Simple is beautiful

 ニョーボの母校の学園祭に行ったことがある。
 ロボットを作っていた。マジンガーZ風の胸当てがかっこいい。いい具合に曲げてある。ところが、この胸当ては意図して曲げたのではなく、ロボットが転んでいるうちに自然とカッコよく曲がったのだとか。なるほど、ロボットとはいえ丁寧に作りこむと魂が宿り、そこには自らをカッコよくしてゆくという本能のようなものが働くに違いない。
 なぜ丁寧に作りこんだと分かったか。左右対称に曲がっていたからである。もしバランスに細心の注意を払うことなく作っていたのであれば、転ぶ方向に偏りができて、多少なりとも非対称になるはずだろう。

 心が宿る、とまで言わないとしても、機能性の実現手段に製作者の美意識が反映されてくるのは間違いない。それでもって実現する機能に最適な形と製作者の美的感覚が自然に一致してくるのが一流の入り口なのではないかな。なので物理学にまったくの勘を持ち合わせていない当方はディラック方程式がなぜ美しいのか全く分からない。さすがにオイラーの等式が美しいと感じはするが。
 本田宗一郎さんくらいになると、エンジンの設計図を見ただけで「ここが美しくない」と問題点が予見できたそうだ。

 なわけで、自作マイク第4作。3作目のFETプリアンプ組み込みで弦楽四重奏を録音し「言うことなし」と言っていいくらいの完成度を自認させてもらったが、それでも引っ掛かるところはあった。
 録音の完成度は明らかに勝っているのだが、音の生々しさについて言えば外付けFETなしのパッシブ型の方がいいところもある。分かりやすく言うと、こうかなあ。

 当たり前のことですが、出来上がったところで動作確認をします。本当はなんかの曲を録音したりする方がいいのだろうが、ちょっとピアノ弾いてみて、とも言いにくいので普段の家の中の音を録ってみる。当然子供の声とかが入るよね。ここでプリアンプ組み込みは再生音を聞いて「おっ、よく録れている」と満足感が湧くのだが、パッシブは、声のした方に視線が向く。それだけ音が自然ってことだ。
 確かに残響感をはじめとする細かい音まで録れているという印象は少ない。いかにも生々しいというわけでもない。が、あたりまえに音がある、のだ。
 たまたまプリアンプ組み込みマイク持っているときに通りがかった駅前で録った吹奏楽アンサンブルの音。人数の問題と演奏環境の差を引いても、夏にとった近所の高校の音の方が原音に忠実だった。
(奥にはバスターミナル、上にはモノレール、前にはゆるきゃらに駆け寄る子供たち、と破壊的なシチュエーションなのを差し引かないといけないが。)

 なら、パッシブ型、いろいろ事情はあるとはいえ問題作のままにしておくのはよろしくない。反省を含めてしなければ。茶こしケースに収まるサイズのものを見つけることは極めて困難と思っていた2.2μFのフィルムコンデンサは、秋葉原にWIMAの在庫があった。マイクを支え音を仕切る革ボタンを綺麗に網に接着するという解決不能だった問題については本職の工業デザイナーがアドバイスをくれた。サブシャーシをつくってそこに付ければどうだ。
 そこで、サブシャーシを支えるベースとなるサイズで基板を切り出し、削ってみると、きれいに茶こしの中央に収まった。6ミリのボルトをスペーサー候補として買ってきて仮組すると、ボタン(こんどは直径30mmでさらに厚いのを見つけた)が丁度茶こしの網に収まり、接着せずとも微動だにしない。これで心配した「サブシャーシを薄いプリント基板で支える」という構造上の懸念が解消した。なんなのだこのフィット感は。さすがは腕利き工業デザイナー、ここまで見えてアドバイスしてくれたのか?
 コンデンサが変わったので、基盤の配線パターンを見直したが、これまたびっくりするほどきれいに書けてしまった。そしてついにGNDは1点に集中。オリジナルの回路図を最初に見たときは決してきれいだとは思わなかったが、こういうことだったのね。この美しさを乱すものがあるとすれば、それは私の工作技術以外に考えられない。それでもだいぶ昔の勘を取り戻してきたのよ。もともとうまくはないですが、失敗のやりかたはずいぶん思い出した。
 なので、マイクカプセルに取り付ける電線は、作りやすさ優先の単線から撚り線に換えた。単線は鳴きが乗るとかであまり推奨されないそうな。その代り電線は吟味。銀メッキ7芯。ただし在庫の関係から線の色はドイツ国旗からフランス国旗に変更である。いや、ロック好きの立場からユニオンジャックの色と言っておこう。スコットランドの独立が成立していたら、青の代わりにウェールズの緑を持ってくることになっていただろうか。
 線の構造上、「アース線をマイクカプセルに1回巻き」は廃止。それでも電極をケースの外周で支えて電線被覆を接着剤で補強する、の力学的なアレは続行するつもりが、偶然出来た「とびぬけて感度の高いマイク1個」がなぜ生まれたかを考えるうちに、方針変更。ひょっとして再現可能では、とやってみたらあっけないほどうまくできて。よしこの半田付け技法は門外不出にしよう。じ、自分の才能がこわい。瞬間接着剤、プロ用まで試してみたが、あれだ。やっぱり僕にはアラルダイトが似合っている。

 もっとも単線と撚り線、被覆の剥き方からして勝手が違い、安いが貴重なマイクカプセルをまたもや無駄にした。(実は問題なく使えるのだが、単線の作業性の良さに慣れると、その時間で組めないのが癪でついついやり直してしまった。あとやっぱりはがれやすいね。)

 通常、動作確認をしながら組み上げてゆくが、ここまでシンプルになると一発で組み上げないと、手を止めたというだけでも音に反映しそうだ。抵抗のリード線なんぞ、いちいち紙やすりで磨いてから半田付けしてるしね。でも半田付け失敗リスクの高いマイク部分だけは動作確認しないと。できるか?簡単だ。第1号機をばらして取り出した基板部分を使えばよいではないか。愛着がないとは言わないが、しょせんは試作品だ。

 さて、これを見た多くの人は突っ込むだろう。「マイクのケースに使っている茶こし、なんとかならんか。」最初に美意識がどうの、と書いている奴としては矛盾してないか?ということである。
 美観として優れているとはいえないのは認める。でもIKEA好きなんです。ソフトクリーム50円だし。あのヨーロッパ的食堂が何ともいえぬ郷愁を誘う。
 確かに単体マイクとしてのデザインなら、これはない。私もそう思う。しかし、レコーダーとともにスタンドの上に据え付けて(脚付きの1脚を買った)、ワンポイント録音スタンバイ体制をとった時、男の子の心にぐっと来るものがないかなあ。適度にいかついレコーダーのボディからメタリックなドームが先端に付いた翼が生えているかのようなフォルム。宇宙ステーション的美意識を感じないか?これで太陽電池駆動だったら、もーたまらんでよ。ただし、宇宙船式セッティング以外には向かない!というのも事実。やっぱりこのケーブル長30センチのダイレクト接続、あってこその音だと思うからな。

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