モーツァルト再発見

 ショルティの演奏が好きである。特に魔笛の序曲。
 同じような和音で始まりながら、ベートーベンの皇帝が茫洋たる空間を感じさせ、ピアノの飛翔が続くのに対し、こちらは全く空間というものがない。わずかに期待された広がりも、次の和音で断ち切られる。ここまで厳しくなくてもよいのに。

 しかし、小人たちが現れて、小さな積み木を積んでゆく。お城を作っているようだ。積み木はいつの間にかレンガになり、漆喰が塗られ、窓枠が付けられ、壁紙が張られ、家具が持ち込まれ、カーテンが張られ。おもちゃのお城ができてゆく。いつの間にかおもちゃのお城はどんどんと大きくなり、やがて我々の前に門を開ける。「さあ、おとぎ話の国にようこそ」。

 モーツァルトの天才を感じるとき。ピアノソナタ15番を曲がりなりにも自分で弾いてみて、これほどシンプルな指使いでこれほどの曲が作られていることを知ったとき。ピアノソナタ11番「トルコ行進曲付き」で三度の和音が不協和音のように響くとき。ピアノ5重奏曲のレコード、カップリングされているベートーベンの出だしを聞いたとき。

 かといって妙にモーツァルトが持ち上げられる風潮には反感を感じる。TVによると脳の働きを活性化するそうで、まあそこまではいいとして、本屋に行くと「モーツァルトを聴けば病気にならない」なんて本があると「じゃあモーツァルトの音楽をもっともよく聞いていたはずのモーツァルトは、健康な生活を送り、天寿を全うしたんだろうなあ」と突っ込みたくなる。ご存じの通り、彼は35才、原因不明で死んでいる。

 ならば「モーツァルトを聴くと、貧乏で不健康になる」という主張も成り立つ。少なくとも悪霊は寄ってきそうだ。魔笛を聞くのは少し控えないといけないかなあ。あくまで個人的な感想だが、モーツァルトを長時間聞くと頭が疲れてくる。

 しかし、乳牛に乳を出させるのも、トマトの収穫量を増やすのもモーツァルトが効果があるそうだ。ならば、と大胆な仮説を出そう。モーツァルト自身のモーツァルトと現在演奏されるモーツァルトには違いがあるに違いない。
 何らかの違いがあって、それゆえ当時のモーツァルトは健康に悪く、現代のモーツァルトは健康によいのだ。

 では何が変わったのだろう。実は楽器がまるで様変わりしている。フルートは木管だったし、ピアノは似て非なるものだったし、バイオリンは指板が短かったし弦の材質も違った。演奏法も違っていたらしい。
 この辺が効いて、モーツァルトの音楽は体によいものに変容してきたはずだ。

 ではこれを検証する。和合治久(埼玉医科大学短期大学教授・江原音楽療法専門学校客員教授・理学博士)という人の話では「人の健康を支えている生体機能に刺激を与える高周波を豊富に含んでいるから」モーツァルトは健康にいいのだそうだ。
 つまり、昔のモーツァルトは高周波をあまり含まず、現代のモーツァルトは高周波を多量に含むことを説明すればよい。
 フルートは金属になったからいかにも高音が出そうだ。ピアノも鍵盤数が増えたから高音が響く、バイオリンはビブラート奏法が導入され、細かい周波数の揺らぎがビートを生む。なによりなのは、それまでサロンで限られた人数を相手に演奏されていたのが、大ホールでの演奏となってきたことだ。音量も増えたが、コンサートピッチという言い方にも見られるように、音がどんどん高くなった。きちんと説明がつくではないか。

 多量の高周波を出すには、音を歪ませて倍音を出すという方法もある。これは生演奏では無理だが録音/再生すれば可能である。もちろんモーツァルトの時代には無かったことである。なるほど、これが効いていたのか。鑑みれば、乳牛に生演奏はもちろん高級ステレオでモーツァルトを聞かせるというのは考えにくく、ラッパ型の高能率かつ高歪率の再生装置で聞かせているはずだ。うんうん、筋は通る。
 まあ、歪が多すぎて頭が痛くなっては本末転倒。こういうときには真空管を使うと自然な歪みが得られるそうで、いかにも健康にはよさそうだ。おすすめは真空管にEL-34を使い、スピーカーにセレッションといういかにも高級クラシックファンが好みそうなパターンだ。もちろんロック界にも愛用者が多い組み合わせである。言うまでもないがマーシャルのギターアンプがこれである。(EL-34のような真空管が未だに生産されるのは、ギターアンプという需要に支えられてである。従って高級クラシックファンはヘビメタギタリストに感謝しなくてはならない。)
 ところが、だんだんアンプが良くなってくると歪みが少なくなってくる。CDが普及してマスターテープレベルの音源が家庭に入ってくると、ますます生演奏に近くなる。これではモーツァルトの時代への逆戻りだ。健康に良くない。
 が、心配するには及ばない。再生装置は普及すると同時に安っぽくなり、かつ最近ではMP3のように、音が割れる録音形式が主流になってきた。つまり体によいと言われる高周波が多く出るようになってきたということだ。
 いましばらくの間、モーツァルトの好ましい効果は続いてゆくことであろう。


 この論。おかしいように聞こえるのだが、おかしいとすればそれはモーツァルトを持ち上げている人たちの持ち上げ方がおかしい。この論は妙な主張をする人の主張を受け入れて助長することにより、おかしさを際だたせているわけだ。
 (多分梅毒で)夭折したモーツァルトの作った音楽が健康によいとすれば、必然的にモーツァルトの時代のモーツァルトの音楽と、現代のモーツァルトの音楽が異なっていなければならない。ここでもし、モーツァルトの音楽が健康によい理由が高周波にあるとすれば、それは現代のモーツァルトの音楽が当時よりも多量の高周波を含んでいなければならない。
 前提を受け入れる限り、論理に破綻はない。従って上の論がいかに妙に聞こえるとしても、少なくとも「モーツァルトを聞けば病気にならない」という本を書いた人、出版社、書店は私の論を支持しなければならない。(高周波が出る要因を別に求めて反論するかもしれないが、論旨では賛成しなければならない。)
 これも一種の脱構築である。デリダの信奉者が聞くと怒るかもしれないが。

 あと反論が出てくるとすれば「そのレトリックはずるい」というのだろう。最初に「魔笛」という単語を出して、「悪霊が寄ってきそうだ」と繋げる。思わずうなずいてしまう。
 でも「魔笛」序曲の論評は悪くないでしょ。

 モーツァルトの音楽に他と違う特性があるとするならば、ここで評じた「小人さん」なのだな。同じ音の連続が多い、しかもなんかシャワシャワとしている。特に弦楽合奏。(このニュアンスはロックにはない。)
 もう一つ関係がありそうなのは「三度の協和音が不協和音に聞こえる」。協和音のくせに意表をつくのである。この流れているんだけど意表をつく、というのはモーツァルト特有みたいだ。(対抗できるのはオクターブを不協和音に聞かせたベートーベン。これについてはそのうちゆっくりと書きます。)このおかげで聞いていて、とても疲れる。疲れるということは、脳が刺激されているということ、だから神経症の治療には効果があるのかもしれない。「病気にならない」とか「免疫力が高まる」まで言わず、「神経症の治療に効果がある」くらいの主張なら、素直に納得できるのだ。

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