ドラえもんには感情があるのだ

 ドラえもんに感情はあるか、それとも感情があるように見せるプログラムが働いているのか?
 結論は「感情がある」。ではこの結論が出るまでの数秒の思考の流れを振り返ってみよう。たぶん機械学習とか人工知能では出せない結論だという気がしたのである。

 ドラえもんの漫画を見る限りドラえもんに感情があるようにみえるが、実際にはそうプログラミングされているだけなのかもしれない。ドラえもんはもともと「友達用ロボット」。だとすれば感情のない友達なんてつまらないし、ドラえもんがのび太くんの親友であるのは、のび太に「怒る」ことが出来るからだともいえる。「なんてことするんだ」と怒るから友達なのだ。いわれたことをする召使とは違うのだ。なのでたとえば「怒る」という感情を持つことは友達用ロボットとして必須であるとも言える。したがって「感情があると見えるようプログラムされた」という解釈は理にかなっている。
 では、それが本当にプログラムなのかどうか、というのはどこで判断できるだろう?友達用ロボットとしての大前提から、のび太くんの前では感情があるモードになり、そうでないときは感情がないモードに切り替わるかどうかで判断できそうだ。ここで考えるとジャイアンやスネオの前どころかネズミの前でも感情があるように見せている。だとすればプログラムではない。感情だと判断するのが妥当だ。こんなふうに結論を出してもあまり問題はなさそうだ。しかしこれは「モードの切り替え」があるという前提に基づいている。ドラえもんが感情を発露したとき、それが決してプログラミングではないと断言できる場合。何かないか?

 ここで脳みその記憶を検索した、のび太がいなくて他の人間もいなくて、ドラえもん単独のシーンはないか。ドラえもんのほかに誰もいない。しかも感情の発露がみられるシーンがあれば、それを検討していけばわかるかもしれない。しかし、なんとあいまいな検索条件であろうか。最初に思いついたのは、なぜだろう、おそらくはコンピュータがどんなイメージ検索が可能となってもまずヒットしないコマである。ドラえもんが「2人」いるシーンである。あれ?もっといるぞ。
 「ドラえもんだらけ」という奴だ。例によって宿題をため込んだのび太に処理を任されたドラえもんが2時間後の自分、4時間後の自分、6時間後の自分、8時間後の自分を呼んできて5人がかりで宿題をやる、という話である。
 宿題は仕上がったが、未来の自分は当然過去から何度か呼び出されて休む間もなくこき使われている。なので帰るとき何をするか?現在のドラえもんを袋叩きにするのである。
 これだ。もし感情がプログラミングされた人工的なものであればあれば、決して自分に危害を与える、ことはないだろう。「自己破壊」につながるからである。ところがここでドラえもんは自分自身をよってたかってぼこぼこにする。(一体だけであれば自分に危害を加えても、破壊につながらないよう手加減を加えることも可能かもしれないが、4人がかりだ。相互作用で計算外のことが起り得る。)しかも過去の自分に対して、つまりタイムパラドックスを恐れずにである。これが感情でなくてなんだというのだ。

 というわけでドラえもんの感情はプログラミングではない、先天的な「機能」と判明した。
 この結論の出し方。AIといえど学習しようがない。例がないからである。しかし人間であれば、少なくとも自分の頭で考えることを恐れない人間であれば、ここまでの経緯、理解できると思う。

 この発想に至るまでに必要なことを順序立ててみてみた。まずは両方の発想を「肯定」しなければならない。このことですらコンピュータには無理だ。コンピュータは否定はしないが積極的に肯定することはできまい。肯定のためには「理由づけ」が必要だからだ。そんなもの探せるか?わたしはここで「友達としての機能」という理由を推測して肯定したのだが。

 肯定のための理由があれば、その理由が通用しないところを考えればよい。つまり友達としての機能を果たさなくていい部分だ。のび太君と一緒にいないところ。そのときどうか?すでにここで結論は出ていた。ドラえもんにはネズミを怖がる。これは感情と判断して問題ない。自己保存の機能であれば「避ける」で十分なはずだから。
 しかしここでわたし自身から人間としての、人間らしい思考が出てきた。「これで終わっては面白くない」。
 だからネズミを怖がるというのもプログラミングではないかと考えてみるわけだ。「ネズミがこわい」と震え上がることはプログラミングによって可能なことだからプログラムの可能性がある、とまで言ってしまうのである。一度ここまで徹底してプログラミングされているということを肯定しよう。もっと面白くなるかもしれない。(この発想の奥には「ドラえもんに当然、感情がある、という無根拠な思い入れがあることは言うまでもない。←徹底して自分の思い入れを証明するために、反論は全部潰しとこう。少なくとも自分ができる程度の反論は。わたしには機械にはない「プライド」というものがあるのだ。)

 ただしもうここから先は偶然です。なぜ見つけられたのかわかりません。とてもあいまいな脳内検索に「ドラえもんが二人」というヒトコマが引っ掛かった。
 いきなり「プログラミングが不可能なこと」が見つかった。そうだ。たいていのことは「プログラムにしようとすればできるよ」と言い張れる。しかし言い張れないものがある。「自己保存」に反する機能だ。そんな危ないもの、自爆兵器でない限りプログラミングされるわけがない。ちょっとだけ昔のSFのワンシーンを連想しました。そもそもアシモフのロボット工学三原則の第三条だ。基本中の基本なのだ。

 最後の一瞬のひらめきが出てきた由来は分からない。脳内にひらめいたシーンを後から解釈するとこうなった、というのが実のところである。さあAI、私の後を追ってこれるかな?いや、悲観して自殺しないでくれ。それやられると私の論が崩れてしまう。プログラムが自分自身を消去するプログラムは書けなくもないが、消去ルーチンを与えられていないのにプログラムが自己を消去してしまったら、そのときはプログラム自体が感情を持った、と判断することになるだろう。

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