東大生のノート、ごっこ

 うちのガキが学校の図書館から勉強法の本をよく借りてくる。
 友達が東大に行きたいといっているから協力しているんだ、などと言っているが本人も成績がぐっと上がる勉強法があるなら知りたいなあ、という気持ちはあるだろう。もちろん私だってある。んで見てみるとやたら「東大生」と銘打ったのが多い。うちのガキ、その辺の胡散臭さは感じ取っているようで「この本どう思う?」などともってきた。
 ライターはいい商売である。東大合格者のノートをいくつか借りてきて、写真撮って適当に解説加えれば印税が入ってくる。ところでライター自身は東大出ているのだろうか?つまりこれらのノートのどこがすごいか、理解できたうえで書いているのだろうか。

 あまりの胡散臭さに逆に興味を惹かれて「東大生のノート、っぽいもの」をつくってみることにした。きっかけはガキの買い物に付き合ったときである。コクヨのCampusノートにあこがれていたようだが、今一つしっくりくる罫線のものがないそうな。日能研で売っていた奴の方がいい、と主張している。確かにCampusノート、いかにも中高生という感じがするので使って気分がよさそうなさまは想像できる。一方、小学生のときに使っていた日能研ノート、如何に馴染んでいようといまさら使うのは恥ずかしいというのも分かる。そこで「じゃあお前の読んでたような東大生のノート、自分でデザインしてみればいいじゃん」と提案したわけだ。コクヨノート縛りというのはきついが、売り場を一緒に歩いていると「あれ?Campusに五線紙ノートあったの?」「あるよ」「じゃあこれ使おう」。

 まずこの手のノート術指南の本、キャッチーな要素が何か必要である。そこで「音楽のノート」をあえて使うことにしたわけだ。あとで説明を受けた時に納得する理由が作れれば何の問題もない。これが作れれば「東大生のノート」パロディとして立派に成立しそうだ。「東大生」というキーワードをアイキャッチに使うかわりに音楽ノートということだ。(親子の間では「東大生のノート、ごっこ」と呼んでいる。)

 五線譜というと、要するに1行当たり線が5本あるのだが、まず考えたのは「歴史」。平文を線3本の間に書き、重要事項を線4本使って書く。メリハリのある記載ができそうだ。ただし図がものすごく書き込みにくいので(なので数学や物理は検討対象にもならない)、却下。
 ならばと1行当たり線4本の英語を持ってくることとした。英語ノートと違って五線譜は行間の余白たっぷりである。これを活かそう。更に行あたり線が1本多い、ここを何かに使えないか。

 テキスト本文を、五線紙の上にうつします。黒のペンがいいね(アルファベットはエナージェルが書きやすい)。あまった最上段に分からない単語の意味を調べて書く。ここまでが予習。(Juiceの0.38推奨:私は青で書いている。)
 行間の余白に、学校での板書や注意されたことを書いていきます。部分的には訳も書いていくだろうね。
 帰ったら読み返して、鉛筆で書いたもののうち重要事項については赤系のペンで清書します。これが復習になる。鉛筆のところは消しゴムで消していいのよ。五線紙を持ってきたもう一つの理由がこれ。楽譜は指揮者の指示や自分ならではの注意点を書き込んでは消し、というのが普通なわけ。だから五線紙ノートはやや丈夫な紙でつくられているのですよ。Campusノートは例外かもしれんが、五線紙ノートならではの機能を活かした、と言えますでしょ。おお!読者が納得してくれそうなポイントがもう一つできた。

 いままでの「(プレジデント系)東大生のノート紹介」本にはないアプローチが出ていることに気が付いてくれましたか?。結果として完成されたノートでは見えなくなっている「時間」という切り口があるでしょ。予習はここまで書く。授業でこれを記載。復習でこう仕上げる。
 さきほど「ライター自身は東大出ているのだろうか?」と嫌な言い方をしたけどこういうことなのです。ノートを書いているまさにその時、何を考えて、意図して書いているか想像がつくかってことなのです。そういえば昔の私の英語のノート、予め2行おきに本文を書き写し、全文訳を一行下に作っておくのが予習。先生が話す模範訳を聞きながら「問題ないところは青、そうでないところは赤」で更に一段下の行に書きとってゆく。思い返せばすごいよね。読む速さに合わせてペンを持ち替えながら書くという速度も大したものだが、瞬時に「ここは自分の訳で問題ない/ここは訂正しないと」を判断できていたのだよ。逆に言うとその訓練を授業のたびに繰り返していたわけだ。成績が上がるはずだ。

 東大生のノート「重要事項を分かりやすく、整理して」書いているそうだけど、本当にすごいのは授業を受けながら、聞いていることをリアルタイムで重要事項と判断して、即座にノートに書き込める、その能力なのではないかな。これは単に完成品のノートを借りてきて本を書いている人には、想像もつかないことじゃないかと思う。(このくらいのまとめ、東大生ならできるだろう、とライターはカッコに入れて判断中止しているのかもしれないが、でもそこが本質的な「ノート術」なんですよ。)

 ん?そういうお前は東大出てるのかって?大丈夫、うちのガキが東大に通れば立派な「東大生のノート」だ。それと私が考え付いた予習/授業/復習、でノートに書くことを分けるやり方は、授業をききながら内容の重要性を瞬時に切り分ける、という特殊能力を必要としない。その意味では「東大生のノート」ではないわけだけど、誰にでも真面目な気持ちがあれば作れます。逆説的ではあるけども、これが最大の強み。
 私の出身校についてはお茶を濁すつもりかって?そんなつもりはないよ。言わなくても分かるじゃない。

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