コンピュータを教育に活かす

 思い出すと、私が最初にコンピュータに関連する教育を受けたのは、伯父からである。その内容は「片手の指でいくつまで数えられるか」というものである。当時幼稚園の私は「5つ」。それに対して「いや、31だ」と言って教えてくれたのが2進法。
 この伯父さんの影響は強かったようで、Windows3.1が出た頃、祖父のお葬式で集まった直系卑属の男性は、全員コンピュータ関係の仕事をしていた。(伯父さん自身も、だれもが聞くとイメージしてくれるコンピュータ会社の社長だった。ちょっとじまん。)

 最近いろいろとコンピュータ教育の必要性が叫ばれ、予算も付いているらしい。でもその名前のもとで何をするのだろうか。
 中には何を思ったか、「ビル=ゲイツのような起業家を育てる」という目標を掲げているところもあるらしい〜宮城県だったような気もするのだが。非合法な手段を使ってでも、騙してでも裏切ってでも、自らの利益を追求するということを教えることを堂々と提唱するとすれば、これは大変な教育改革である。おっとこれは起業家教育か。

 でも、まあ普通には、Microsoft WindowsとMicrosoft Wordの使い方を教えることになるのかな。あとはMicrosoft InternetExplorerとMicrosoft Outlook。あ、ワクチンソフトの使い方も必須ね。結局はマイクロソフト教育ということで同じになるかもしれない。まあ、そうしてくれると嬉しいところもある。「コンピュータは間違える」「コンピュータは止まる」という事実がしっかりと子どもたちに認識されるからだ。しかし、一生懸命作っていたものが、いきなり「不正な処理をしました」で無くなってしまえば、泣き出してしまう子どもも少なくないだろうなあ。教師はそういうとき、どんな言葉をかけてやればよいのだろうか。コンピュータ教育の指導要領にちゃんと載っていますか?

 でも、アプリケーションの使い方を教えることが大切なことだとしたら、どうしてそれが大切なことなのだろう。みんなが使っているから?まあソロバン教育と似たようなものと割り切ればいいのかな。で電卓がソロバンよりも安くなったので、カリキュラムから外れた、と。
 でも、そういった教育体制では「2進法ってすごいんだ」と感激して、聞きかじったAND回路とOR回路を組み合わせて、何とか計算機が作れないか悩みまくる子どもは生まれそうもないなあ。(でも、もう少しで半加算器ができそうだったんだよ)

 コンピュータ教育のあるべき姿を考えていると、だいたいここで挫折する。2進法、ブール演算とワードプロセッサーの差が大きすぎるのだ。せいぜい教えられることは、コンピュータで描いた方が簡単な絵は、絵自体が簡単なものに限られる。絵は手でもかけるようにしておこう、という教訓くらいなものだ。まてよ。これはこれで大切なことか?
 絵画でなくて説明図を作るときだ。説明図が簡単ならコンピュータでも簡単に描ける。コンピュータで描いた図は複写や加工が容易にできる。従って、複写、加工を前提とする場合はコンピュータで描いた方が便利だから、簡単な図で説明できるように考えをまとめよう。その方向で考えをまとめると他人に伝えやすくなる。→コミュニケーションの拡充に役立つ。
 結構苦しい説明だが、コンピュータ教育によって生ずるメリットではある。(但しコンピュータの欠点を克服するべく努力しましょう、ということを教えているだけのような気がしないでもない。)

 ところがこの閉塞した状況にインターネットというものを付け加えると、随分と考えが広がってきた。「コンピュータ教育によって、人間性を高める」ということが考えられるようになったのだ。従来は「コンピュータ教育によって、論理的思考を・・・」という言い回しが主流だったはずだから、ちょっとしたパラダイムシフトである。

 まずはインターネットを支えてきた互助の精神。これを学んで欲しいわけである。インターネットを構成するプログラム、使えば便利だからと無料で公開する。知っていることはMLやホームページを通して互いに教え合う。この思想、アーキテクチャー自身にも反映しているぞ。隣のサーバーがメールの送り先が分からなくて困っていたら、サーバー同志教えてあげているでしょう。

 もう一つは社会貢献を実行してもらいたい。社会貢献というと今まではボランティアに参加したり、寄付をしたり、結構身構えて行うものであったような気がする。そんなわけで敷居が高かったが、そうでもなくなった。
 小学校の時、社会科研究と称して商店街の地図をOHPシートに書いていたりしたでしょう。あるいは理科の授業の一環として気温と降水量をグラフにしたり。
 そんなものを班単位に発表していた覚えがありますが、はっきりいって、淡々と事実を述べただけの、その場限りのものでありました。しかし、これらをWebにアップしたらどうなりますか?結構役に立ちません?校区の子どもたちが地図を作ってWebPageを作ったとしたら、少なくとも商店街の皆さんの励みになるでしょう。あるいは、気温と降水量。地域の人にとっては案外便利かもしれません。地方気象台で降水確率20%と発表したときでも、この付近は山沿いだから30%くらいになるな、というローカル情報を導き出すことができます。1つの市の小学校がデータを交換しあえば、ヒートアイランド現象がはっきりと分かるかもしれません。これって結構大したことですよ。

 その代わり我々は、地域の子どもたちがWebによって自らの力を増幅し、社会に貢献しようという動きをはじめたら、それを励ましてやらねばならないでしょう。それもまた社会貢献です。

 以上の説、全部自分で考えついたのなら大したものですが、きっかけを教えてくれたのは次のお言葉でした。

「この校区にはダムがある。そんなホームページをつくるのならば、ダムの写真を毎日のせるだけでもいいじゃないか。数年前の異常渇水の時、みんなダムの水位を心配した。そんなとき、もし、今日のダムの写真があれば興味を持って見てくれるだろう。」
 これを言った人、電子メールとインターネットの違いが分かっていなかった。でもこんなことを思いついたというのに絶句。。。なるほど、コンピュータを教育に活かすということは、こういう面からも考えられるのか。
コンピュータネタ、目次
ホーム