臨済宗の奥義

 妙にお経がにぎやかな宗派であった。
 ただし私の耳は衰えたとはいえ特別製である。
 なるほど。

 お経の効果を高めるために、いわゆる鳴き龍現象=部屋の持つ定在波を利用しているようだ。
 声の高さを天井と床の定在波の起る周波数に合わせて、響きを持続させているように聞こえた。
 かなり派手に鳴らす鳴り物はその周波数を見つけるため、とすれば読経の準備として辻褄が合う。

 この仮説が正しいとすると、臨済宗のお寺は天井が床と並行で比較的高さが低い、といった特徴があるはずだ。さあ、わが子よ理科の自由研究として。あ、夏休みの宿題に自由研究はないのかね。

 従兄が亡くなったんだよな。言いたいことはいろいろあるが、すごい人であったことは確か。
 TandyのTRS-80にはじまって(ワンボードマイコンもあったらしい)、8801、9801、98XL2、H98と「人から半歩先んじるには人の倍投資しないといけない」と猛勉強。あまりにも実力があったのでワリを食ってきたが、やったことは凄い。県立高校の入試判定プログラムを書いたそうなのだ。プリンタで出力すると2時間。それがノーエラーで動いた。プログラムの性質を考えると恐ろしいプレッシャーである。バグがあったら引っ掛かった人の人生は狂う。その辺にいるシステム開発者(含む管理者)の「今度の進捗会議でどういおう」「障害報告どうしよう」と小さくなっている人のプレッシャーとは違うのだ。他人のせいにするという逃げ道なんぞない。そんな言い逃れが頭をよぎる人にとって、システム全体の品質は、悪い言い方だがどうでもいいのだ。自分の分担を極力小さく区切って逃げ回っていればよいわけだ。(それでもまだ自分で作っている人はマシだ。どういうものをどう作るかのイメージも持たず進捗管理やっている人に比べればね。)

 でもそんなプロジェクトであっても、従兄のように受験生の将来への責任を自覚して、かつ誰が使っても間違いようのないプログラムを書いてきたような、全体の品質に気を配り続けた人が何人かでもいれば、そんなに悲惨な状態にはならないんじゃないかな。
 「システムの全体像が分かっている人がいない」聞き飽きた開発失敗の理由である。この言い回しのどこが悪いかというと、そういう言い方をするとそういう人が存在可能であるかのようにひびくではないか。そんなひとなど存在するわけがないのに。でもシステムがスムーズに動くことに責任を持つ、すくなくとも責任感を持つ人は存在可能なのだ。本来はプロジェクトリーダーである。なかなかそうはいかないんだけどね。でも、そういう人をきちんと評価する組織文化ができていれば、手を挙げる人が出てくると思うよ。  残念ながら、システム開発を製造工程としてとらえ、できて当たり前、と思っている人にはそんな人のすごさがわかるまいが。。。外為ディーラーに勝率99%を要求しとるようなものなんだがな。相場変動ほどシステム開発は速度にシビアではないから実際には70%くらいの勝率のディーラーに匹敵する人材とみるべきかな?  一回従兄をへこましたかったなあ。


 告別式から戻って出社、さっそく従兄に教わったことが役立った。
 隣の人のノートパソコンの調子がおかしい。電源がすぐ切れる。バッテリーも充電している様子がない。
 従兄はすぐに「バッテリーを外せば使えるよ」と回答してくれた。
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