伊藤園新俳句大賞

 
制服に落ちた桜がほほえんだ
 私は「落ちた」という言葉をあえて使ったところに反応してしまった。
 つまり

 真新しい制服で初登校。
 第一志望の学校に落ちてしまい、残念な気持ちはある。
 それでも桜は自分にほほえんでくれた。よし、やってやるか!

 統語論的に説明すると、
「制服に落ちた/桜がほほえんだ」
と、五・七・五の七の途中で切るのではなく
「制服に/落ちた桜が/ほほえんだ」
と切ったあと、倒置と解釈し
「落ちた桜が/制服にほほえんだ」
と読み取ったわけだ。さらに「桜落つ」から古典的な合格の知らせ「桜咲く」を連想し、その対の意味があると想定したわけだ。これはこれで自然な解釈だと思う。

 日本的美意識からみてもこういう意味を込めたと考えたほうが似つかわしくないか?
 たとえ今の自分が不本意であったとしても、自然はその自分を祝福してくれる。

 逆にその程度の意味がこもってなければ俳句じゃないでしょ。
散った桜の花びらが、制服の袖にくっついた。
だけでは「まんま」。和歌にはならない。

 13歳の俳句をまじめに相手してしまった。
 彼にとっての自信になってくれるとうれしい。

 ドイツのゴールキーパー、オリバー・カーンが幼稚園児相手にPKを全部止めた。
 ブッフバルトなんかは「大人げない」と評価していた。しかしカーンはこう主張した。
「俺はゴールキーパーだ。自分の後ろにボールを通さないのがキーバーの仕事だ。」
 これについてきっちり評価している人がいた。
「カーンの気迫は幼稚園の子どもにもしっかりと伝わっただろう。そしてカーンを本気にさせたという自信は、その子の人生の大きな糧になるに違いない。」

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