俳句甲子園というのが、球場でもないところで行われている。広告ネタ、目次へ
うちの子は、なぜかそれにはまっているのだが、
理由は
「丁寧な言葉づかいで、さも相手の俳句をほめているような言い方をした後、とても丁寧に(=いやみったらしく)Disっているところ」
が面白いそうだ。気持ちは分かる。というわけで、別の用事で近くまで来ていたので、
決勝トーナメントに連れて行った。きゃー、この安っぽいイベント感がたまんないわー。
フードトラックが並んでいるけど、これって今後は軽減税率の対象になるのかしら。
ここで買う人は、会場の決まったところで食べるのが前提とみなせるからフードコートに準ずるものっぽいけど、トラック自体は屋外にあるからなあ、などと勝手なことを考えながら会場に入る。滅茶苦茶やりにくいお題が出てきている。だからどこかに無理が出る。
それだけに相手の作品を丁寧にDisるディベートが確かに楽しい。高校生らしい荒削り感がいい味出している。
しかしこれでいい句が生まれるわけがないなあ。意地の悪さにもほどがあるお題だ。
灘、開成が予選で落ちる大波乱、というのも分かるわあ。
そもそも夏に俳句は合わない。
(夏休みに俳句の宿題を出すのは、まず春と秋に俳句を読むことに慣れさせてからだろう。)
そりゃ厳密にいうと、俳句甲子園の日程、8/17,18。立秋過ぎたから秋の俳句なのだが、この暑さの中、紅葉をめでても説得力ゼロでしょう。しかしながら俳句甲子園、夏休みの俳句の宿題に悩む中高生にとっては実に貴重なイベントである。同年代の子と同じ題で俳句作りに同時に挑戦。嫌でも宿題は捗るだろう。
そして最大のメリットは「パクってしまってもいいわけができる。」「俳句甲子園の実況をネットでみながら、同じ題で作ってみました。参加者の作品や、審査員の講評を聞いているうちに、どんどん直したくなって結局同じような作品になってしまいました。しかし、トップクラスの高校生と同時に俳句を作って比べた経験は、とても勉強になりました。」
「ああ、俳句甲子園からパクッたな」と呼び出しても、堂々とこう答えられれば先生もそれ以上突っ込めまい。せいぜい「じゃあ、二学期の成績、期待しているぞ」くらいで納めざるを得ない。
立秋過ぎて夏の俳句を、なんて間抜けなことを尋ねてきた奴がいたので、一つだけ作ってやった。(スイカが秋の季語という大技はあえて使わない。)
遅いよ、立秋過ぎてるよ、かといって秋の俳句は読みにくいのは分かる。残暑で読むしかないけども、では残暑の季語は?
「秋暑し」が5文字で使いやすそうだから、使う。かといっていつもは冷房の効いた室内にいるから、秋暑し、って気分にはならないなあ。暑いというと電車のホームか。
そんなわけでこんなのができました。秋暑し 柱に隠れて 電車待つここで「柱の影で」とすると、電車を待つ人は影の中に静止してしまう。「隠れて」とすると意識は外部に向いていることを示すから、ときどき「電車まだかなあ」とちらちら伺う様子がでる。わざと字余りにして不安定な感じを強調してます。
さらに、これは真夏には詠めない句なのだよ。というのは日が高いから。わざわざ柱の陰に入らずともホームは一般に陰になっている。立秋を過ぎて、多少太陽高度が下がっているからこそホームの上にも太陽光が容赦なく射してくる。だから柱に隠れるのだ。自分ではそこそこと思うが、如何かな?不満な人には別なのを呈示。パクリっぽいが、これでいいんじゃないかな。
毎年よ 立秋の日に 暑いのは不思議でしょ。だれも納得するけど共感しない。
さて元の句。
毎年よ 彼岸の入りに 寒いのはこれは子規の母親の口癖だったらしく、その意味では俳句ではないかもしれないけども多くの人が共感するだろう。
「暑さ寒さも彼岸まで」今は寒いけど、彼岸になれば過ごし良くなるじゃろう。がまんせんとな。ほやけど彼岸の入りやゆうのに、やっぱぁ寒い。子規のお母さんがつぶやくのも分かるよね。これが分かるということが、俳句が分かるということだ。(先生方、しっかり指導してますか?)でも、ほんとに宿題に出すのがなければ、「毎年よ 立秋の日に 暑いのは」で数を合わせましょう。え?盗作っぽいって?
大丈夫、子規だって母親の口癖を盗作したようなものだ。