皇室にベビーちゃん誕生のニュース。アナウンサーが慣れない敬語を使ったおかげで結果的に不適切な表現が続出したと思われるが、さあ、始末書は全部で何枚になるのだろう。尤も私が「こりゃまずいよ」と思ったのは「この時期(皇族の誕生日が)異様に集中しておりまして」というものくらいである。音楽ネタ、目次へさてこのニュースでマスキングされた感があるが、ジョージ=ハリスンが逝去されたらしい。やはりショックである。私は相当ハリスンに傾倒しているのだ。BeatlesのラストアルバムAbbey Roadのタイトルを決めたのはハリスンだと確信していたりする。だいたい私のホームページのタイトルの「はりせんかまし」の「はりせん」からして、ジョージ=ハリスンの「はりすん」のもじりなのだ。大阪名物ハリセン攻撃を意識してはいるがそこから来たわけではない。
Beatlesはラストアルバムのタイトルをエンジニアのジェフ=エマリックの吸っている煙草の銘柄にちなんで「エベレスト」にする予定であった。で、ジャケット写真を撮りにヘリコプターをチャーターしてヒマラヤに行こうという話になったところで、誰かが「ジャケットのためにヒマラヤまで行くなんて、だったら外に出て写真を撮って、タイトルもアビーロードにすればいいじゃないか」と言ったそうな。そう言ったのが誰だったか、覚えている人はいないらしい。でも、ジョージだったと私は思っている。まあ、私はポールのライブもジョージのライブもリンゴのライブも見た人間だし、比較的思い残すことはない。ジョージのアルバムもこの先出そうもなかったし、と案外醒めて考えることすらできる。自分でも冷たい奴だと思う。そして更に冷たいことに、ジョージの死を歴史的に、ジョン=レノンの死と比較して考えてしまう。
「パパは歌が歌えたんだね」とショーン君に言われて、溜まっていたIntuitionがアルバムになって世に出た矢先、暗殺されたジョン。私は彼が生きていたなら湾岸戦争は起こらなかったのではないか、とまで言い切ってしまう人間であるが、ここは政治的な影響とかいった問題とはちょっと離れて考えよう。(政治的に残したものはジョージの方が大きいと思うんだが、ぼくは)
ジョンのために追悼の歌を歌ってくれた人は数多くいた。では、ジョージのために追悼の歌を歌ってくれるのは誰かを考えてみた。極めて残念なことにジョンを偲んで作られた曲のうち、最高のものは他ならぬジョージが書いたと思っているからこそ、こういう疑問が浮かぶのだが。New Yorkのワールドトレードセンターが崩壊したとき、ツインタワーよりわずか1.5km離れただけのところに住んでいたミュージシャン矢野顕子はすごいことを言っていた。テロの与える恐怖に対し《世の中には恐れよりもっと大切なものがある。人を思いやることや、人に愛を示すことで、恐れは克服できると思う》と言った後で《悲しい歌を書いて、人を泣かせるのは簡単だ。でも、人を鼓舞し、人の心を楽しくさせるのは難しい。本当にみんなが欲しているのはそんな「希望」であり「夢」なんだと痛切に思う。》
ミュージシャン・芸能人というのは、要するに田植えをしている人たちを太鼓を叩いて励ます係なわけだが、その存在意義をここまで力強く言える人は少ない。で、悲しんでいる人を力づけるような曲を書ける人はもっと少ないかもしれない。で、ジョン=レノンが死んだとき、そんな曲を書いたのがジョージ=ハリソンだったわけだ。All Those Years Agoはそんな曲だった。ジョージの死に際し、誰かそんな曲を書いてくれるだろうか?エリック=クラプトンが書いてくれるかなあ。あるいは、バングラデッシュのミュージシャンが書いてくれるかもしれない。ポール=マッカートニーには期待していない。彼がジョンの死に際して書いたHere Todayは、それこそ人を泣かせようとする悲しい歌でしかなかったから。
しかしジョンが死んで、最もショックだったのはポールだろう。そんな気持ちが痛いほど伝わる曲がひとつあります。Here Todayと同じLPに収められた「Take It Away」。
ジョージ=マーチンがいても、リンゴ=スターがいても、どんなに音を詰め込んでも、決して満たせないものをあの曲からは感じる。天才ポールのどうしようもなく不完全な一面。実はそんな歌を、また聴きたいと思っておるのです。でもポールはニューアルバムを出したところだし、当分書かないでしょうな。例によって自分の印象を無証明で使っておりますが、私、結構超絶的な音楽センスを持っていたりします。音楽ネタの目次に《なるほど・サ・ワールド」のテーマ曲「もしも世界にタヌキがいたら」の最初の2音を聞いただけで「これYMOの曲?」と尋ねたというフォローのしようがないセンス》と書いておりますが、「もしも世界にタヌキがいたら」の作曲者は坂本龍一なのです。
誰か作ってくれませんかね、癌で苦しむ人たちに希望を与えるような歌。ジョージが生きていたらきっと作ったような歌。ひょっとして、ジョージ自身が遺してくれた曲の中にあるかもしれませんがね。もし未完成の部分があって発表できないとすれば、そのときはポールが歌ってくれるでしょう。