伝説の真相

 ふとしたきっかけで(たいへんなふとしたきっかけもあったもんだ)ベートーベンのピアノ協奏曲3番を聞きたくなり、取り出したのが1957年のライブ。演奏者はグレン=グールドvsヘルベルト=フォン=カラヤン&ベルリンフィルハーモニー。CDはNUOVA ERAとMUSIC ARTSから出ています。
 もちろんベルリンフィルですから、完全にカラヤン色に・・・と思うのですが途中で路線変更。特に第一楽章の終わりにある山型の音型の部分、ピアノが泣いていて大好きなのですが、ここは完全にグールド色。グールドは凄いやと思っていましたが、いきなり気がつきました。ベルリンフィル内部に共犯者がいたのですね。カデンツァ直後のティンパニー。完全にグールドのリズムを叩いている。誰なんだろう。ひょっとして「フルトヴェングラーかカラヤンか」を書いたテーリヒェン?だったら出来すぎ。この本、ベルリンフィルの内幕ものと言われていますがティーリヒェンはしっかりと書いています。カラヤンは音楽で金を稼ぐことを教えてくれた。フルトヴェングラーは音楽の楽しさを教えてくれた。
 でもティーリヒェンはチェリビダッケがベルリンフィルを最後に振った時に参加してないんだよねえ(多分)。あのとき参加していたらアンサンブルすらも完璧になっていたのでは(これもCDが出ています。クロアチアからDUMKAブランド)。全体のリズムを司るティンパニー奏者のオーケストラ内での地位はコンサートマスターに次いで高いという話も聞いたことがありますし。チェリビダッケの拍節でなくうねりでリズムをとるやり方をベルリンフィル内に浸透させてゆくさまを想像すると。

 相当脱線しましたが、グールドのライブには伝説が多いです。この演奏も指揮台を舞台の端に寄せてオケがピアノを囲むように配置された、と言われています。ホンマカイナ。バッハの協奏曲でそのような配置がとられたのは間違いなさそうだが。
 そういったグールドの伝説の中でも最も有名なのはこれでしょう。ニューヨークフィルとの演奏会においてバーンスタインが演奏前に「私はこの解釈(conception)に賛成しているわけではない」とスピーチしたということ。

 これは事実です。1962年4月9日、間違いなくそれは言われました。邦訳はWAVE16に載っています。これは独奏者と指揮者の対立の例として、そしてバーンスタインがグールドを「裏切った」こととして評価されていますが、本当のところはどうなんでしょ。

 このスピーチおよび演奏、録音が残っています。メロドラムから1987年に発売されました。受けまくっています。笑いをとっています。I have only once before, had to submit 〜 That was the last time I accompanied with Mr. Gould.のあたり最高です(客席の段階的な反応も含めて)。
 で、バーンスタインも後年「伝説の真相」というエッセイで、彼の試みにはいつも大賛成だった、と書いてます。これはグールドの死後ですから割り引いて考えるとしてもテンポについては必ずしも反対していなかったことは伺えます。というのはツィンメルマンと演奏したときのテンポはこれより遅かったから。

 ただし、グールドの感傷的な繰り言といってもいい第一楽章の演奏とオーケストラが合っていたかは疑問。バーンスタイン自体は感傷的な演奏ができる人でグールドと協演したベートーベンピアノ協奏曲4番なんか完璧なんですが。
 まあ、解釈の妥協点としては「バーンスタインはこの演奏会の時点では、グールドの解釈に興味を引かれて賛同したものの、真意は分かっておらず、後年それに気がつきやり直した」くらいかなあ。でもね、15分8秒から16分2秒までの間は完璧。特に15分29秒のピチカートは完全にピアノとオーケストラが一体化している。

 いまごろこんな事を言うのは、グールド自身がただ1文《Leonard Bernstein, on the other hand, was a reluctant collaborator when when the same approach was applied to Brahms's D-minor Concert.》(バーンスタインはしぶしぶ協力した)と書いているのを発見したから。(ストコフスキー6つの場面 The Glenn Gould Reader pp.270 Knopf 1985)

 ピアノ協奏曲というのは、ピアノとオーケストラが合わないのが普通と思っており、特にアバド=ペライアのベートーベン4番をサントリーホールで聞いてからその感を強くした。サントリーホールの音響の悪さもあるんだろうが全然別の空間で弾いていた。逆にグールドやバーンスタインは極力合わせようと思ってたんじゃ無かろうか。だからきれいに合わせたグールドのブランデンブルグ協奏曲5番はあんなにピアノの通奏低音が耳に残るのだ。
 この先は語り尽くされているんだろうが、どうしてもtribute。グールドはストコフスキーとの「皇帝」録音でどんだけ感激しただろう。大ファンだったストコフスキー、協奏曲などやらないと思われていたストコフスキーから声をかけられて、自分の提示したテンポを即座に受け入れてもらい、それを自分が想像した以上に的確にオーケストラに指示してくれた。「諸君、エロイカだ」。オケはスコア順にパートを扇形に並べなければならなかったというアンサンブルに難のある、はっきり言って下手なアメリカ交響楽団。彼らに独自の解釈をこの上なく簡潔に。
 「皇帝」第一楽章最後の上行アルペジオを、グールドはどんなに安心して弾いていたことだろうか。それを想像しながら聞いていると涙すら出てくる。

 冒頭にあげた協奏曲3番の山型の音型もグールドは安心しきって弾いているんじゃないだろうか。カデンツァの後のティンパニとピアノが目配せしているように思えるんだ。「このリズムでいいんだろう、オケはまかせとけ」「ありがとう、じゃあ思い切り行くよ」。
 一部で言われているグールドはライブで真価を発揮するピアニストではないかという説、私も賛成。ならなぜコンサートを開かなくなったか。これについてはそのうち書きます。どの曲のどの音を弾いたとき、決心したのか、見当がついているのだ。

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