ブロックチェーンのせま〜い適用範囲

 ブロックチェーンという奴で大革命が起るらしい。
 スタンフォードが認めた才媛、じゃなかった高名な評論家である野口悠紀雄氏によると誰もが信頼できる情報にたどり着けるのでパラダイムシフトが起こるらしい。

 エモリー大学も認めたマスコミ人志村一隆氏によるとブロックチェーンによって誰もが情報をシェアできるようになるらしい。

 任意団体Blockchain EXEによると金融や通信も極めて低コストで信頼性の高いブロックチェーンにとってかわられ、信用と情報が共有されるのでるので従来の産業は大きな構造改革を余儀なくされるそうな。

 こういうことを言っている人は情報の信頼性が経路のトレーサビリティだけで保証されているという勘違いをしているのではなかろうか?元々発信された情報(私の好きな言い方だと人間活動の結果として生じた情報)の妥当性が担保されてはじめて有用な情報としての価値を持つのだよ。野口さんが書いた、というのがあるから皆さん「正しいんじゃないかなあ」と思って読んでくれるわけだ。その野口さんにしても「スタンフォードが認めた」という基準で正しいのだろうと思ってもらえる。たとえ私の意見の方が妥当でもみなさんが私のサイトをチェックてワタシを持ち上げてくれるわけではない。
 人間活動の結果として、というのは大事だよ。量子論が認識される前はラプラスの悪魔は存在したわけだ。

 ブロックチェーンの成功例となっている仮想通貨の世界で見ても、妙なことはある。  例えばUSDTという仮想通貨の価値は発行主体であるTetherが持っている同額の法定通貨ドルに裏打ちされていることになっているが、
 この会社、どうかんがえてもバランスシートがおかしいそうな。しかしながらブロックチェーンで革命的変革が起こると唱えている方々は、信用の基盤をトレーサビリティに置いているので、そこに全く問題がない(らしい)USDTは信用に足る、と認識していることになる。
 もし元が正しいとしても経路のトレーサビリティでは価値を保証出来ないことすらある。コインチェックで見られたように「情報の消失」なんてものも起こる。盗まれた仮想通貨はトレーサビリティは保証されているが諸般の事情で「使えなくなった」。これって事実上消えたってことだよね。

 元々個人情報の保護、という名目で誰が責任を持つのか記録されないことになっている情報だから文字通り海のものか山のものかわからんわけだ。ということはこのままシェアしても、正しいかどうかは誰にもわからない。流通だけなら「スタンフォードが認めた」という権威に左右されることはないから民主的と言えなくもない。しかし流通しているものの確からしさを個人がいちいち確認することができる新しい手段が提供されているわけではない。せいぜいGoogleの「参照されることが多いサイトは良いサイトである」という程度のことしか評価基準がない。

 彼らの想像力はそこそこ大したものだろうが、現実の世界とほんの時たまにしか顔を合わせないがゆえに妥当性を欠いたままである。
 たかが1つの単位しかないビットコイン(経路のトレーサビリティだけで内容の保証が十分としても、決済手段としてはおつりがもらえないという致命的欠点を持つ)ですら多大な電力を消費するマインニング愛好家の努力にもかかわらず、10分間に1度の更新ですら苦労しているように「ブロックチェーンって維持するのはものすごく高コストなのだ」。(だから1996年の段階で最小通貨単位まで使え、寿命が短いためにブロックチェーンのようにネットワークの負荷を際限なく増やすことのない小切手帳の電子化を提唱したのだが。)

 ところがブロックチェーン、話題になっている以上どこかで実用化してみたい、という気分はある。なのでいろいろ考えたが適用可能なものとして私が挙げることができたのは
「インターバンクのコール市場」
だけであった。
 参加者は銀行に特定されており信用状態はお互い分かっている。参加者の中で個別取引がオープンでも全く問題はナシ。
 そこでは参加者が
「今日は資金がいくら足りない」
を申し入れると、呼応して余っているところが資金を出すわけだ。
 でもこれで期待できることというと短資会社がいらなくなる程度。資金調達コストがちょっとだけ減るかもね(元本が膨大なので無視できない経済効果だが)。しかし日銀がものすごーく難色を示すので実現はしないだろう。ただでさえゼロ金利で7社から3社に(天下り先が)減ったのに。(というわけで外資系金融機関に期待?)

 あまりにも変な意見が湧いているので、あえて常識的意見を言ってみました。

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