コンピューターを音楽教育に活かす

 うちのガキのバイオリンの音がまた悪くなってきた。
 メリハリが無く、音も汚くなってきた。フレーズの切れ目がとれないのが原因ではないかと思った。
 というわけでパパのお説教。「要するにクロールで泳いでいるとき息継ぎのタイミングを取らないようなものなの。口が水面からたまたま出ている時に慌てて息を吸ってなんとか息継ぎしているような状態であるわけよ。本来あるべき息を吸う分の時間飛ばしているわけだから、テンポは走るし。音を出すだけで精一杯になってしまう。要するに余裕が無くなってアップアップしながらフォームぐちゃぐちゃで泳いでいるようなものなの。」
 本人は意味が分かってか分からなくてか「でも25メートル泳げるもん」と主張して聞き流している。要するにヴァイオリンの弾けない父親の言うことは聞かない。(母親はヴィオラが弾けたらしい。)説得力がないのは認めるが、絵本読んでやっているだろう。文体とストーリーによって声質、速度、イントネーションがあれほどまでに変わる(七人声ではないぞ)の、ちゃんと聞いているよな。うーん。

 これは本人に分からせるのは、自分の演奏を一度録音して客観的に聞かせるしかないだろう、と考え、「マイク買ってこようか?」「ほしいほしい」。で買ってきたが、容易に想像されるとおり、本人は早速マイクを持って歌っている。が、気がついた。歌える曲が極端に少ないのである。アンパンマンのマーチとおしゃれ魔女ラブ&ベリーの曲2曲くらいしかない。何故少ないか、歌謡曲がないのである。なるほど、歌える曲が少ないから「フレーズの切れ目でブレス」という感覚が身に付いていないのか。ひょっとして音楽を「フレーズ」単位で切るというセンスが備わってないかもしれない。アルトサックスで息づかいの感覚を、と高望みする前に「まず歌わせないと」と思った。
 習字をしていても歌い出してしまうという問題児のうちのガキですら、歌い慣れていないことによる音楽理解の浅さが目立つ。感覚が悪いというわけではないハズだ。確かに問題児なんだけどね。サロンコンサートに連れて行ったら演奏に合わせて歌い出したことすらある。でも弁護。演奏者が「この曲はどう弾いてよいか楽譜に書いていないので、どう弾くかを考えないといけなくて、、、」なんて言うモンだから、ガキは自分で考え始めたらしい。コレルリのトリオソナタ作品5なんだけど、うちのガキによると冒頭は「夏の夕暮れ」のイメージなんだって。大人の頭では夕暮れというと「夕焼け」という先入観があるが、夏至の頃の夕暮れは空が白くなってそのまま暗くなってゆく。うちの子が音楽の向こうに見たのはそんな風景だったらしい。で、それを表現すべく歌い出した。マナーとしては最悪だけど音楽的には間違っていなかったので、親ばかのパパさんは怒れなかった。

 そういえば、鼻歌をよく歌うけど、器楽曲だなあ。登校中に歌っているのはブルグミューラー「アラベスク」らしいし。(ところで歌曲と器楽曲を譜面にしたときの違いって知ってます?歌曲は8分以下の音符に旗が付く、器楽曲は隣の音符と棒でつなぐ。小学校で習った覚えがあるのだが常識ではないらしい。その証拠に「Singing AEON」のロゴは器楽曲の8分音符である。)

 数少なくなった歌番組で出るのは日本語を切りまくった曲だし。文部省唱歌を歌わせても勉強にはならないし。うーん。昔の歌謡曲って適当に難しくて、適当に日本語を生かしていて、それなりに良かったのだなあ。大塚愛でも買ってこようかと思ったが盗作疑惑の固まりに金を出すのは勿体ない。仕方ない、アニメソングに活路を見いだそう。で、金曜7時。ドラえもん、、、あれ?歌詞が意味不明なものになっている。クレヨンしんちゃん・・・論外。。。仕方なさ過ぎる、おジャ魔女どれみに再登場願おう。続編「おジャ魔女どれみナイショ」のDVDを借りてきたら下のガキも気に入ったようだし。(最終回はありがちなファンタジーだがちょっと怖かった。温暖化が進んで2月末に桜が散り始め、平均寿命が相当縮んでしまう未来。)

 歌を歌いすぎて問題児になっているガキですらこうなんだから、真面目な児童を相手に、合唱指導/器楽指導にいそしんでいる先生やお稽古の先生は、最近の子は以前と違う、と悩んではないのだろうか。そのうちに小学校の器楽でもストラビンスキーを演奏するのが流行るかもしれない。(大幅なアレンジが必要。春の祭典、冒頭のファゴットを小中学生に吹かせるのはさすがに無理だろう。高校生ならできるらしいが。。。音の高さはあれでないといけない。低ければ地面にはいつくばったまま。高ければ大地から離れてしまう。)

 というわけでマイクを使った特訓開始。当初の予定は、演奏を録音して自分の演奏を客観的に聴かせるということだったので、パソコンのハードディスクに録音すればいいや、CDにでも焼いてやれば本人喜ぶだろう、と甘く考えていたのだが、歌となると、CDのボーナストラックに付いているオリジナルカラオケとミキシングというのも有りだなあ、、、ミキシングはソフトウェアでやればいいや、お父さんこれでもショッピングセンターのイベントでジャズバンドが演奏したときにミキサーをやった程度のキャリアはある・・・あれ、結構D/A変換って時間がかかるのね、つまりCDをかけて一緒に録音しようとすると音が無視できないほどずれる、と、いうことは、USB接続の外部入力ボックスを買ってこないといけないのかなあ?げげげ、更に金がかかる。うちは食べていくだけで精一杯なのよ。おとーさんとおかーさんの会社なくなっちゃったの知ってるでしょ。(これは、うちのガキに倹約させるときに使う言い回し。嘘ではないのだが、商法上は存続しているハズなので微妙。)

 いろいろと製品を見る。E-mu、うう、名前を聞いただけで目頭が熱くなるぜ。(一部のロッカーにしか分からないだろうなあ、この気持ち。)付属ソフトてんこ盛り。ソナーって、あれだよなあ(私の友達は、スネアだけは自前のソナーを抱えてスタジオに行っていた)、、、思いっきりその気になってしまった。半年ほど倹約を続ければ買えるかもしれない。

 買うには大義名分がいる。音楽ソフトで音楽製作が簡単になると、自分のイメージを音として表現するには手っ取り早い。それは練習して弾けるようになるのが王道だけど、回り道が長いと子どもは飽きてしまうし、そもそもやらないかもしれない。音楽をやりたい!と思ったそのときに、シーケンサーとソフトウェア音源という形であってもすぐに使える楽器を提供し、操作を補助してやってでも「自分で」音楽を作ったという喜びを与えてやることが大事なんじゃないか。オーケストラを集めなくても、高い楽器を買わなくても、譜面をそれほど勉強しなくても、それこそ鼻歌を録音して主旋律、少々変更。伴奏を付けて、伴奏の楽器を変えて、アーティキュレーションをいじって、ズルしているけど自分で作曲が出来た、それが音になって出た!この喜びがやがて努力して練習して今度は「自分の手で」旋律を奏でよう、という意欲を生むかもしれない。
 コンピューターを音楽教育に持ち込むとこういう効果があるのではないだろうか。

 嫌になるほど手慣れた理屈付けだ。しかし、全国で2、3人くらいは音楽の先生がうなずいてくれたかもしれない。研究授業のネタにはなるぞ、クラスの歌を作りましょう、なんてね。
 さすがに40分じゃ無理か?

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