日本語嫌い

 「英語嫌い」では、日本語を英文に訳すと隠れていたニュアンスが分かりやすくなる旨のことを書いたが、逆に英文を日本語に訳すと日本語の練習にはなる。よく言われるように後ろから訳し上げたのではなかなかきれいな文章にならない。たしかに訳し下して日本語にするというのは難しいが、でも次第次第に慣れてくるものだ。

 表現をどう日本語になじませるかも悩みどころだ。一度提示したが、こんな文の訳を求められたことがある。

Nowadays we speak easily and naturally of the crisis through whitch our civilization is passing.
 これはむちゃくちゃ訳しづらい。日本語では「危機」はそれ自身「直面する」ものであって「通過する」ものではないのだ。したがって直訳はできない。(赤本は通過する危機、青本は直面する危機、黒本はその下を通り抜けている危機、だった。)
 しいて訳すと「現代、われわれは簡単に、自然にわれわれの文明が経験している危機について語る」となるかな。しかし「文明」に「経験する」という擬人法はなじみにくい。
 そんなわけで、これがテストでないとすれば「現代、われわれは安易に、あたりまえのように、われわれの文明社会が経験している危機について語る」。自分では合格点。

 とまあ、おかげさまで日本語が使えるようになった私は、人様に日本語を教えるときも結構自信を持って接することができた。

 そんな私が経験した国語の最大難問。「荒城の月の夏と冬の歌詞を作れ」。難しいです。どうしても「昔の光いまいずこ」に通ずるシチュエーションが見つからないのだ。夏は何とかなった。「静けさや、岩に染み入る蝉の声」のニュアンスを借りた。冬は・・・恥ずかしくてかけない。いかに春と秋に風物が集中しているかそのとき身にしみて分かった。
 そんな経験があるから「だんご3兄弟」で「春になったら花見、秋になったら月見」がそのまま「一年通してだんご」になるのか、その論理のギャップに腹立ちさえ覚えた。夏の何時、冬のどこでだんごを食べる!
 日本語はここまでくると本当に難しい。でもここまでなら使えるようになった。

 そんな私が作った国語の最大難問。夏目漱石の次の文章を自分ならどう書くか書け。

停車場はすぐ知れた。切符も訳なく買えた。
 回答例としては
 松山のような片田舎に行った人は周りにはいない。土地勘のないところでどうやって目的の松山中学に行けばよいのか不安であった。手紙には「船を下りると、汽車がありますのでそれに乗ってきてください。駅でお待ちしています」とある。しかし地図もなければ、汽車賃がいくらなのかも書いていない。知り合いの国鉄の人に尋ねてみたが、それは私鉄ですから分かりません、というつれない返事である。
 こうして不安な気持ちが解消しないまま船に乗った。ついたのは明け方である。さて、汽車はどこだろう。とりあえず船から下りた人がぞろぞろと歩いてゆくのでそれに従ってみる。なにやら先方にモクモクと煙が上がっているので、あれが汽車かと思うと案の定駅舎が見えた。
 やれやれ、停車場は分かった。さて汽車賃はと見回すと正面に駅員が立っている。松山中学に行きたいのだが、と聞くと「ああ、終点までですね。切符は5銭です」とにこやかに答えてくれた。随分と安い。あいにく細かいのの持ち合わせがなかったが、嫌な顔一つせず釣り銭をくれた。

 この問題、重要なのは回答ではない。回答を出すまでの過程である。そして自分が書いた回答と夏目漱石の文章をつき合わせて驚いてほしいのだ。私の回答例に冗長なところは無いと思う。でも漱石の原文に足りないものもない。
 なんて凄い文章だ!これが文豪か。日本語はここまでにできるのか。

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