そのものズバリ「史上最大のコンサート」というCDがある。1976年5月のカーネギーホールの録音である。カーネギーホールの閉鎖を防ごうとゆかりのある音楽家が集まったのだ。最後にはスターン、ロストロポービッチ、メニューイン、スターン、ディースカウ、バーンスタイン、ホロビッツ!がハレルヤコーラスを歌うというトンデモナイものだ。 いや史上最大のコンサートはウッドストックだ、という説もあろう。主催者の予想をはるかに超える人が集まってロック時代の到来を誰にも印象づけたもの。音楽ネタ、目次へ
音量ではいまだにWhoが最高かな?人数ではGrayがPaulを超えたのだろうか。
そういった価値基準がいろいろあるのは認めるとしても、私は1970年の「バングラディッシュ難民救済コンサート」を「史上最大のコンサート」と呼びだい。「クラシック史上最大」でもなく「ロック史上最大」でもなく、「世界史上最大」のコンサートとしてだ。もちろんロック史上にも大きな意味がある。ビートルズ解散後、方向性を見失っていたロック界に「いける」という印象を与えたそうだし、オールドギターブームに火を付けたという説もあるし、クラプトンがライブでスライドを弾いているのが珍しいという話もある。(クラプトンはライブでスライドを使わないと言う人もいるが、例外もある。)
もちろんこのコンサートの意味は、それまでカウンターカルチャーであった、早い話が不良少年のシンボルであったロックにも、社会貢献が出来る、社会を動かせる、ということが証明されたところにある。さらに言うと、音楽というものに世界を動かす力があることが証明されたわけでもある。そんなわけで、このコンサートを歴史的に意味のあるものと捉えているわけだ。(もし、それ以前にクラシックのコンサートで似たようなことがされていれば、教えてください。)この種のチャリティコンサートは提唱者をノーベル平和賞候補に祭り上げてしまったライブ=エイドで頂点に達すると思われるが、最初の大規模なチャリティコンサートであるバングラディッシュ難民救済コンサートはそのほかのものとは一線を画すところがあるのを忘れてはならない。
スーパースター目白押しのコンサートは第二部にまわり、第一部としてバングラディッシュの民族音楽が演奏されたのだ(ひょっとしたらインド?)。映画で見た限り、この第一部の方が印象が強い。
集まってきた人たちはいずれもスーパースターを見に来た人々、その人たちの前で民族音楽の演奏が開始される。まあいいか、義理もあるしね、といった観客の態度。途中、ブレイクしたところで、やっと終わったと言わんばかりのパラパラとした拍手。
しかし、それからテンポアップして演奏は白熱、、、観客も次第に乗ってくる。そして終わったときには割れんばかりの大拍手。バングラディッシュの音楽、なかなかいけるじゃないか。全く違うカルチャーで育った若者たちがこのような印象を持った。それだけでこのコンサートは大成功だったといえるでしょう。単純にお金を集めただけではない。みんなの意識をしっかりと集めている。
更には、バングラディッシュの人々は単に寄付をしてもらったわけではなく、きっちりと人を楽しませてお金をもらったことになります。義捐金を受けとる側の誇りを十分に考えたジョージ=ハリスンの人格に感動。ただし、副作用もありました。音楽が社会を動かせるようになったのは事実としても、ミュージシャンが「自分には社会的な発言権がある」と誤解しはじめたことです。これが「世界に平和を!」とか「地球を守ろう!」といったことであれば、確かに大切なことだし、そういうメッセージを音楽にのせるのもいいことだなと思います。が、中には資源略奪戦争を結果的に支持するような発言をする人も出てくる。おまえ、なんか勘違いしてないか?
バングラディッシュ難民救済コンサートはこういった風潮を既に戒めておりました。第一部を演奏した、ラビ=シャンカールは言っています。
「しかし私たちは音楽家だ。言いたいことは音楽で言う。」
この謙虚さと力強さにはいつも頭が下がってしまう。