Ring! Euphonium

 RING RESOUNDING
 この恐ろしく響きの良い書名を見るたび、私はその著者と同じ戸惑いに囚われる。
 なんて見事に響く音なんだ、しかし、実際にどう発音すればよいのだろう。
 この本を書いたカルショーもワーグナーの楽譜を見て思っただろう。なんてすごい音楽なんだ。しかし現実にはどう響かせればいいのだろう。
 ワーグナーの頭に響いていたであろう音を演奏することは不可能。しかしカルショーの手には、ようやく実用化されたばかりとはいえ、ステレオ録音の装置とマイクがあった。
「実演不可能な音であっても、録音し、編集して提供することは可能だ。それができれば、音楽を録音するということが生を超える可能性がある。」
こうしてワーグナーの超大作「RING」ニーベルングの指輪は録音開始となった。そして1959年「ラインの黄金」リリース。黄金を積み上げるあの音は、ステレオ装置で再生することが「挑戦」以上のことを未だにリスナーに許さないほどのものすごさを秘めている。

 おかげで私は、RINGという動詞に対して、違った印象を持つようになってしまった。SOUNDだと「鳴る」であり、それが「響いて」いるさまを表現するためにはRINGを付けないと足りないと。実際に英語でもそのような使われ方をしているようで、RINGするのは鈴に限らず、声についても使われているようだ。笑い声が響き渡る時、それはRINGという動詞で示される。

 なので「響け!ユーフォニアム」なるライトノベルが、アニメーション化されて実に素敵なのだが、ただし英訳したタイトルが「Sound! Euphonium」であることだけは納得がいかない。これでは「鳴れ!ユーフォニアム」である。ここは「Ring! Euphonium」にしてくれないと。
 京都アニメーションは相変わらずすごいと思うよ。けいおん!で洛北のイメージをきっちり伝えて、今度は宇治市の雰囲気を見事に出している。(ついでに言うと出町枡形商店街、どうすれば空気までを描写できるんだ。)宇治川と賀茂川、って確かにあんなふうに違うんだよな。
 かなーりマイナーな楽器、ユーフォニウムを持ってきたのもひょっとしてアタリかもしれない。
 というのは、楽器の役割や目立ち度を除いて考えると、ユーフォニウムが一番絵になると思うのだ。少なくとも女の子が持って絵になる。木管は全体的に小さすぎてバランスが悪い。フルートもずいぶん横に行ってしまうので「顔のアップ」しか出せない。オーボエやクラリネットは小さい上に黒く、存在感がどうしても希薄になる。金管だとトランペットやトロンボーンは確かにカッコいいけど、管が奏者から離れすぎる。サックスは楽器の役割的にも花形なんだが、ストラップで吊り下げているもんだから、吹いてない時はただの道具に見える。チューバは巨大すぎて奏者の顔まで半分隠れる。パーカスは奏者と楽器が別々の足で立っているからなあ。
 残るはユーフォとホルンなのだが、移動中は小脇に抱えるホルンよりも、常時抱きかかえる形になるユーフォニウムの方が「かわいい」です。ただしある程度奏者の体格がないとね、ということで主人公、黄前久美子ちゃんの身長は高めの161センチ。うん、素晴らしい設定だ。ちなみにこの子、私の高校の時の彼女にイメージが似ててそういう意味でも応援してます。ただしスペック的にはさすがに彼女が劣る。除く胸。あー、わしわししとくんだった。人類が二本足で立って以来、後悔が先に立ったことはないと言われている。

 格調高くワーグナーで始まった話が、下世話になってしまった。これが一挙に下がったのであれば「急落法」という修辞技法として言い訳もできるのだが、これでは単にだんだん地が出てきたようにしか見えんではないか。

 ええい。そこで
 吹奏楽を始める皆さん。ユーフォニウムは持っている姿がかわいいです。女子力アップのためにどんどん希望しましょう。
 と、無責任に盛り上げて終わりとしておく。
 アンサンブル上は、中低音域にくるアンサンブルの隙間を埋めて、木管と金管を繋ぐきわめて重要な役割をしていると思うんだけどね。それは「響け!ユーフォニアム」の伝説の場面ともなりそうな山上の二重奏を聴けば何となくわかるでしょ。よい弦楽四重奏団はビオラが要になっているように、よいアンサンブルはユーフォが要になっているような気がいたします。
 あれほどビオラにカッコいい役割を与えてくれたボロディンは、ユーフォニウムのためにも1曲くらい書いてくれてもよかったのでは。もっともボロディンの書いたのは男のカッコよさ限定かもね。「おれはカッコいいこととはこういうことだと思う。どう実現するかは君に任せる。」楽譜が奏者に語りかけてくるように見えるだろう。

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