6年生を送る会、というのがあり、1年生〜4年生で合唱をするらしい。うちのガキ、3年生ながら指揮者に立候補したそうな。選考会みたいなのがあったが、ボーっとしていたせいか拍節が狂ったらしい。合唱が止まってしまったそうだが、そこで「すみません。今のところ私が振り間違えました。もう一回いいですか?」と言ったとか。(多分休符を飛ばしたんだろう。)音楽ネタ、目次へ
この、あまりに渋いギャグのせいか、見事に指揮者に選ばれた。きっと先生はのだめカンタービレを見ていたんだろう。本人は指揮者コンクールに優勝した気分になっているようだ。実際に上手かったのかもしれない。だって小学生の合唱で、小節の一拍目が流れたくらいで歌が止まったんだよ。普通、何事もなかったかのように歌うよ。合唱していた人はうちのガキの指先を、しっかり見てくれていたことだけは確かなようだ。なお、小学校1年生のときに、おわりの会で指揮をすることになった、どうやるの?と聞いてきたので、指揮法の「叩き」だけは教えた。(各小節の一拍目は垂直に、加速度を付けて。)うちのガキは絶対音感があるので、ときどき何かを叩いては、何の音?と聞いて遊んでいる。ところがトニック=ソルファ法の音名(要するに発音しやすい半音の音名)を教えられてから、僅かの音程の狂いも気になりだしたみたいだ。ミのシャープとファは違う音と主張して融通が利かない。電気屋さんで展示してあるキーボードを叩いて「チューニングがずれている」と大声を出したときはどうしようかと思ったぞ。本人それくらいのずれが分かって当然だと思っているようだけど、本当はうっとうしいんじゃないかなあ。
あまりに融通が利かないので、楽器を使わないできらきら星を演奏するというアイディアは没になってしまった。お父さん残念。いや、学校のお楽しみ会で「音楽をやると声をかけたら楽器のできない子が集まった」とぶーぶー言っていたの。じゃあ、と、教室のあちこちを叩いて、ドからラまでが出るところを探して、きらきら星を演奏したら、と提案したが却下。完全に正確な音程でないと嫌らしい。転校生を送る会のとき「この教室で過ごしたことを忘れてほしくないので、教室を使って演奏をします」というと絶対受けるぞ、と言っても駄目。まあ、これは大人の発想なのかな。(結局、お楽しみ会では「君を乗せて」を編曲して合奏したらしい。不思議なんだが、できたみたいね。リコーダーではイ短調にしないと無理なはずなのに。絶対音感を盾に本人断固拒否。どうやったんだろう。少なくとも先生には受けたそうだ。ついでに言うと、次のお楽しみ会から音楽志望の子がどっとふえたそうだ。)普通、絶対音感は持っているといいものと思われているが、こういう融通のなさを生むこともあるらしい。まあここまではよく言われているが、さらに弊害が出てきた。ハ長調以外のスケールが弾けないのである。
これは、階名(ドレミファソラシド)の呼称を音名(本来ハニホヘトイロハ)にも使うという日本独特の教育方針が多分いけないのだが、スケールをブツ切りの音の連続として捉えており、シャープがついたところがシ、フラットがついたところをファとして歌う、という発想になっていない。それどころか、短調すら弾けない。ラシドレミファソラの悲しい音階が感覚的に捉えられず、ソが出てくるたびに半音あげればいいじゃないか(和声的短音階の場合)、三度が出てきたら半音下げればいいじゃないか(同主調の場合)、と思っているようだ。そのかわり、ドリアンスケール(レミファソラシドレ)は抵抗なく受け入れる・・・すみません。これはアリエル(ディズニー、リトル=マーメイド)の影響です。
おかげで、ピアノでハ長調以外を弾くと、半音のところでコケやすい。テンポラリで叩く鍵盤を調整しており、スケールとして捉えていないからである。そのためか、ものすごく上達が遅い。
正直なところ、ピアノは駄目かな、と半ばあきらめている。(それでもクラスで歌を歌うときのピアノ伴奏は担当しているらしい。パパとしては感無量なのだが、あれで通用するもんなんかい。)手の形も悪い(悪いまま覚えてしまった)ので、うーん、先生変えてあげようかな、とまじめに考えている。というわけで、他の発表会を視察していたりするが(いつもレッスンに通っている教室が小さいながらホールを併設しているので、そこで発表会などをやっていると覗いている程度)、いずれもいまひとつ、である。どこがいまひとつかというと「中堅層がいない」。上手い子は上手いが、下手な子は小学校中学年になっても下手。スカルラッティとかハイドンを弾く子が何人かいると、この先生は子供を上手にしていくメソッドを持っているな、と安心して任せられるのだが。個人的にはクレメンティのソナチネop.36-3の第1楽章を弾いている子がいるとすごく落ち着きます。
先生のよしあし、って結構あると思うけどなあ。うちの子は保守的なのか今の先生がいいと固執するが、先生のよしあしが大きく影響することを分かってはいるんだ。一度上手な人に毛筆を習った。30分で字が変わった。本人にとっても結構なインパクトだったらしい。伸びしろがあったということか?そうだろうね。でも市の展覧会に学校代表で出してもらえるくらいは、すでに上手だったんだけどね。(結構多才みたいだ。)
まあ、先生によっては教えるのが急に上手になることもあるようだ。とあるバイオリンの発表会。一人を除いて下手だったが、あるとき急にレベルが上がった。うちの子も「よくわからないけど、先生の教え方が変わったんだよ」と言っている。詳しいことは僕も分からない、けどうちの子がどう感じているか聞いてみた。 「どこが変わったと思う?」「前の発表会では知らない曲を弾いていたけど、今度は知っている曲を弾くようになった。」それはうちのガキの知っている曲が増えたから・・・だけど、いいとこついているかも。以前は、同門の誰かが弾いた同じ曲を次の発表会で弾くのを遠慮する風潮があったみたいだけど、積極的に同じ曲を(あるいは有名な曲を)やるようになった。きっとそうすることで刺激しあうようになったんだろう。こんな推測は可能。それと重音を積極的に弾かせている。すると弓の扱いが上手くなるんだろうね。
しかし、バイオリンの先生を替える気は毛頭ない。確かに上達は遅いが、意識的にじっくりやっているらしい。ビブラートすら教えていない。とにかく素でいい音が安定して出せるように、ということみたいだ。(うちのガキは、いい音が出ないと楽しくないでしょ、と怒られているそうな。) しかし、あれだけ融通が利かない絶対音感の割りに、どうも音程の狂いが大きいんですが、いかに練習していないか、モロに分かりますな。