行かずとも書ける、コンサートレポート

 今年初めて見た夏休みの宿題のパターンに「コンサートレポート」というのがある。
 ようするに音楽を聞きに行ってレポートにまとめて来い、というのだ。
 必要時間は短くないが楽な宿題だ。そういう意味では夏休みらしいかもしれない。
 私らの時は「曲を選んで感想文を書いてこい」だった。これは曲を選ぶ事ができる程度の予備知識。曲を聞いて感想といえるものを感じるという音楽的センス。さらには音楽を文章に変換するという筆力の必要なとても難しいものだ。
 コンサートレポートだったらどうだろう。手近なコンサートを選ぶことができれば半分終わったようなものだ。音楽的センスが皆無でも書くことはいろいろある。
 行くコンサートを選ぶまでの経緯。準備したこと。当日は随分暑い日で閉口したこと。休憩時間でジュースがおいしかったこと。帰り道に同じコンサートに行った友達と会って話をしたこと。そんなふうにいろいろ書ける。曲に関して書くとしても一曲に絞る必要がないので、書くことが尽きたら同じコンサートで演奏された他の曲について書いて字数を増やすこともできる。だから先生が「コンサートレポート」としたのは特に音楽的なセンスがなくとも、まじめにやればいい点をとらせてやろう、と意図してのことかもしれない。このように思いやりのある宿題にはしっかり応えたいものだ。
 しかしここまで寛大だとやる方も楽だ。なにしろコンサートに行かなくても5枚くらいはすぐに書ける。こんな風に、だ。


 クラシック音楽のコンサートに行ってレポートを書けという課題が出た。
 特にその手の音楽に慣れ親しんだという経験がないので吹奏楽をやっていた従兄に相談すると「ホルストの木星がいいよ」ということだった。「平原綾香が歌詞を付けて歌ってヒットしたということもあるしね。」従兄の話によると「木星はホルンが大活躍するんだ」そういえば従兄の吹いているでんでんむしのような楽器はホルンという名前だった。

 でもどこでやっているのかわからない。そういえば市民文化ホールの案内に「夏休みコンサート」というのがあったことを思い出した。Webで検索してみるとメインは「くるみ割り人形」らしいが、しっかりと「木星」がある。値段も手ごろだし、よしこれだ、と思った。

 木星、は「惑星」という組曲の一部だ。しかし「惑星」が全曲演奏される機会は滅多にないらしい。なぜか終曲の、本当に最後の部分だけに女声合唱が入っており、これを再現しようとすると急に出演者数が増えてステージの配置や出演料など問題が生ずるということだ。話によるとホルストの遺族が全曲の通し演奏にこだわったとかで、どうしてもこの女声合唱を省略できなかったらしい。皮肉にも遺族の「オリジナルに忠実に」という配慮が演奏機会を奪うことにつながったわけで、そう考えると遺族の罪は重い。しかし木星だけは、ホルスト自身がとりだして編曲し、それがイギリスで第二国歌と言われるほどに愛されたがゆえに、例外的に演奏会で一曲だけ取り上げられることが多いそうだ。
なぜホルストが女声合唱をほとんど無理矢理のように入れたのか。あくまで僕の推測だが、ホルストの本職に原因があるのではなかろうか。パンフレットによるとセント・ポール女学校の音楽教師だったという話だからこの曲を発表する際、合唱部の顧問から「うちの部員にも出番を与えてくれないか」とお願いされて入れた、ということかもしれない。

 チケットは近所のコンビニで端末を操作して買った。1人というのがちょっとさびしいが仕方ない。駅から徒歩15分というので歩いたのだが、最寄駅が快速停車駅と思い込んでいたのが失敗し、一駅戻ることになった。時間的には30分の余裕を持っていたので間に合ったが、とても暑い日でホームで立っているときはうんざりだった。しかも駅まで歩く。細い道なのでGoogleMapsを見ながらだが、風通しが悪く、かといって日陰になるところがなく、あっという間に汗だくになった。ようやくホールが見つかった。入口が少し低くなっていたので戸惑ったが無事入場することができた。席に着いて周囲を見回すと、ところどころ知った顔がある。同じようにレポートを書こうとしているのだろうか。なんとなく親近感を覚えたがあえて声をかけるのははばかられた。ペアで来ている人と話すのはきまりが悪いものだ。

 さて、木星だが、先ほど女学校の合唱部と書いたが、この曲のオーケストラ部分もひょっとして元々は同じ女学校の管弦楽部が演奏するように書いたのかもしれない、と思った。同じコンサートでのベートーベン「運命」第一楽章ではオーケストラが混然一体となって響いているのとは違い、木星では様々な楽器が個性を競い合うように響く。いや個別に鳴っている、といったほうがよかろう。技術的に劣った管弦楽団の場合この方が楽なのかなあと思った。
 平原綾香の歌った有名なメロディは、ホルンからはじまって音程が上がるとトランペットさらに上がるとクラリネットと担当楽器が変わってゆく。クラリネットを使わずともトランペットでそのまま伸ばせるだろうと思ったが、従兄の話によるとトランペットが下手だと高音が伸びないらしい。バイオリンに任せてはと思ったが、これまた幼少から練習してないと音程がおかしくて聞くに堪えないらしい。この辺からもやはり部活動レベルの管弦楽部を意識して書いた曲というのがうかがえる。
 後で従兄の解説を受けながらCDを聞きなおすと、この木星「すべての主題をホルンが提示する音楽史上最もホルンが優遇された曲」らしい。でもいつもよく聴く曲には普通にある一番、二番、サビという区別がなく、起承転結という感じの構成すらなく、丁度朝日新聞の天声人語のように起、転、転、転という感じの曲で、テンポも拍子もめまぐるしく変わったので、聞き終えた時にはなんか落ち着きのない曲だなあという印象しか残らなかった。

 同じコンサートの第二部、チャイコフスキーのくるみ割り人形の最後の曲「花のワルツ」の冒頭もホルン四重奏らしい。すごく柔らかくて優しい響き。同じ楽器でもホルストとはずいぶんな違いを感じた。従兄は「木星の第四主題、トランペットに主旋律を引き継いでから伴奏の和音に移ったあとがホルンとしてはものすごく気持ちがいいんだよ」と力説していたが、正直チャイコフスキーの方がいい曲と思った。

 帰りの電車、ホームで待っていると妙にバイオリンのケースを持った人が多かった。どうやらさっきのコンサートに出ていた日本フィルハーモニーのメンバーの人らしい。バスで帰るんじゃないんだ、とちょっとびっくりした。案外オーケストラってお金がないのかもしれない。クラシックやっている人っていかにもお金持ちなんだけどなあ。ホルンの人がいたら捕まえて話を聞きたかったのだが、見つからなかったのが残念である。


 ちなみに一番安易に仕上げる方法は、クラスメイトの吹奏楽部員を捕まえることだ。
 「例の宿題、協力してくれよ。コンクールの応援に行くからさあ。まず課題曲ってどういう観点で選んだの?演奏していて苦労したところは?」
 音楽の先生が応援に行った生徒に文句を言えるはずがない。
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