コンサート・ドロップアウト

 「グレン=グールド 孤独のアリア」という本によると、グールドの中で何かが崩れ去ってしまったのは、ベートーベン、ピアノソナタ31番の演奏中だったらしい。著者はその時を第2楽章と推測しているが、もう少し耳を澄ませてみよう。それは第3楽章の166小節目だ。ここで会心のC音を叩いた瞬間、コンサートピアニスト、グレン=グールドは逝ってしまったのである。

 ベートーベンの後期ピアノソナタは、悪魔的難曲、ハンマークラヴィーアを除けば、技巧的にはむしろ易しい部類に入るといわれている。しかしもちろん安易に弾いていいわけではない。特にこの31番はそうだ。第三楽章後半のフーガ、緊張が高まる一方で息をつけるところがない。フーガのテーマはすぐに倍の速度になり、三倍、四倍、最後には六倍にまで一気呵成に登りつめる。しかも、最後は右手で六倍速を弾きながら左手で等速、全体として半速のテーマがうねる。恐ろしいほどの盛り上がりだ。千秋、のだめですら、現在連載中、手こずっている。

 問題の箇所は、三倍速の最後の部分にくる。だいたいのピアニストは、この音をさらっと流すのであるが、グールドは力強く叩いたに違いない。普通の演奏を聞き慣れた人にはミスタッチに聞こえるかもしれない。グールドはミスタッチに聞こえたと感じたに違いない。聴衆を「ミスするのを期待している血に飢えた聴衆」と被害妄想気味に感じているグールドは、そこで後戻りできなくなったのだ。フーガは続く、四倍速・五倍速・六倍速、もう息を継ぐ余裕はない。せめて、2小節後にDes音が来なければなんとかなったかもしれないが。
 この1音、外れているようにも聞こえるが、身震いするほどかっこいい。まさに会心の1音。しかし聴衆の前では叩いてはいけない音だったのだ。グールドもストックホルムのライブではさらっと流している。

 極論すれは、グールドの並外れた感性が創る演奏の型は、多くの場合通常の解釈からは大きく外れているため、間違いととられやすい。だからライブでは誤解されるのだ。グールドが「俺様の音を聞け!」という千秋タイプでない場合、そもそもライブをやることに無理があったのかもしれない。スタジオ録音なら、やり直しと編集作業の可能性が「間違いではないこと」を保証した上で、演奏を聴衆に届けてくれる。
 惜しむらくは、グールドがCBSに録音を残したこと。どうもあそこの録音はほこりっぽい。しかしアメリカ大陸だからなあ。
 是非カルショーと組んでほしかった。録音でなければできない演奏・録音を目指して成功した2人。舞台では不可能な、配置を実現し、楽器を使用し、エフェクトまでかけたニーベルングの指輪の録音プロデューサーと、解釈/楽器を変えた演奏テープをつなぎ合わせたピアニスト。相性はぴったりだと思うのだが。

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 今更ですが、正月特番のだめカンタービレについて。
 やっぱりあのホルンとコンマス、プラハ放送交響楽団の団員だったのだ。音楽家があれだけの演技ができるとは、まだまだヨーロッパに追いつけないところはこういうところにあるのか。すごくなっとく。

 千秋のヨーロッパデビュー曲、ブラームス1番に差し替えられていたが、これは支持。多分ピアノに編曲すれば分かりやすいが、不器用な曲。しかし「おれは20年かけてもこんな交響曲しか作れなかった。しかしオレの音楽を聴いてくれ」という謙虚さがある。デビューにそれを選んだのは悪くない。カッコ悪いからこそ、カッコいい、というものもある。

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