オリジナリティがないくせにやたら売れている漫画「けいおん!」であるが、「レフティ萌」だけは発見だと思っている。もちろん偶然だ。作者が左利きなので登場人物を左利きにしたに過ぎない。音楽ネタ、目次へ
左利きの比率は男女で相当異なっており、男性20%、女性5%というのを聞いたことがある。その分希少価値は高いわけで、それが萌につながっているのであろう。
「萌」が理解できない私であるが、まあ「これは萌を狙っているな」までは推測できるようになった。というわけで、新番組「スマイルプリキュア」がターゲットをより広い年代に定めたことは理解できる。
じゃあなんで「レフティ萌」などというオリジナルに気がついたか・・・単純だ。昔の彼女が左利きだったからである。鉛筆は右で持つが、消しゴムは左。便利そうだった。ノートを右で書いて左で消す、極めて合理的である。後に私がラインマーカーを左右の手で飛ばして入れ替える技を発明したのは彼女の思い出ゆえである。ちなみにけいおん!の唯たちと同じ大学(かなあ?寮に入っていることからダム女じゃないでしょ)に行った。ヒントを言うとおそらく日本一水銀に汚染された土地である。
おっと萌えない話題になってしまった。そうだ!今回書きたいのは彼女の思い出ではなく「レフティ」の話であった。かつて「けいおん!」の作者が「左利きの悲哀を書きたい」と書きながら結局「楽器の選択肢が少ない」しか描けなかったことに苦言を呈した。なぜ「秋山澪のベース入門」を書かない、と。世界初の左利き用教本だぞ、と。
「けいおん!アンソロジー」なんぞを書いているよりも絶対に健康的で、名前が残る。イラストを満載すれば確実に売れるから出版社も乗ってくるはずである。
まあ、当時の感想はそのくらいで終わっていたが、気がついた。「左利き用の方がいいのだ。」
たしかに五線譜には右利き/左利きの区別はない。だから教本もどっちでもいい。その発想は間違ってないと思う。が、「イラスト満載」だぞ。よく考えろ。
つまり、教本に描かれた澪のイラストの場合、フォームが右利きの自分が構えたときと鏡対象、つまり「前後が逆になる」のだ。教本の中が右利きだと、これが「左右が逆」になる。この場合自分のとるべきフォームは頭の中で翻訳しないといけないので面倒である。つまり思い切り逆説的だが、右利きのフォームを写真に撮った教本は「実は左利き用」だったのだ。右利きのためには左利きが構えてくれたほうがよい。「つまり澪が適任」なのだ。
この傾向は動画になるとさらに顕著になる。うー、作者ってなんて志が低いんだ。本人左利きだから、右利きの人をモデルにした教本にある左利きならではのメリットに気がついてないわけがない。
なるほど、ここで「澪のベース入門」ができて皆のレベルが上がってしまうのに抵抗があるんだな。きっと本人音楽が嫌いなんだろう。(と、ここまで考えてしまった。作者が「澪のベース教本を出す」と言えば反対する人はいない。せいぜい出版社のキャラクタ契約がどうかと言う問題くらいだ。で、出せば僅かかもしれないが上達する人が増える。これってロックを愛する者として、すんごく嬉しいことじゃないか?)最近「志の高い」まんがと思っているのは、サンデー連載中の「ハヤテのごとく」。
確かに最近ハヤテはストーリーとしてはつまらなくなっているけど、弁護しときたい。
「世界名作劇場に夢を与えてもらった自分は、自分がかなえた夢・・・漫画家になりたいという夢を持っている子どもたちを応援して、恩返しをしたい」
という志が伝わってくるので、漫画への熱い気持ちに共感して、応援している。
が、絵が可愛くなくなってきているのは却下。