我が子には、福音館書店の「こどもがはじめてであう絵本」要するに「うさこちゃん」シリーズを全冊買って朗読してあげている。社会問題ネタ、目次へ
うさこちゃんのキャラクタが大好きだからである。(これが版元が変わって講談社になってからは今ひとつである。)非常に自立している。
例えば「ゆきのひのうさこちゃん」では、雪に降りこめられて泣いている小鳥を見つけたうさこちゃんは「そうだ いいことがある」となんとその鳥のために鳥小屋を作っている。これが日本人のキティちゃんなら、鳥を家に連れて帰って家畜化してしまうだろう。
ちゃんと鳥の尊厳と自由を守った範囲で援助するというのがうさこちゃんのすごいところである。またおとうさんのふわふわさんの教育方針にも共感するところがある。「うさこちゃんとゆうえんち」は例外であるが、その他の場合、こどもに「どこそこへゆくぞ」と強制しないのだ。「どこそこへゆこうと思うが、一緒にくるかい?」と尋ねている。うさこちゃんが主体性と自立心を持ったこどもに育つはずだ。
最初の訳者、石井桃子さんの文も秀逸である。七五調を基本とした読みやすく、響きやすい文体である。しかし、こどもに朗読していて分かったが、深い。「うさこちゃんがっこうへいく」の最後「さようなら。さようなら、またあした。」は未だに納得のゆく朗読ができない。この句読点の位置が、込められた思いが分かるゆえに、発音できない。
小学校3年生の時に隣に座っていた女の子。ものすごく朗読がうまかった。そういえば彼女のおうちには「うさこちゃん」シリーズが並んでいた。なるほど、小さいときから訓練されていたのね。今彼女どうしているかなあ。やはりこどもにうさこちゃんを読ませて聞かせているのだろうか。思い起こせば私の最初のコンビだった。一緒に何かやると力が4倍以上にはなるんだわ。あっちがどう思っていたかは知らないが。そんなわけでうさこちゃんにはまってしまった。でもあの絵描きにくいんだわ。耳は案外短い。目は顔の中心よりかなり下。はっきり言ってバランスは取りにくい。ブルーノ(作者)の線はすごいわあ。前述の「がっこうへいく」の最後のページの先生の腕。あんなのを描いたんだから天才だ。厳しさと優しさと力強さがこのうえなくあのシンプルな線に込められている。(それまで絵本にある最高の腕の線は、ピーターラビットの一コマ目のお母さんだと思っていた。)
ただし、さすがのブルーノも年齢のせいか衰えが目立つ。最新刊の「ミッフィーとメラニー」はどこかで見たような構図が並んでおり、違う点といえば、どうも人種差別撤廃を押しつけているようで鼻につく。「ちゃいろいおなかがいいなあ」などとはっきり言わせずとも、仲良くすると楽しいなと思わせてくれるのが「うさこちゃん」だったはずなのだが。
もっとも連れ合いに先立たれたのがショックだったのかも。いや本当はどうなのか知らないんだけどね。ミッフィーのおばあちゃんが死んだ話は、ブルーノが自分のために描いているようだった。だいたい絵本におばあちゃんが死んだ話なんかよほどの事情がないと取り上げないだろう。
多分この話、第二刷は出てないんだろうなあ。他が600円のところ、これだけ560円。しかもあちこちの本屋さんを捜し回ってようやく見つけた。(いやあ、元コンビの親戚が亡くなったような気がして、結構必死でさがしたんだわ。思い過ごしだったようだが。)
で例によっていろいろ考える。ミッフィーのうちはどこか。これだけで結構絞られてきます。オランダは干拓で作った国土だから、砂丘なんてものはほとんどないし、丘というものも少ない。でも、その位置だったら車で一時間も行けばドイツに入ってしまうのでは???
- 徒歩圏内に砂丘がある。(うさこちゃんとうみ)
- 自転車で行ける範囲に丘がある。(うさこちゃんとじてんしゃ)
- 遊園地までは車で一時間。(うさこちゃんとゆうえんち)
- 動物園までは汽車で一時間。(うさこちゃんとどうぶつえん)
うさこちゃんがオランダ人という根拠は2つ。ブルーノがオランダ人だから。ミッフィーの好きな色が濃いオレンジだから。あれはオランダのナショナルカラーです。やがてうちの子が「ミッフィーに会いにオランダにゆく」などと言い出しそうですね。お金を貯めておかないと。すっかりオランダファンになったりして。ドイツ在住経験のある父親としては複雑な気分。ほら、昔からドイツとオランダは仲が悪いから。。。
は、うさこちゃんの大のお気に入りのぬいぐるみの熊。あれドイツ製だよね。(テディベアはドイツのもの)。
そうかあ、オランダ人であるうさこちゃんに「ドイツと仲良くしなさい」と教えていたのか。なるほど、ブルーノは天才だった。