AKBとかHKTとかの48ersが日本列島の形に並んで踊る。広告ネタ、目次へ
ありそうなだけに嫌である。連中が各国の民族衣装を着るともっと嫌である。ナチスの制服を演出に使った前科があるからなあ。(その時点で秋元降板であろうに。)
どうせなら、地味なジャンバーを着てリュックを背負ったオタク風が会場の四方八方からぞろぞろと集まってきて、急に上着を脱ぐとコスプレ、の方がマシかもしれん。インベーダーゲームのプロジェクションマッピングなんてのもありそうだし、そこに武士が出てきたと思ったらオトメイト風になってしまいそうだ。私の発想が軽いのか、日本の文化が軽いのか、と今更ながらびっくり仰天。仕方がない。とりあえずフィールドに新幹線を走らせて「安全です。大量輸送ができます」。う、広告にしか見えない。
そうなんだよね。森とか秋元、小池都知事とかの顔ぶれを見ると、発想が「迎合(ウケ狙い)」になってしまうのだ。日本的なものを世界に発信し日本を理解してもらう、という気持があれば、エンブレムを韓国人に頼んだり、入札条件を大幅に逸脱したイラン人の設計をスタジアムに採用するという発想は初めから出てこないはずである。これが石原都知事とか猪瀬都知事ならそこそこいい方向に物事を持って行ってくれただろうに感があって極めて残念である。
(リオの閉会式は別。あくまでメインはブラジル。そこに割り込ませてもらっているんだから主張は控えめにするのがマナー。でも「あ、日本だ」と短い時間で分かってもらえたんじゃないかな。これでいいのだ。)富田勲の「新日本紀行のテーマ」なんぞ日本の伝統を見事に西洋の手法で表現したとして称賛以外出てこないが、AKBの歌と踊りだと「日本もここまで西洋風になりましたよ」という程度のメッセージしか伝わってこず、これなら鹿鳴館の方が気合入れた分マシじゃね、という気分させてくれる。一昔前なら、フィールドを電子回路に例えてその中を電子に扮したした人間が走り回る、程度の演出でもそこそこイケたのだろうが。。。Cool Japanと言いながら実は発信するものがございません、ということなのか?しかたない。聖火ランナーを神輿に載せて・・・。大文字の送り火もその年は聖火でやるか。
こうしてみると演出って難しいね。こち亀の両さんにお願いしたいくらいだ。こち亀絵巻は神田明神に奉納されたけど、確かにそれだけの意味はあった。こち亀という漫画には、日本の文化、風俗が40年にわたって、一人の人間によって継続的に記録されている(下町人情編を入れると対象期間はさらに伸びる)。もちろん画像つきでだ。ギャグ漫画であるがゆえに、対象となった文化のどこが人々に受け入れられたのか、何が人を楽しませたのか、がデフォルメされた形で記載されており、その分かりやすさは後世の歴史家にとって貴重な史料となるであろう。これが僕らの時代にとってどんなに幸運なことか。
オリンピックの演出は秋元康ではなくて秋本治(こち亀の作者)に任せるべきであった。日本の文化を大事にしたうえで「おもしろく」見せることについてあれ以上の適任者はいない。どれだけ日本のイメージアップに貢献することだろうか。(個人的に「こちら葛飾区亀有交番前派出所」の歴史的価値は、793本のフィルムが全て残っている新日本紀行に次ぐと思っている。)とりあえず、射撃会場のホストはのび太くんにしといてくれ。1964年、つまり前回の東京オリンピックの年に生まれた。そしてゲームながら射撃の世界記録の保持者である。これほどの適材がほかにいるだろうか。リオの閉会式でドラえもんを出した以上「著作権が」なんて理由で出られないわけがない。迎合するにしても、このくらいのセンスは欲しいねえ。あわてて作ったのではない歴史がそこにあるからね。 ロンドンでポール・マッカートニーが歌ったようなものだ。クラシック音楽としては後進国だったイギリスは、新興とはいえ、ここ50年以上ポピュラーミュージックの歴史を積み上げ、それが世界に広がっていたんだ。その真打が登場。盛り上がらないわけがない。