おおブレネリ!の無批判的再検討

 「筆先三寸」というWebページがある。
 ここに収められている「ペンとともに考える」は、筆者の頭の良さにカタルシスを感じてしまったほどの名作だ。童謡の歌詞の不可解さを、歌詞のみを手がかりに解釈し、そして隠された思わぬ真実に迫っているのだが、その論理の美しさはヘーゲルの大論理学、デリダの声と現象に匹敵する。

 最近、新作が加わった。「おおブレネリの謎」というものである。誰でも知っている

おおブレネリ あなたのおうちはどこ
わたしのおうちはスイッツランドよ
きれいな湖水のほとりなのよ
ヤッホ ホトゥラララ ヤッホ ホトゥラララ
ヤッホ ホトゥラララ ヤッホ ホトゥラララ
ヤッホ ホトゥラララ ヤッホ ホトゥラララ
ヤッホ ホトゥラララ ヤッホホ

おおブレネリ あなたの仕事はなに
わたしの仕事は羊飼いよ
おおかみ出るのでこわいのよ
ヤッホ ホトゥラララ ヤッホ ホトゥラララ
ヤッホ ホトゥラララ ヤッホ ホトゥラララ
ヤッホ ホトゥラララ ヤッホ ホトゥラララ
ヤッホ ホトゥラララ ヤッホホ

 という歌があるが、ここで生じる「なぜブレネリさんは、ひとこと答えるたびに陽気に歌い出すのか」という謎を解明している。(また、なぜ「おうちはどこ」と問われて「国名」を答えるか、といった副次的な謎も解明している。)

 例によって見事な論理展開であるが、個人的には違和感を感じている。というのは、私はこの歌詞に疑問を感じていなかったからだ。無批判的に受け入れていたのだ。たとえば、こんなふうに

 巨人の星のタイトルソングの冒頭「思いこんだら」を「重いコンダラ」と聞き取り、そのシーンで星飛雄馬が地均しに使うローラーを引っ張っていることから、ローラーを「コンダラ」と呼ぶのだと信じていた子供がいたらしい。(その子は長じてついにLinuxのディストリビューションを開発したようだ。)
 同じように私も思っていた、「おおブレネリ」は「大ブレネリ」であり、ということは「小ブレネリ」もいるはずである。従って、「あなたのおうちはどこ」と問うているのは「小ブレネリ」であると推察される。ブレネリさんは2人いて、それぞれ「大」「小」であるということは、この二人組は「大ブレネリ」「小ブレネリ」の凸凹コンビであり、凸凹コンビとなると漫才が連想される。つまりこの歌は、恐らくは「ブレネリシスターズ」という漫才コンビの当たりネタであると解釈するのが妥当と言える。

 つまり、こんなシーンだ。
 舞台の上で、小ブレネリが問う「大ブレネリ、あなたのおうちはどこ」
大ブレネリは「スイスよ」と答える。
 答えたとたん例えば「住所を聞いとるのに、なんで国名を答えるねん」という突っ込みの気配を感じたのであろう、大ブレネリは、歌ってごまかそうとする。「ヤッホ、ホトゥラララ」と。
 まるで、この時の大ブレネリの動きまで目に浮かぶようである。スカートの裾をたくし上げて上方を見ながら、靴音も高らかに大声で歌い踊りながら舞台を一周する。
 たぶん二番はこんな感じだ。「大ブレネリ、あなたの仕事はなに?」
大ブレネリは「羊飼いよ」と答える。
 ここでも答えたとたん「漫才師にきまっとるやないの」という突っ込みの気配を感じて歌ってごまかそうとしたのだろう。
 突っ込みを歌ってごまかす、というパターンは日本の漫才にもあるが、特筆すべきは、ここで小ブレネリは何も言っていないということだ。相当の腕である。目の動きや、ちょっとした仕草だけで突っ込みの気配を、大ブレネリのみならず観客にも伝えることができるとは大した芸である。
 そしてこの芸が、民謡という形で今日まで歌い継がれてきたということは、スイス人の琴線に触れるものがあったということであり、この歌は昔のスイスの民間芸能を知る上で貴重な史料ととらえることができる。

 しかしこの解釈には、無批判的に2つの前提を措いていたことを認めざるを得ない。
 1.大ブレネリさんの相方として小ブレネリさんがいる。
 2.「ヤッホ、ホトゥラララ」と歌っているのは大ブレネリさん本人である。

 この二つの前提をはずしてみよう。一般に解釈されているように「おおブレネリ」は感嘆詞+人名であるとし、かつ、歌っているのはブレネリさん以外であると。
 とすると、歌詞の大意は、誰かが名前付きでブレネリさんに呼びかけ、自己紹介を促しているということとなる。つまり、お互いに名前くらいは知っており、自宅の位置を国名レベルで話しても失礼ではなく、歌が自然に出る雰囲気、という場面であることとなる。
 考えられなくもない。多くの国の若者が集うユースホステルのミーティングである。

