ロックでもポップスでもない「けいおん」

 レッド・ツェッペリンを解読格子として「けいおん」を読むと、ロックでもポップスでもない「けいおん」という音楽ジャンルが生まれていた、という結論が出る。ストーリーもかなり出来ている。特に彼女らが駆け上がった過程を紹介した章のタイトル「Just for Fan」は僕以外考え付かないだろう(当然「それが僕には楽しかったから」原題:Just for fun〜ちなみにLinux誕生の物語です〜のもじり)。学園祭LIVEのあと、CDはないですか?と何人かの生徒がやってきたのに応えて、部費の足しにと始めたCD-ROM販売が思わぬ利益を産み機材が揃ってゆく。更にはニコニコ動画などWebを通じてファンが無償のプロモーションを行う。最後は版権は自社で管理するから今後手を引け!とプロモートをやっていた人たちがポニーキャニオンに言われる現実的なシーン。涙ながらの交換条件として「僕らのサワコのCDを出してくれ」と言うところなど、自分でも感心するほどの妄想力である。
(つまり、山中先生はかつての親衛隊に「教え子たちが軽音部を復活させた。いい線行ってるから、聞きに来て」とメールを出したのだ。高校生と一味違う技術と機器のある彼らがプロモーションの中心となった。ようするに彼らも一発でファンになったわけだ。証拠は、ライブの時の歓声。前より後のほうが男の声が多い。最初は付き合いだから声は出さない。でも演奏を聞くと思わず。)
 ただしまだ文章に落とし始めてはいない。Zepを解読格子として使ったからなんだが、なぜ30年前のUKでは、同じようなシチュエーションからパンクロックが生まれて、今の日本では「けいおん」なんだ、これが分からない。だから「結果としてけいおんというジャンルの音楽が生まれた」は言えても「なぜけいおんという音楽が生まれたか」が説明できない。この回答を導くためには多分渋谷陽一の著作をあさるのが早道なんだろうが、サウンドストリートを欠かさず聞いていた私もロッキングオンは読んでいない。(それは「UKではロックからパンクが生まれ、日本ではJ-POPSからけいおんが生まれた」と書くと、するっと納まるんだが。)

 また、レッド・ツェッペリンを聞いていても僕の感覚はやはりおかしいようで、Song Remains the Sameが、喉を痛め、全盛期の声を失ったロバートプラント他のメンバーが励ましている曲、にしか聞こえない。というわけで、桜高軽音部、卒業演奏会はあずにゃんのボーカルで是非これをやってほしいなあ。その際、ベースとギターのネックを並べて唯と澪が1本のマイクを分け合うというビートルズスタイルのステージングで・・・紬がボーっとなって手が止まるから駄目か。もちろん12弦ギターは山中先生ね。・・・妙にリアリティのある妄想だなあ。「キティちゃんは双子なんだね」というのを聞いて「そりゃ猫の子は一度に何匹も生まれるでしょ」と返したようなもんだ。(この辺の妄想は「大きなタマネギの下へ!」という章立てで詳しく書きたかったが・・・ここは僕よりよく書ける人が沢山いるだろう。)
 プラントが喉を痛めたのは不摂生によるものかもしれないが、それはあんな無茶な歌い方をしていたら数年で喉はつぶれる。マリア=カラスだって10年たたずに声をなくしたんだから。
 その他僕の感覚はどうしようもなく変なようで、たとえば名高いSWF「WalkingTour」が「中高年の自殺を思いとどまらせるためのもの」にしか見えない。ところがWebを検索しても、そう言っているのは一人しか見つからない。所謂電子マネーを「あんなの信用できるか、ようするに財布を渡して代金分取ってくれと言っているようなものじゃないか。初期のSuicaのように相手がJRだけ、なら不正があってもJRがやったとわかるからそこが不正を防ぐ。クレジットカードはカード会社が監督している、しかし」と言うと、これは皆さん納得してくれるが。

