オンライン学園祭

 新型コロナ、というか武漢肺炎クラスタ発生の恐怖から高校の文化祭は中止、ないし身内のみ、が主流となったようである。

 大学となるとさすがにみなさんいろいろできることになっているから「オンライン学園祭」の旗だけは上げているようだ。
 おかげで顔を合わせて話して、意気投合するの機会は失われてしまったかのように見える。去年はたまたま寄った法政大学の学園祭で、戦史研究会とかで射撃をやったり(これでも弓道初段。狙いをつけるのがうまいのだ)、何十年ぶりかで見た初音ミクの完動品でJRの発車メロディを弾いてもらったりと感動したのだが。(一応解説。初音ミクってYAMAHAのシンセサイザーDX-7の萌えキャラ化ですので。一目見ればわかるレベルです。JRの発車メロディはそのDX-7で弾いているという説があるそうで、ある熱い男が故障したDX-7を買って修理したそうな。それで発車メロディを弾いてくれたのだよ。間違いない、あの音だ!)
 今まで法政大学にあまりいいイメージはなかったが「この学校、熱い!」こういう印象がオンライン学園祭では生まれないのだろうなあ。鉄道研究会の展示見終えたとき、受付の人に「久しぶりに初音ミクの完動品見ましたよ」というと、膝蓋腱反射で立ち上がってまくし立ててくれた人、私は感謝してるんだからね。

 鉄道のジオラマはたいていの人に訴えるものがあると思うが、かといってパソコン越しの画面でそれが伝わるかというと疑問符である。アイルランド音楽研究会が演奏しながらお茶を出して部費の足しをというのも難しい。お料理サークルなど味が伝わらないのだからどうすんねん。ロシア文学研究会みたいに文字でたいていのことが伝えられる分野であればわざわざ歩いてきてもらう必要がない分逆にいいかもしれない。まあ、ロシア料理(といってもボルシチくらいだろうが)の屋台が出せないということはあるかもしれないが、逆に「ロシア語で注文されても全く何のこと言ってるかわからずスルーするしかなかった」という恥はかかずに済む。活動によってはぼろが出なくていいかもしんない。

 が、逆に思わぬ方面からツッコミが入ることも考えられる。
 わざわざそこまで行こうという気にはならないが、伝統ある漫画研究会、しかもオタクの聖地池袋に近く、比較的優秀な学生が集まっていると聞く、そこが最近はラノベに力を入れ始めた。そんなのがあればちょっと覗いてみようか、という気になるではないか。
 そこそこの水準であればいいのだが、あまりにもあまりだと一言(以上)言いたくもなるだろう。今までは足を運んでくれた奇特な人のみを相手にすればよかったのだが、そんなのが混じるようになったということだ。しかもオンライン学園祭と銘打てば、オンラインでのリアクションを受け付けないしようとするわけにはいくまい。
 これが学園祭のその場でしか意見交換ができないのであればそのまま終わったとしても、今までなかったメアドなんて作ってしまうと、この文章どこが悪いのか丁寧に考える時間ができるので、そのうち思い切り詳しくどこが悪いか解説され、美しく添削された文章が戻ってくるという「とてもためになる」結果がもたらされる、というわけだ。
 素晴らしいことのはずだが、仲間内で「おまえこれ名作だな」とたたえ合っているほうが居心地がいいのは間違いあるまい。

 最も影響の少ないのは映画系サークルだろう。発表形態自体は、オンライン配信でもあまりかわらない。観客の反応を観察できないのはつらいとしてもだ。音楽系も悪くないかもしれない。無観客でのライブ配信、というお手本がある。
 が、せっかくオンライン、というなら遊ぶのもいいかもしれない。プロモーションビデオ風に作っちゃおう。あくまで演奏シーンを入れたくなるだろうから、作りはちょっと違うことになろう。下手にプロモーションビデオと割り切ると、クラシック系のサークルは「名曲アルバム」になってしまうリスクがある。近所の植物園で許可とって「野ばら」でも歌いましょうか。音そのものはスタジオで撮るとしてもだ。

 つまりオンライン学園祭は、大学という場所の制約から解放されるようにしないと、という方向で考えるのも悪くないかもしれない。お料理サークルでも「対決」というかたちにして、食材指定で何か作るのを自宅からLIVE中継。やってみるだけの価値はある。少なくとも、調理者にとって、一番使い勝手の良い自宅のキッチンで勝負できる。

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