 そのようなシチュエーションであれば、「おうちはどこ」と問われて「スイスです」と答えるのも自然であろう。ヨーロッパは数多くの国が陸続きで交流も多いのだ。住所を国名レベルで答えることは、日本人が県名レベルで答えるのと同じような感覚であろう。その場の雰囲気によっては歌い出す人がいてもさほど奇妙ではないだろう。
 この説を前提とすれば、このミーティングはどこのユースホステルで行われたかというのもある程度推測できる。
 ブレネリさんがおうちのありかを「スイッツランド」と発音していることから考えて、このミーティングは英語で行われていると断言できる。
 この部分は歌詞として日本語に訳されていないが故に、ブレネリさんの発音をできるだけ正確に写したものと考えられる。
 そしてスイスの国名をスイスの公用語であるドイツ語では
SCHWEIZ と表記し
イタリア語では
SVIZZERA
フランス語では
SUISSE
と表記する。いずれも「スイッツランド」とは発音しない。
従って「スイッツランド」は英語のSwitzerlandからきていると考えられる。
 どちらかといえば「スイッツアランド」と発音すべきところを、当然のことながら、英語はブレネリさんの母国語ではないため、「スイッツランド」と発音している。ブレネリさん、あまり英語は得意でないのかな。だから自己紹介の席で「My Name is ブレネリ」と言ったきり口をつぐんでしまった。そこで同宿者が気を利かせて、答えやすい質問をしているのだろう。誰かが歌い出したのは「きれいな湖水のほとりなのよ」とたどたどしく精一杯答えているブレネリさんに「無理しなくてもいいよ。みんなで歌えれば十分さ」とサインを送っているのかもしれない。

 しかし、ブレネリさん、拙い英語の中で強烈な愛国心を発揮しているところがある。
「きれいな湖水のほとり」と述べている部分だ。
 通常「湖水のほとり」という表現は使われない。「湖のほとり」である。ブレネリさん「湖水」が「きれいである」ことをよほど強調したかったに違いない。
 英語でミーティングが行われていることから考えて、これは英語圏である可能性が高い。そして英語圏で「湖水」から連想されるのは、スコットランドの湖水地方である。つまりこのユースホステルはスコットランドの湖水地方にあり、そこでブレネリさんは、ここは湖水地方というけども、祖国スイスの湖水も、それはそれは美しいのよ、と主張しているわけである。

 この歌が、スイス民謡として歌い継がれている理由もここにあるのだろう。海外で、苦手な英語で堂々と、スイスの湖水の美しさを主張してきたブレネリさんを讃えているのだ。

 なお、ブレネリさん自身も気を遣う、優しい人だったと思われる。
 「仕事は」と問われ「羊飼いよ」と答え、いきなり「狼出るので怖い」とネガティブな印象を語るブレネリさんの気持ちも想像がつく。
 きっとブレネリさんの前に自己紹介をした人は自分の仕事に愚痴ばかり言ったのだろう。例えば「電子メールシステムの管理をやっているのだが、台数が多くて全国に散らばっているので、やっぱりどこかのサーバや端末ではトラブルが起こるし、たとえ稼働率を99.9パーセントまであげても、1万台あれば10台は止まっているということでしょ。ましてやWindowsだし。僕は導入の時UNIXにしようといったのに。MS-Officeを使いたいからだって。稼働率は下がりますよ、とちゃんと念押ししたんだけどなあ。ユーザーってわがままだから」といった思いっきり気の滅入る話を。
 その直後のブレネリさん。とても「羊たちと一緒に毎日おいしい空気を吸っています」などという話はできない。でとってつけたように「狼出るので怖い」と言ったのだろう。
 さて、じつはまだこの歌詞についての無意識的な仮定が2つ残っている。
 まずは、「スイッツランド」を国名と仮定しているところ。別に地名でもかまわない。渋谷にスペイン坂があり、パリにドイツ通りがあるのだ(サンジェルマンはSt. German、つまり聖ドイツ通りである)。イギリスにスイス通りがあっても変ではなかろう。
 するとこの歌詞、こんな意味になる。

 ブレネリさんのうちってどこだっけ。
 スイス通りよ。ちょうど湖の脇を通るあたり。

 クラスメートの平凡な会話である。

 もう一つの仮定は、ヤッホ ホトゥラララが「歌」であると考えていたことだ。
 歌の一部であるからといって「おおブレネリ、あなたのおうちはどこ」の一節を歌と思う人はいない。同様に「ヤッホ ホトゥラララ」を歌と解釈する正当な理由はどこにもない。これは予言か暗号か?
 当初「ヤッホ」が、山でよくやる「ヤッホー」で、次の「ホ」がそのこだま。トゥラララがさらにその反響が混ざったものであると推察したが、これではこだまがかえるまでの間隔が短すぎるのだ。これほど狭く、反響が多いのは屋外ではあり得ない。まるでコンクリート貼りの独房か、取調室ではないか。

 あ、なるほど。冒頭に紹介した「おおブレネリの謎」を読むとこの謎は解けるのだ。

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