 もう開き直って、自分でも絶対おかしいと思う妙な感覚を紹介。ナポリ民謡「ベニスの謝肉祭」である。なぜ「ナポリ民謡」が「ベニス」なのか、誰に聞いても答えは返ってこないが、塩野七生さんの『海の都の物語』を読んで、分かるような気がした。ベニスの謝肉祭は、これを主題とした変奏曲のほうで有名なので、それを元にするとしっくりくる。更にパガニーニ版よりも、レーピンがアンコール用に編曲したほうが似つかわしい。レーピンは、各変奏を個別の特殊奏法を紹介するか、のように弾いているが、これがまたよい。
 この曲はおじいさんが子どもや孫にベニス旅行の土産話をしている曲なのだ。主題では船に揺られながら大運河脇の船着場に着く。ダブルストップの連発で、ベネチアングラスのカッティングを見学し、スピッカートで大道芸を楽しむ。そのほかも聖遺物を見学したり、絵画の素晴らしさに感嘆したり、そういったいろんな場面があるのだろう。あるいは謝肉祭名物の「仮装」が変奏そのものだとか。最後のピチカート、名残惜しくもベニスを離れる。
 世界最古のCMソングは、フニクリ・フニクラと言われていたが、それに先立つウン百年前、ベネチア観光のCMソングが存在していたのだ。もちろん、レーピンの編曲は現代になってからなので、全然史実と合わないじゃないか、なんだがあまりにもおさまりがよいのだ。レーピンなら意識しているかも。

 ここのところレッド・ツェッペリンしか聞いていないので、妄想に拍車がかかっているようだ。やはりバランスを崩すのはよくない。ところがこの状態で例外的にピアノ初学者用のソナチネなんぞを聞いておると、妄想が膨らむかと思いきやなんと感覚が戻ってしまった。うちの上のガキが発表会とやらで弾くそうなので、クレメンティの作品36-1を聞いている。第2楽章をものすごい速度で弾く。のだめが言われたメヌエットをスケルツォのように弾くという表現がよく分かるような感じだ。これで第3楽章をプレストで弾けば言い訳が立つのだが、そういうわけでもない。
 多少は普通の弾き方を、ということで非常手段としてCDを聞かせたのである。ただし本人、このテンポに全然納得していない。
 じゃあと自分でも第2楽章を、第2楽章らしく弾いてみた。ピアノじゃ無理なので、ギターを抱えて、である。なんとチョーキングもスライドもハンマリングも一切使わず、全音ピッキングになってしまった。どういうことかというと、この曲ブルース的要素が皆無と言うことだ。
 あたりまえだろうって?そんなことはない。ショパンのポロネーズ5番。ポリーニのショパンコンクールライブ、これはブルースに聞こえるでしょう。トッカータとフーガニ短調をパープルがハードロックでやって違和感ありますか?ヤマハ音楽教室の「つむじかぜのワルツ」。これはベックのScatterBrainでしょう。
 うーん、クレメンティがこれほど見事に分散和音とスケールだけの曲を書いていたとは知らなかった。ピアノ初学者のためのソナチネアルバムを編集した人は素晴らしいセンスだ。それにしても、当時は分散和音とスケールだけで作曲といえたのか。いい時代だったなあ、オリジナリティがどうのとかポリシーがどうのとか肩肘はらず、ありがちな曲をさらっと書いて、それなりに練習して、そして楽しく弾く。馬鹿にしてるんじゃないぞ。うらやましいんだ。僕がやり残したことだからな。で、そういう音楽を、現代日本では「けいおん」というのだ。


 唐突に出てきた「ベニスの謝肉祭」。塩野七生が日本への示唆が多い、とした『海の都の物語』で書かれているヴェネチア文化の最終形で書かれています。その章のタイトルが「ヴィヴァルディの世紀」。当時国力を使い果たしたヴェネチアがヴィヴァルディを生み、 今、国力を衰えさせつつある日本が「けいおん」を生んだ、とすればものすごくかっこいいのですが、残念ながらクレメンティはイタリア人ながらもう少し後の人。ヴィヴァルディを「けいおん」と比較するのはさすがに失礼。通じるところはあるんだけどね。僕自身ヴィヴァルディの理解が浅いので〜10才の娘のほうがはるかに分かっている〜ここまで手出しは出来ない。ということで少々不完全燃焼ながら、上段の文章で終わらせます。
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