街の風景が変わる〜フォントの進化をうけとめよう

 本屋さんの棚がずいぶん華やかになった。これは色とりどり、というより装丁に使われる、とりわけ題字に使われるフォントの問題であろう。
 さすがに文庫本の背表紙はシリーズによる違いくらいでまだ画一的であるが、表紙の題字の多彩さは、ライトノベルの長くなり過ぎたタイトルを退屈させないために編み出されただけではあるまい。
 アニメ化された場合、オープニングの歌のバックでタイトルが現れるものであるが、色に頼らないフォントで構成されたものの場合、これは強い。
 タイトル文字が背景に重なる「寄宿学校のジュリエット」もなかなかのものだが、
(ジュリエットは何人かと悩んでいたがイギリス人だね。短期留学していたホームステイ先の娘さんにそっくり。)
 全盛期の鈴木このみの声に乗ってサビとともに現れる「Re:ゼロから始まる異世界生活」のタイトルバックはグッとくる。このタイトルデザインやった人デートアライブも手がけてたのね。フォントを使ったデザインの最高峰はカッサンドルによるイブサンローランのロゴと言い張って反対する人は少ないと思うが、Re:ゼロもソコソコいいとこ付けていると思う。オープニングテーマ「Redo」はイントロのインパクトも十分。(音楽史上最も強烈なイントロはBeatlesのA Hard Day's Nightで異論ないよね。)

 最近見つけたのだが、アニソンがまるで馬鹿にできない物証がございました。「緋弾のアリア」のオープニング、どこかで聞いたモチーフを使っていると気が付いた人も多いと思う。ベネチアの冬は昔から暑かったと想像させて余りあるヴィヴァルディの四季から冬の第一楽章である。このフレーズを中心とした導入も展開も、緋弾のアリアのほうがイケてませんか?

 フォントの設計がコンピュータ化で簡単になり、活字を使わなくて済むので印刷もローコスト、Webデザインという市場が拡大したのでただでさえ安くなった開発費を回収しやすくなったこともあるのだろう、フォントがどんどん多様化されて来たこととの相互作用で、本屋さんはこんな状態になったのだろう。

 一方、まるでまるでフォントの進歩の恩恵を受けていない分野がある。選挙運動のポスターである。そろいもそろって太字の角ゴシック。視認性とインパクトを両立させたつもりなのだろうが、気が付くと時代についていっていないことがわかり暗い気分になる。 かろうじて共産党が丸ゴシックで候補者の名前を書いてたりして、柔かさを出しているつもりなのだろうが、社会規範を守らない党であるだけにわざとらしさ、いやらしさしか感じない。  もし、私が候補者の名前を色々なフォントで短冊に印刷して選挙事務所に行き「おたくの先生にはどのフォントが似合うかねえ」と尋ねると、一律に太字の角ゴシックが選ばれるということはなかろう。角ゴシックでもたつがね角ゴシック、とか選ぶんじゃないだろうか。ついでに「どういうところがこのフォントに似合うと思いますか?」と聞けば、精いっぱいの語彙を用いて説明してくれるだろう。

 ぜひ、竹下渉の事務所でやってみたい。

 大物政治家がポスターの字体をちょっとだけでも自分のイメージ(自分が持ってほしいイメージ)にあわせて変えてみたなら、選挙運動の期間だけとはいえ、街の風景もちょっとだけ変わるんじゃないだろうか。
 そんなきっかけが作れるといいな、と思っていたりする。

広告ネタ、目次
ホーム