うちのガキも大好きなバイオリニスト、レーピンは、結構意地の悪い演奏をする。作曲家とサシで渡り合い、作曲家の迷いを堂々と指摘する。音楽ネタ、目次へ曲から作曲者の苦悩を引っ張り出すのはポピュラーだがレーピンの場合はいかにも高尚な苦悩を代弁するのではない。作曲家が作曲中(一部作曲後)に迷ったこと、悩んだことを「あげつらう」のである。
ラヴェル、ツィガーヌの演奏はラヴェルが哀れになる。「あなたはこの曲をこれ以上難しくできないほどにアレンジしましたね。確かに難しい。でも、あなたはこの曲でバイオリンの魅力を引き出せたのかどうか、ホントは悩んでいたんでしょう。」
ラヴェルといえど頭をかくしかない。で、きまりの悪い思いをさせておいて、「でも、ちゃんとバイオリンの魅力を引き出してますよ。ほら。」
作曲者と対等以上になった演奏家を初めて聞いた。スペイン交響曲。「あなたはお母さんがスペイン系と言うことで、この曲がスペイン交響曲と呼ばれていることに居心地の悪さを感じてますよね。」オイオイ。それを音で言うか?「こうしたらどうでしょう。昔からスペインは民族対立の内乱が絶えなかった。だから第1楽章はバスク、第2楽章カタロニア、第3楽章アンダルシア。そして第4楽章で戦乱に疲れた姿を描くんです。で最後はみんなが融和して平和を歌い上げる。こんなスペインをあなたも願っていたでしょう。」
ブルッフの協奏曲(これは放送)、ブルッフの迷いはこんな感じだろう。いい曲を書いたと思うけど、我ながら自信のなさが現れているなあ、ついつい大げさに盛り上げてしまった。後の世の人からは、二流の作曲家とみなされるんだろうなあ。もっと素直に書いた方がよかったかなあ。
これに対してレーピンはブルッフの大げさなところをあげつらいつつも、最後の最後に「でもね、あなたは間違いなく偉大な作曲家として、この世に存在していましたよ」と称える。この男の友情には泣けてくるぜ。悪魔のトリルはちょっと違う。クライスラーのカデンツァにもの申している。「あなたは悪魔のトリルを見ましたか?」でタルティーニに「私が夢で見た悪魔はこんな感じでしたがいかがですか?」
そんなレーピンが、クラシックの大メジャーレーベル、ドイチェ・グラモフォンと契約し、その第1弾が出た。(これに対抗するメジャーレーベルといえば「デッカ」だが、なぜ「デッカ」というか知ってます?音がデカいからです。嘘じゃないけど信じてもらえんだろうなあ。)
ベートーベンのバイオリン協奏曲とクロイツェル・ソナタのカップリング。組み合わせが妙だが、まあいいか。競演はムーティ&ウィーンフィル、アルゲリッチと豪華。さすがメジャー・レーベル。
ベートーベンのバイオリン協奏曲のようなメジャー曲は、ある程度実績がないとなかなか録音させてくれないそうです。ついチャイコン&メンコンのカップリングを出してしまった庄司紗矢香さんは、売れなかったのでしょうか、発売後わずか1年で廉価版にされてしまいました。大メジャー曲を録音するというのは、それなりに覚悟のいることなのでしょう。さて、バイオリン協奏曲の演奏。連想したのは、ショパンのピアノ協奏曲1番。叙情性におぼれたくなるが、おぼれてしまうと気持ちいいのは弾いている人と熱狂的ファンに限られるという微妙な曲。もう一つ思い出したのはギトリスの「ベートーベンよりクライスラーの小品のほうが難しい。自分で曲を構成しなければならないから。これに対してベートーベンは元々構成がしっかりしているので気を使う必要がない」。
ならば、ショパンと違って、ベートーベンなら構成に甘えて叙情性におぼれることも許されるのでは?一つ一つのフレーズにとことんまでこだわって弾いてみよう。バイオリンならピアノよりはるかに繊細な表現が可能だから、むしろ向いている。バイオリンでは不足する低音は、ウィーンフィルが支えてくれる。どうしても音量は小さくなるが、ドイチェ・グラモフォンの技術陣がきっと捉えてくれる。
それにしても、なんという語彙の多さだろう。ポリーニあたりが発祥らしいが、現代の演奏は、ワンフレーズ、ワンフレーズに思いを込めて、というより、全体の構成に気を配って緊張感で一気に聞かせる、というパターンが増えてきたらしい。レーピン、今回はその流れに逆行。
バッハがブランデンブルグ協奏曲を書いて以来、協奏曲というのは独奏楽器の魅力をオーケストラと共に引き出す、というパターンが多くなっていたが、それを引き戻したという感じ。超絶技巧のオンパレード以外でこれほど独奏楽器のわがままを通した演奏は珍しいと思う。一方ではソロの思い入れたっぷりな演奏が、時として「地味で退屈」と評されるベートーベンのバイオリン協奏曲第1楽章に今までにないきらめきを与えているという側面もある。
惜しいのは第3楽章のキメのフレーズ。どうしても音量不足。ここをピアノ以上の音量で弾いて「ベートーベンさん。あなたはピアニストだから、どうしてもピアノの感覚で作ってしまった。でもバイオリンでもここまで決められるんですよ」と弾いてほしかった。さすがに無理か。。。カップリングのクロイツェル・ソナタ。最近アルゲリッチは丸くなったのか、共演者に合わせて弾くようになった。第1楽章、第2楽章はそんな感じ。ときどき「やるわね、坊や」(アルゲリッチから見れば、レーピンはまだ坊やだろう)というところが見える。
が、第3楽章。コンドラシンとのライブ盤、チャイコフスキー、ピアノ協奏曲1番の第3楽章を髣髴させる。久々にアルゲリッチらしいアルゲリッチ。しかも、しかもですよ。「オイ、息ぴったりじゃないか。」全然関係ないですが、私がバイオリンで「ちょうちょ」を弾くと下の子(3才)が歌って踊ってくれました。ちょっとうれしい。(上のガキがバイオリンを弾いていたとき、がまんできなくなったニョーボのセリフ。「どこが悪いか分かる?いもうとがおどってない!」きびし・・・。妹はそれからしばらく「おどれ」とけ飛ばされ続けました。でも踊りだしたら、踊りだしたで大変。「もういっかいひいて」。)