かべるだけだろうが、自分で考えることができる人間であれば正解に行きついたところで自分が先人とともに道を切り開いていたことに気が付くであろう。かの水上君なら「これが先人の知恵か、たまらないや」という本当にいい笑顔を見せてくれるだろう。

 正解はもちろん「大志」。「少年よ大志を抱け」ほら、すごい訳だろう。頭のいい人が頭のいい人のために考えた、そうでない人には何のことかわからない、そしておそらくもっとも簡単な問題だ。

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