リバイバルヒット「明日があるさ」の英語版が緊急発売されるという話を聞いて思った。社会問題ネタ、目次へ
「緊急発売といわずネット配信すればすぐではないか」そして
「緊急発売するというので分かっているはずだけど所詮一時期の流行りもの、在庫の山になったらどうするつもりだ。ネットなら在庫はできないぞ。」さらには
「売れ残っても、再販価格制度があるから値引き販売で在庫一掃セールができない。となると、流行りもののしかも英語版。引き受ける小売店なんてあるのかしら。直販の方がいいんじゃないの。だからネット配信が適しているのでは。」しかし、ネット配信による販売というのは今のところは掛け声倒れらしい。メッツがソフトの店頭販売を止めてネット一本にしたところ売り上げが76.9%ダウンしたらしい。そんな話を聞くとさすがに、ネット配信なんて考えず緊急でCDを作るというのが当然の発想だなと思う。
でももしネット販売が主流になったらどうなるんだろう、とこれを機会に考えてみるのも悪くない。
ここでいう音楽CDについては建前上、再販価格制度の部分撤廃によって旧譜は小売店による価格設定が認められた。その気になれば安売りできる。
しかし、ネット配信による直接販売であれば販売ルートの独占が生じるため、価格の下方硬直性は強くなる。なにしろ生産して在庫を持っておく必要がないんだ。売れ残りリスクはない。今回のように既存の音源を再発売する場合は生産コストも殆どかからない。ネットによる直販を導入すると小売業を流通過程から排除できるので流通マージンの分だけ価格が安くなると言われてはきた。しかし著作物が相手だとそうとも言えないことが分かる。自由競争における価格決定の理論は働かないし、生産コストに見合った価格で販売されるともかぎらない。
そんなわけで、中間マージンがどうのこうのといわれてもやはり小売業者は必要なのでは、と考えた次第。生産者と直接値下げ交渉をするにはネットに分散した個人はあまりに弱い。生産者に対して価格を交渉する流通の人たちが必要なんだろうなあ。
似たようなことはネット配信に限らず、流通を省いた取引全てについて起こりうるわけだから。インターネット黎明期にはネットの参加者は平等であることが前提だったはず。さて、ここに「商取引の強弱」が、それとはなしに持ち込まれた場合、マトモに機能するのだろうか。
なお、「明日があるさ」の英語版、CDというモノの形で売る場合にはもうひとつ問題がある。
一曲では淋しいということだ。なにかとカップリングしなければならない。候補としては「上を向いて歩こう」の英語版「スキヤキソング」かなあ。和訳すると凄い歌詞なんだそうな。懐かしいヨコハマ原曲の作詞者、永六輔がラジオで紹介して怒っていた。
懐かしいゲイシャガール
桜の花の咲く季節に
満開の桜の下で
ゲイシャガールとスキヤキ食べたい