1937年のPink Floyd

 容易に想像できるとおり私はオーディオマニアである。
 管弦楽の最低音、5弦コントラバス開放の33Hzを出したくて高さ215cmのスピーカーを設計/製作した。ちなみに乗っかっているツィーターは日本橋最後のJA-0506II。
 オーディオラックも中々のものでヒノキの角材で枠を作り、1/2inch全ネジを4隅に通し、そいつでコンポを挟み込んでネジで締め上げ、「全部一体化」している。重量は相当のもので滅多やたらに振動なんぞいたしません。
 これが板に挟み込んでいたとしたら放熱が問題となるのだが、角材による枠なので通気性は抜群。ラックの壁というのがありませんので、定在波がほとんど立たないというのもメリット。余分なスペースを取らないので、全体として実にコンパクト。まさに理想的なフォルム。

 CDプレーヤーはPHILIPS LHH-700。アンプはROTEL RA-980EX。ちょっと古め。出力される音は、ひたすらストレート。よく奥さんが納得したなあという人もおりますが、それは婚約中に彼女の部屋に合わせたP-610DB+TW-503のバスレフを設計/製作/贈呈したことと決して無関係ではありますまい。(ちなみにニョーボは、BOSEのスピーカーの音を聞いて「なんでこんな重苦しい音を人に聞かせるんだろうね」などとのたまう、きわめて正常な耳の持ち主です。)

 で、オーディオマニアというのはいろいろとセッティングを変えて音が良くなったと満足する(あるいは改善しないとふまんをもらす)人種であり、音が良くなったか悪くなったかのチェックに特定のレコードやCDを使うものです。もちろん私は例によってあまり一般的でないものを使っております。たとえば・・・。

パガニーニ:バイオリン協奏曲2番、第三楽章「ラ=カンパネラ」
 CDプレーヤー(というかディジタル録音)にとって最も再生が苦しいのが「高い」「小さな」音である。1つの波形を表すのに使えるビット数が減るからだ。(-90dBの音なんかどんな波形であれ、1ビットがオンになって/オフになってそれっきりである。)
 で、オーケストラの中でトライアングルがふんだんに使われているということで、この曲でその辺の「高い」「小さな」音の再生能力を診ている。(オーケストラの中のトライアングルといえばリヒャルト=シュトラウスの「英雄の生涯」を思い起こすのが純正のマニアなのだろうが。)
グレン=グールド:ゴルドベルグ変奏曲
4種類あるゴルドベルグ変奏曲のうち、81年ディジタル録音のものである。超がつく名盤であるが優秀録音というわけではない。ところが最初のアリアと最後のアリア、使っているピアノが違う。最初はスタインウェイ、最後はヤマハである。同じ奏者が同じ時に別の楽器を使って同じフレーズを弾いたという希有な例。録音条件も同じ。この差がきちんと出るかがチェックポイントである。ちなみにヤマハのCDプレーヤーだと両方ともヤマハピアノの音になる。(4種類とは、55年デビュー版、81年再録音の他、ザルツブルグ音楽祭ライブ、映像版を指すつもり。部分的にはモスクワでのライブもある。他にあったら教えてください。)
カルショー:ラインの黄金より「錫のインゴットを積み上げる音」
 1958年ショルティが指揮した録音である。効果音は凝りに凝っており、黄金を積み上げる音は錫のインゴットで出している。
 この音は自然音であるゆえにシンセサイザーなどで作った効果音とは違い、オーディオ装置が良くなるとどんどん音が変わってゆく。アップグレードにつれ「カツ カツ」が「ガチ ガチ」に、更には「ゴト ゴト」、最終的には音圧だけになる。ただし、最後の音は東京電力では出せないかもしれない。(周波数が50Hzより60Hzの方が整流装置へのエネルギー供給間隔が短いのでパワーが出るのである。)
 最後のカルショーの音などを聴くと、プロデューサーの資質によっては録音技術を超えた優れた音を残すこともあるのだなと実感。ところがこの分野でも凄いと思うのは、やはりディズニーなんだなあ。

 先日娘にせがまれて白雪姫のCDを買ったが(DVDがあるのに勿体ないことだ)、1937年の録音に仰天。DVDはローエンドのプレーヤーで再生し、REGAのアンプと前述のP-610DBバスレフで聴いているのだが、CDはもちろんメインシステムで聴いた。
 周波数レンジは狭いのだが、印象としてはPinkFloydのDark Side of the Moon(邦題:狂気)。ハイ・ホーの前半、つるはしでダイヤを掘るカツカツという音がまさにそれ風にリアル。効果音がしっかり楽器として使われているのもPinkFloydを先取りしている。歌も数人の男性が深さの異なるエコー付で歌っているのだが、モノラルのくせに分離が異常によい。(1937年のエコーだよ、マルチトラックで録音してミキサーでエコーを調整する、なんてことはできないよ。)「ハイホー、ハイホー、しごーとがすき」の部分(もちろん原曲なので英語)の肉声の生々しさ。本当に歩きながら歌っているかのような大きめの息づかい。(なおこの曲、日本語詩の作者が不明なので、この程度を引用しても特に文句は言われないと思います。)

 特筆すべきは、1937年当時連続した磁気録音は不可能だったということ。辛うじて映画のサウンドトラックという形でしか長時間録音はできなかったはず。(ドイツには20分以上の連続録音を行う技術があったそうだ。ノルマンディーに上陸してきた連合国兵士は、ラジオからとぎれることなく音楽が聞こえてきたのに驚いたそうだから。)そこまで貧弱な装置で、あそこまでの音をどうやって録ったのだろう。SPダイレクトカッティングという可能性もあるにせよ。

 但しディズニー自体も、白雪姫に匹敵する録音は二度と実現できていない。世界最初の長編カラー映画を作り、認めさせたいという情熱はそれほどのものだったのだろう。
 映像の部分で私が特筆すべきだと思うのは、白雪姫が井戸に向かって歌うシーン。井戸の中の水に映った白雪姫の姿。実際には光線の具合で井戸の底に映った姿が見えるはずがないのだが、それでもこのアングルを入れた理由は良く分かる。
 このカットはアニメでしか出せない。実写ならカメラが写る。
 このカットは絵には描けない。絵画は所詮は「必要な色以外の光を吸収して」色を見せる。だから光で構成されている鏡に映った姿を描き出すことはできない。でも自ら光を焼き付ける映画であれば可能である。それを実現したわけだ。

 光でしか実現できない絵、などという観点は写真部の友人が「写真でしかできないことは何だろう」と悩んでいたときに考えついたこと。だから普通には写真(ないし映画)のメリットとして語られることはない。でも、あなたが井戸のシーンで描きたかったのは(証明したかったのは)そこでしょう、と言うとウォルト=ディズニーは喜んでくれるのではないかな、と思っている。

 それにしてもなぜ、ディズニー版白雪姫は黄色人種なのだろう。髪が黒いのは原作がそうだからそれに忠実なだけとして、雪のように白いはずの肌も色の白い日本人程度。鼻も低い。思いっきり白色人種のシンデレラとはエライ違いである。だれかこの理由知りませんか?
 シンデレラついでに。シンデレラの映画的特性としては、アメリカ映画の大発明「Last Minutes Rescue(絶体絶命のピンチ、最後の最後に助かる)」をおとぎ話に付加できるかどうか、というところにあったと思う。
 それと、白雪姫という人は滅茶苦茶足が速いですなあ。白雪姫に憧れているうちの子は、影響されてかけっこの練習を始めているようだ。

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