「タイタニック号の船長が、女性と子どもを先に逃がそうとして各国の男性に説いて回った。音楽ネタ、目次へ
イギリス人には、お前らジェントルマンだろう、ジェントルマンは女性と子どもを先に逃がすものだろうと問うた。イギリス人は了解した。
アメリカ人には、ヒーローになりたくないか。女性と子どもを先に逃がせはヒーローになれるぞ、と説いた。アメリカ人はその気になった。
ドイツ人には、女性と子どもを優先するのが規則です、と通告した。ドイツ人は従った。
日本人には、みんながそうしているからあなたもそうしなさい。」ステロタイプ化しているとはいえ、なかなか気の利いた冗句だ(表現はもちろんアレンジしてます)。が、次の瞬間まじめな私は笑うのを止めた。タイタニック号に乗っていた唯一の日本人は男性であるが、助かっているのだ。たまたまそれを知ったとき、我が家では夫婦して「生き残るべくして生き残ったんだなあ」と感嘆の声を漏らしたものだ。この人が若くして死んでいれば、世界の音楽シーンに少なからず影響を与えていたはずなのだ。Y.M.O.細野晴臣の父君である。
音楽史的にはYMOといえども、80年代前半のテクノポップバンドの1つ、としてしか残らないのかもしれない。ところが、テクノポップとは確実に一線を画しているところがある。彼らは普通の曲をシンセサイザーで演奏したのだ。
それまでのシンセサイザーは、ピコピコと怪しげな音を出す機械であったが、YMOは普通の楽器の代補として使った。これは画期的なことである。同時期のヒカシューはやはり怪しげな音を出して繋いで、妙な調子の音楽を作っていたわけだから。冨田勲さんですら普通の楽器としては使っていなかった。
当然、普通の楽器の音を出すのにシンセサイザーをもってくることについては批判がある。「音が平板だ、心がない」。更に悪いことに(勇気のあることに)YMOはシーケンサーを多用して自動演奏させているのだ。これに対する坂本龍一の回答がテクノポリスのトランペット三重奏である。第一トランペットを手で弾くことによって、第二、第三トランペットも全部手弾きに聞かせたのだ。ヒッチコックの「鳥」にヒントを得たのかなあ、剥製のカラスのうちに2、3羽本物を混ぜることによって全部本物に見せた。こうしてYMOが「シンセサイザーで普通の音楽が演奏できる」ことを証明したおかげで、更にはシーケンサーで自動演奏させても問題がないことを証明したおかげで、その後殆どのポピュラーミュージックがコストの安いシンセサイザーを使うようになってきたのだ。この功績のゆえにYMOは音楽史に残るべきなのだ。
こうしてYMOがシンセサイザーで生楽器を代補できることを証明して20年後、タイタニックはCGで作られたセットを使って映画化された。
しかし、できれば彼らにもう一度生楽器の音楽をやってほしいなあ。曲は「ライディーン」。ピアノは矢野顕子。馬の駆ける音のバックを是非とも生ピアノで演奏していただきたい。
やはり生楽器でなくてはできない部分というのを聴かせていただきたいわけだ。映画の効果音も、シンセサイザーが多用されるようになったけれども、竜巻(ツイスター)の音は出せなかったではないか。シンセではどうしても古い古い「オズの魔法使い」の音を超えられなかったそうだ。タイトルを見て、Obscureレーベルを思い出した人。多分私と同類です。