町の音

 赤ん坊は意味のある言葉をしゃべれないときでも、声くらいは出す。うちの下の子はよく「あうあー」とうめいていたので、おもしろがって「好きなバイオリニストはだあれ」と聞いて「あうあー」と答えさせ「そう、アウアーが好きなの」と親ばか丸出しのギャグを開発した。
 ところが芸としてお披露目をする前に「バイオリン」と発音できるようになってしまい「好きなバイオリニストは」と聞くと「バイオリン」とオウム返しするようになった。実につまらない。が、動物や星や楽器の写真を見せて名前を教えているうちに、バイオリンの写真を見せると「アマティ」と発音するようになった。ただしストラディバリを見せても「アマティ」という。「f字孔の形が違うでしょ、アマティはもっと丸っこいのよ」と教えると、やっと最近分かったらしい。なお、グァルネリは最初からアマティと誤解しない。写真を見ただけの1歳児でもその差が分かるのだろうか。(後でよく考えると、アマティと誤解したのはストラディバリとロッカだけである。)

 アマティもストラディバリもグァルネリも、イタリアはクレモナのバイオリン製作者である。
 なぜクレモナで良いバイオリンが作られるかという理由にクレモナの町の騒音をあげる人がいる。一つの要因ではあるだろう。オーディオでもドイツ製のスピーカーはドイツ語の歌がはっきりと聞こえるという話がある。
 では、と考えた、日本でも同じようなことがあるに違いない。町の持つ音がバイオリンの響きに合うところがどこかあるんじゃないかと。それはどこだろう、もちろんバイオリン製作者の出身地を探せば傾向はつかめるのだろうが、よく考えると多くの人がクレモナに修行に行っている。あまり参考になりそうもない。というわけで「日本人バイオリニスト」の出身地を調べてみた。
 判明したのは、東京の音がバイオリニストを育てるのに向いているということである。「バイオリンウェブ」の人気投票日本人上位10人中6人が東京出身(庄司紗矢香、諏訪内晶子、二村英仁、高嶋ちさ子、渡辺玲子、江藤俊哉)。それ以外は五嶋みどり(大阪)、前橋汀子(不明)、樫本大進(ロンドン)、竹澤恭子(愛知)である。確かに東京の人口は多いが、これの結果は人口比率を遙かに超える。これがピアノだと、例えば第15回ショパンコンクール本戦出場の4人の出身は、大阪・長野・千葉・茨城とそれなりにばらけている。
 その気になって聞いてみると、山手線と京浜東北線の轟音が混ざり合うと妙なる調べに聞こえるから不思議である。また東京のメインストリート銀座通りの騒音も御堂筋とかに比べると落ち着いているなという印象はある(道行く人が話をしていない)。

 というわけで、親バカの私はバイオリンを習っている娘の上達の一手段として東京の音を聞かせようと連れ出すことにした。が、なかなかその気になってくれない。
 仕方ないので東京から音を持って帰ることが多い。ただし町の音をナマロクして、、、というのではなく、何のことはないCDとかを買って帰るのである。
 どうしてもレーピンのスペイン交響曲は見つからないが、こんなの無いかなあと探すのにはいい町だ。さすが東京。そういえばCDが出たての時、ルービンシュタインのショパン、ポロネーズ集が輸入版で見つかって結構感激したなあ。先日もパガニーニ編曲のナポリ民謡「ベニスの謝肉祭」の全曲版を探すと輸入盤で2種類も見つかった。
 国内の新譜も山野楽器で買うとミニコンサートの招待券がついてきたりとおいしいところもある。店頭でアナスタシアちゃんが弾いたりもする。やはり東京の音はバイオリニストを育てるには適しているといえよう。

 うちの子が音を粘って伸ばすのと、つなぎのフレーズをきちんと弾くところがうまくできないので、本人大好きな曲である「フランクVnソナタ」を材料に解説してやりたくなり、譜面を探すとすぐに見つかった。こういうこともある。

 すっとぼけて書いているのは、東京への情報の偏在が特にクラシック音楽の分野では大きすぎるということだ。夏に実家に帰ったのよ。一応50万都市だ。が、なんと「クラシックCDを手にとって買える場所がなくなっていた」。ゼロになったのではないハズ。が、一番大きな店が無くなっていたのはたしか。(ポピュラーのCD店はちゃんとあります。)
 多分先生だって少ないはずよ。子供がバイオリンを習いたいと言ったとき、もしこの50万都市に住んでいたら「先生がいるかなあ」と悩んでいただろう(もちろん絶対見つけるが)。だが先生はいてもよいバイオリンがない。少なくとも弾き比べができるようなところはない。これではよいバイオリニストが育つわけがない。
 音楽教育に熱心でない町というわけではないよ。少なくとも僕の小学校では「バイエル何番まで行った?」というのがあたりまえの会話だったから。
 ものすごい昔だが、カラヤンがコンサートを開いて誉めて帰ったホールなんぞもあるのだ。

