退屈すれば粛清だ

 涼宮ハルヒの憂鬱、ようやく第4話まで見た。京都アニメーションのライブの作りを確認する、というのがきっかけだが、実は「こんなに近くで(長門ver)」があまりにすばらしく、人にこれほどのものを作らせるとは・・・と感動しいつか見たいと思っていたことによる。
 反則だろうが、ひとつだけ指摘したい。涼宮ハルヒって母子家庭だよね。

 子どもが公園で遊ぶというので、付き合った。いつもと違う面子がいた。一緒に遊んでやるが何か違和感。あとで娘に聞く。「ひょっとしてみんな一人っ子?」「えーと、そういえばそうだねえ。」いずれ詳しく書くかもしれない。中国の一人っ子政策は大問題を抱えていた。品質が下がるはずだ。
 私は理詰めの人間に見えるが、それはとんでもない思い付きを証明するために、はっきり言うと、突拍子もない思いつきに見えるが、情報が揃えば誰にでも当たり前に思いついたかのように感じさせるまでに練り上げた結果である。先日小学校の時の作文を父親が送ってくれたのだが、驚いたことに小4の終わりにブレークがあり、今のスタイルが確立していた。
 「涼宮ハルヒは母子家庭」するとキョンの位置づけが分かるだろう。父親の不在はハルヒ自身の特異点。これはもう少し見ないとな。たぶん一般に言われているのとは全然違うテーマがあぶりだされてくるだろう。なんとここでも脱構築が可能だった。ただし自分では証明できないことが不思議と分かっているので、これは書きっぱなし。

 あれ、ハルヒに父親いたの?ということはモデルはあの子ではないのか。ふーん。心象風景が落ち着くんだがなあ。まあおかげでハルヒについて発言権ができた。モデルを知っていたとすればルール違反だからなあ。そういえばあいつはビリー=ワイルダーが好きだった。(また作者/監督がドキッとすることを。)ワイルダーの映画に行こうと誘われたことはなかったんだけど。あたりまえか。でも妙なものを探すからと(見つけたから)と呼び出されることは多々あった。(「卒塔婆がカタカタ鳴ってますよ。」で連絡が来る。残念ながら幽霊には会えなかった。)高級マンションの扉を突破したシーンも、なつかしいような忘れたいような。だからあのときのハルヒが軽く会釈する後ろ姿にだけは、私は発言権がない。間違いなくこの目で見たんだから。

 「こんなに近くで」のユーザー作成プロモーションビデオに感動したと冒頭に書いたが、出るべくして出たのが分かった。「涼宮ハルヒの憂鬱」最終回が、マーラー8番、千人の交響曲の極めつけのプロモーションビデオになっている。これが隠れた才能に火をつけたのだろう。
 正直言ってマーラーの8番、たいしたことはないと思っていた。音量で聞かせているだけだ。ピアノに編曲してみろ、退屈だぞ。第1楽章冒頭でいきなり最高潮になるだけに後が続かない。第2部コーダなど無残だ。が、本当は超一流の映画音楽だった。なんかマーラーファンの反発を買いそうなので言い訳を。
 えーとわたし、ハイドンを交響曲と認めてません。あれは管弦楽のためのソナタです。交響曲が生まれたのは、ベートーベン「英雄」第1楽章、始まりからおよそ10分、もう駄目だ、主題はズタズタだ、いくらベートーベンでもこれ以上の展開は不可能だ、と、そこまで引っ張っておいて第3主題が流れ出した瞬間です。モーツァルトの交響曲も、ステージのオープニングと間奏曲とエンディングをまとめて演奏するとこーなる、というものでしょ。純粋に音楽だけで人を50分間集中させることを試みて、成功したのが交響曲「英雄」です。ところが音楽で人を集中させうることを前提として作るようになってから交響曲は変わってゆきました。例えばブルックナー7番。あれは世界-内-存在の脈動を表したものだから長くていいんだけどね。マーラー1番は伝統的交響曲。5番あたりで怪しくなる。7番は人によっては「ヘビメタ」という。8番は映画音楽。ただしマーラーは映画を知らない。ワーグナーになるとは音だけでは仕方がないと悟ってはっきりと映画音楽(楽劇)を作る、と。
 でも「集中できなければ、それは出来ないほうが悪い」という態度が出ないだけ立派なもの。退屈させないよう仕掛けはある。シューマン3番「ライン」これもいきなり最高潮になるが、編成が小さいだけ息が続く。うちの子に説明した。シューマンの伝記まんが、ライン川に身投げしたとき「うわあ」と叫んでいるがそんなことは絶対にない。「ひょっとして僕は飛べるんじゃないか」とふわりと浮いたつもりで飛び出したに違いない。行けば分かる。オーバーカッセラー橋から川を眺めると、本当に飛べるような気になるんだ。

 調べてみると、ハルヒでの「マーラー8番」の使われ方、絶賛されてますね。そりゃそうでしょ。ラトルの指揮を持ってきたセンスは超絶的!だって僕ラトル聞いたことないけど、ラトルだってわかったもん(ハルヒに触発されて超能力が戻ったか)。が、別の話で使われているショスタコ7番「チチンブイブイ」の評価、うーん、ちがうんじゃあ。これはどこかで私が言っておかないといけないと思った。京都アニメーションの音楽のセンスは完璧。(いったい誰が?飯島さん、ひょっとしてあなたが就職したアニメ会社って・・・。)でもこの音楽、ショスタコービッチ7番「レニングラード」を語る人「自分の耳で聞いてない」。
 どうして「チチンブイブイ」が「戦争のテーマ」とか「侵入のテーマ」と言われるんだ。強いて言えば「抵抗」のテーマだろう。いかにもドイツ軍の侵攻に対して、ひとりが小さな声を上げ、それに周りの人が少しずつ同調して(説得のシーンもある)、やがて大きな力になる、にしか聞こえない。あまりにも分かりやすすぎるので見逃したか?まあショスタコがそんな稚拙な手を使うなんて、ファンとしては考えたくないよなあ。
 プラウダが絶賛した曲に退屈だなんて言えば粛清だからなあ(つまり集中できないほうが悪い)・・・ショスタコにこういう甘えがあるかどうかは、、、私にはまだ聞こえません。

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