逆説的であるが、私の友人の説によると、CD黎明期、CDの普及に貢献したのはシングルレコードだったそうな。中島みゆきがシングル盤の集大成をCDでのみリリースしたため、それを聞きたいが故にファンがCDプレイヤーを買ったということだ。(ちなみにSinglesはアナログ盤でも発売されていたことが後日判明した。ただしシングル18枚組だったかな)こんなことを思い出したのは最近、CDが売れなくなってきたためかシングルへの回帰現象が見られるようになってきたからである。とはいっても、もちろん従来のCD-Singleの形式ではない。AppleComputerが開始した曲の配信サービスである。
要するに巨大な音楽データベースがあり、そこから1曲99セントでダウンロード購入できるというものらしい。
オーディオマニアとしてはネット配信された音楽の音質の問題を心配すべきであろうが今回は「アルバム」という形態が消滅し、アルバムだから商品としての存在を許された種類の曲が作られなくなってしまうかもしれないという懸念の方が自分としては大きい。(一応アルバム単位の購入も出来るようだが、今後アルバムの形式を取ってそのままダウンロードしてくれるかは疑問。)
現在、「アルバム」という形態に積極的な意味を見いだすことは確かに難しい。コンセプトアルバムの量産元であったプログレシッブ=ロックは完璧に廃れているし、20分なり40分なりの長時間連続再生を必要とする音楽はポピュラーミュージックには極めて少ないかもしれない。しかし、もしアルバムという表現形態がなければ注目されることはなく、しかし重要な曲というのも少数ながら存在する。これらがシングル(というか一曲ずつの販売)によって消えてしまうのではないか、というのを心配しているのだ。例えば、曲が単品で販売されていたとするとクイーンのコンサートはどうなっていただろうか。オープニングにWe Will Rock Youが使われていただろうか。この曲、多少盛り上がりはするが、構成が単純すぎて爆発不足、単品で聞くと物足りない曲である。シングルとしては売れていないだろう。少なくともコンサートのオープニングで観客が声を揃えて歌うというふうにはなっておるまい。
でも、このような曲も必要なのだ。何となくざわついたコンサート会場の雰囲気をまとめ上げる(そのためには誰もがその曲を知っていなければならない)。その曲だけでは物足りなくても、次の曲への期待を高める。実をいうとクイーンなんぞすっかり忘れていたのだが、アイドル歌手瀬川おんぷのHalf Pointを全曲聞く機会があって思い出した。コンサートのオープニング用の曲というのはあるのだ。絶対忘れてはいかんのだ。
もちろん「何となくざわついたコンサート会場の雰囲気をまとめ上げ、次の曲への期待を高める」だけがオープニングの曲の使命ではない。大ヒット曲を持ってきて一気に盛り上がるという手もある(イーグルスがホテルカリフォルニアを持ってくるパタン)。コンサートのオープニングでしか聞けない曲というのを作ってしまうという手もある(矢野顕子の東京は夜の7時)。でも前者はコンサートの途中で息切れするし、後者はかなり特殊である。
それにしてもHalf Point、オープニング用として作られたのだなと意識して聞くと、その凄いセンスに感心してしまう。最初に聞いたのは野外コンサートのオープニングであった。特に野外となるといくらファンの集まりといっても、各自の関心は散漫である。それを一挙に集め、かつこれからのコンサートの膨らみを期待させるとは、なんつー凄いセンスで書いたんだこの曲。たかがアニメの一場面だというのに。(もちろんおジャ魔女どれみであります。)今後、コンサートそのものがインターネットを通じたバーチャルなものになってゆくから、コンサートのオープニングというものの位置づけが変わってゆくということもあるかもしれないが、少なくとも曲の構成というのは大事だろう。ここで、シングル向けの曲ばかりを繋いでいったのではコンサートが成り立たないと思うのだ。
例えば松田聖子。実に曲に恵まれ、大ヒット連発であったが、そればかり歌っていたのではまるで持たない。サントリーのCMのおかげでヒットしたSweet Memoriesで一度しっとりさせるからよいのである。(Endingは夏の扉ないしRock'n'Rougeね)
プレスリーでさえ、最後は好きにならずにいられない、でしっとりと落とすという構成があったではないか。ポピュラーミュージックが一曲毎の単品販売になることは、見方を変えると日本の音楽が世界に出てゆくチャンスになるかもしれない。一曲に限っての完成度を高めるという方向であれば日本が歌謡曲で培ったノウハウは凄いものがあると思う。Wink以来、そのノウハウは消失したかと思っていたが、さすがはおジャ魔女どれみ。瀬川おんぷのWe can doなんぞを聞いていると「まだまだいける」という気はする。諸外国の方々にとっては耳慣れない日本のアーチストといえど、一曲だけなら買ってくれるかもしれないじゃん。
もちろん、一曲の完成度でABBAを超えるのは至難の業と思うが。(ABBAが流行ってきたのもSingleへの回帰であろうか)
おジャ魔女どれみ、相当見まくったおかげで設定が割と推測できるようになってきた。磯野家の謎、のノリである。で、おジャ魔女どれみについてのそういうサイト、どなたか知りませんか?是非参加したいのだわ。まだ魔女の寿命は何千年か?という最大の謎が解けていないので統一的な世界観が見えないのだが。まあ、マジョリカのひみつ、くらいならなんとか、こんなのどうでしょ。音楽ネタ、目次へマジョリカは七百数十年前、ウィッチークイーンローズから生まれた。(ハナちゃんと良く似ているのはこのため。同じバラの枝から生まれたものは良く似ているというのは、最後のパティシエ試験の相方とマジョモンローが似ている理由として言及されている。)
女王候補であったのも、生まれの良さが関係している。
ただしおよそ7百年前、何らかの理由で水晶玉を失い、魔女見習いとなった。(どれみたちが、7級試験を受けるとき、自分も700年前に試験を受けたといっている。水晶玉が小さいのも一度水晶玉を失ったからとすれば説明がつく。)
魔女見習試験をパスするのに数十年の歳月を要した。(これは当方の推測。魔女見習いの間は、人間と同じペースで歳をとると仮定すると、マジョリカがおばあさんである理由が説明できる。魔女は1000才でもマジョラン程度の外見である。なお、妖精ララとマジョリカの外観、年齢がえらく異なる理由も、マジョリカが妖精ララをもらってから魔女になるまでに数十年の時間が経過したことで説明できなくはない。多分モタとモタモタがぼーっとして試験をやらなかったのだろう。マジョルカも同時期に魔女見習いとなり同様に老けてしまったと考えれば、マジョリカが老けたのは試験に落ちまくったからではなく、試験そのものが行われなかったためと推測する方が妥当だろう。で、なんでマジョルカも魔女見習い上がりと推測できたかというと、妖精が・・・。)