 要するに日本では東京ないしせいぜい大阪に住んでないとクラシック音楽(特にバイオリン)の世界では相当ハンディがあるということだ(ついでに言うと交響楽団に顔が利く程度のお金がないとデビューは難しそうだ)。この点旧共産圏はよかったかも。シベリアのノボシビルスク、レーピンの父親は音楽学校に「アコーディオンを教えてくれ」と息子を連れて行った。ところがそこに「この子はバイオリン向きだ」と判断できて、鍛えて、中央の名伯楽のところに連れていけた程度の指導者はいたわけだから。日本では考えられない。

 どうすれば旧ソ連に近づけるだろうか。芸術促進のために日本を共産化しましょう、ではあまりなので、少し考えた。
 少なくともよい音にふれる機会を増やす必要はあるだろう。

 こういうところで千住真理子のような人が貴重になってくる。連日全国でリサイタルを開いてくれる。しかし疲れるだろうなあ。圧巻は10/10〜16の7日連続のコンサート。東京・神奈川・新潟・宮城・札幌。もちろん移動してすぐにコンサートだろう。よく体が持つものだ。同年代として心配である。飛行機という気圧が低く騒音が大きな空間に毎日のように閉じこめられても耳が狂わないというだけでもすごい。
 あ、皮肉に聞こえる?彼女に特に悪意は持ってません。でも、感覚は僕と相当違うなあ。バッハの2本のバイオリンのためのコンチェルトを二重録音したCDのタイトルを「愛のコンチェルト」とするような逆説的なセンスはこっちにないし、ストラディバリ「デュランティ」についてのインタビューで「なぜ私のところに来たのだろう」などという台詞は死んでも吐きません。
 文京楽器に失礼だろう。このバイオリンが売りに出たとき、すぐに千住真理子を思い浮かべて、相当のリスクをとって入手してきてくれたんだ。「旧知の楽器屋さんが、私に弾いてほしいからと苦労して日本に運んできてくれました。その楽器屋さんにお礼を言うとともに、これほどの楽器にイメージを重ねてもらえた自分を誇りに思います」くらい言ってもいいと思うぞ。私の感覚では、その方がかっこいい。

 それでも千住真理子がここまで無理しなければならないほど日本の演奏家の層は薄いのだろうか?それはヨーロッパというところに行くと、ミケランジェリの孫弟子といった人があちこちにいるそうだが(おかげで、知り合いを3人挟むとミケランジェリに行き着くようになった。スモールワールド理論バンザイ)、庄司沙也香も五嶋みどりも活動拠点は海外にある。

 というところでタイミングよく「題名のない音楽会21」で木嶋真優という人がでていた。たしか国費留学生(平成14年度文化庁派遣芸術家在外研修員)。ストラディバリを弾いていて国費で留学するというのもどうかなと、外交官も公用車は国産じゃないといけないんだから、と思いながら、同時にまあ、派遣期間中はスズキの国産バイオリンを弾いていたのかもしれない、それに大使館で出す酒は日本酒じゃないと駄目という規制もないらしいから目くじらたてることもないんだろうとフォローしつつ、考えた。そうか、こういう人間に地方でのコンサートを開かせればいいんだ。もちろんノーギャラで。各地の教育委員会に連絡すれば交通費と滞在費くらいは出してくれるだろう。税金を使って特別待遇を受けている以上そのくらいの還元は必要だ。修行中の身かもしれないが、テレビには出ているんだ。コンサート開くくらい問題なかろう。
 というわけで、国費留学者に習得した技術の社会還元をやっていただければ東京以外の音も多少よくなるのではないかという気になってきた。発想としては自治医科大学校やコレージュ=ド=フランスと同じだ。
 個人の留学に国費で助成を受けても報告書を出せば終わりというのはやはり予算の有効な使い道とはいえまい。

 というわけで木嶋真優ちゃんをネタに書かせてもらいましたが、国費留学官僚が早期退職することにペナルティを課すという時事ネタにもこっそりと関連しております。

 いや、真優ちゃんにも恨みはないんだけどね、じいさんorばあさんのサイトを見るとげっそりするのが普通だと思うぞ。少なくとも、孫娘かわいさがほほえましさを感じさせる範囲をぶち切っている。
 ともかく、受け取った特典の社会還元は必要よ。とりわけ人に無い才を持っている場合はそれを社会に還元するべきよ。(父親がこんな考えの人だと、家族が苦労すると「ローマ人の物語」で塩野七生も書いているが、まだお嬢さんと言っていい年齢だし。)
 ぶっちゃけた話、うちの子が「魔王」を実演で聞きたがっている。これをステージで弾いてくれる人が木嶋さんくらいしか見あたらないので、TV出演だけで帰らずにリサイタル開いてくださいという希望を持っているということなのよ。

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