添削で失われた
 正月番組で、芸人が俳句を作って評価/添削というのをやっていた。
 結構レベルが高い。
 ここで千原ジュニアの
トランプを 一旦伏せて 初詣
適当に添削してたが、まんまの方がよくね。
 家族あるある、の風景を描いたと共に
 北朝鮮のミサイル問題、エルサレムの首都認定問題と不安感の広がる国際情勢を「トランプ」大統領という言葉に象徴させてから、それをいったん忘れて、今年の家内安全を願いましょう。
 文句なしのダブルミーニング。今年の始めならでは、だ。(来年は意味が通らない年であるといいな。)
 俳句は普遍的な季節感を下敷きにするものでなくてはならない、という反論があるかもしれませんが、ある特定の年でなければ詠めなかった俳句、素晴らしい例があります。
めでたさも ちゆうくらいなり おらが春

 せっかくの掛詞を家族の風景だけに絞ってしまい、深みをなくしてしまったわけだ。(添削して自由律俳句に近くなってるのも不満。少なくともエイトビートのリズムが消えてます。)もっとも作者もダブルミーニングまで考えてなかったようでで仕方ないのだが。
 実際に私が顔を合わせていたら、「すごいね!こんな掛詞、考え付かなかったよ」と興奮して迫った後、先方の返事を聞いての「そうか、そうだろうな、そこまで考えてないよな」という明らかな落胆の表情に、千原君その他は反発を感じたかもしれん。

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