言論の自由を守れというが

 赤報隊というのがいて、朝日新聞の支局で銃を撃ち、人一人殉職させた事件が時効になったらしい。そういえばそういう事件もあったなあ。
 すっかり忘れていたがこの時の赤報隊の声明、ひとつうなずける部分があった。《朝日は言論の自由を守れというが、そんなものははじめからない》というくだりである。そして《(朝日新聞は)われわれの主張を載せたことがあったか(載せるのは朝日新聞の主張だけではないか)》と続く。これだけを読めば「といっても新聞がテロリストの主張を載せるのはどうかねえ」という感想を持つのが普通だろうが、次の事例はどうだろうか。まあこれはテレビの話だが。

 高橋由伸外野手が読売巨人軍を逆指名する直前、系列の日本テレビ、独占スポーツ情報という番組で徳光アナが「高橋君、巨人を逆指名してほしい」と5分ほど主張していた。しかもスタジオにはその主張のためのセットまで用意して。(つまりアナウンサーが暴走したのではなく、会社ぐるみで主張していることを積極的に認めたことになる。)
 これって変ではないか。公共の電波で系列会社の利益になることを一方的にしゃべりつづけたわけだ。CM枠でもないのに。このとき赤報隊と同じような気持ちになった人も多いのではなかろうか。「その他の球団ファンの主張も電波に載せろ」という形で。徳光アナが責任をとって半年ほど画面に出るのを自粛するとか、番組が打ち切りになるとかとなれば、まだ納得ができるが、結果としては一方的に系列会社への利益誘導をし、しかもそれを誰もおかしいとすら思わなかったことになる。せめて各球団のファンにそれぞれしゃべらせる、という形式をとらなければ社会の公器としての責任を果たすことはできないのではないか。

 こんなのを考えると、赤報隊が銃を撃ったのは重ね重ね残念であった。言い分に頷けることはあっても、テロリストに分類されてしまえばその主張に賛成することはきわめて難しい。
 とはいっても主張の一端でもマスコミに載せるには銃を撃つしかなかったであろうことも納得できる。朝日新聞は「銃ではなく言論で戦え」と言うかもしれないが、赤報隊は何度も何度も自らの主張を朝日新聞に投書していたかもしれないのだ。あの銃撃は、無視されつづけて/思い詰めての最後の手段ではなかったのだろうか。知っているのは当事者だけだ。
 ただし、同じ朝日でもテレビ朝日が相手なら、裏取引で主張を載せることも可能かもしれない。銃を一発撃つ、誰も傷つけない代わりに主張を報道してくれと言っても、あの会社なら応じてくれるかもしれない。実績もある。ペルー大使館人質事件の時、抜け駆けしてテロリストに単独インタビューを試みようとした件だ。

 不思議なのは朝日新聞が警察の取材に応じたこと。普通犯罪捜査に使うから、資料を提供しろといわれた場合、マスコミは「報道の自由を守るため」と称して断るのではないかなあ。なぜ身内が被害者となったときは物証を提供する。
 だから時効を迎えて、朝日新聞はほっとしているのかもしれない。提供した物証を手がかりに犯人が逮捕されたら、今後取材しようとした相手に「あんたんとこには何もいえないよ。警察の犯人逮捕に協力したからね」と悉く断られても文句が言えない。

 報道の自由を守るということがこのとおりいい加減な側面を持ち、報道の内容が偏向している以上、暴走が目立つからといわゆるメディア規制法案が提出されても、それはあーた、仕方ないでしょう。
 例えば赤報隊事件の直後の朝日新聞による珊瑚礁傷つけ事件(珊瑚礁の落書きを写真写りがよくなるようにと削りなおした)なんかを通常の落書きと同レベルに処分したのではまずいでしょう。

 でも規制が「禁止」となるのは、今後のことを考えると感覚的にまずいなあとは思う。で、別の規制案を考えてみた。
誤報の訂正ルールを厳格化する。具体的には訂正記事は誤報と同一の取り扱いをする。つまり、新聞の一面トップが誤報であれば、訂正記事も一面トップ。レイアウトも文字数も同一(まあ一行くらい違ってもやむをえないが)。テレビであれば、同じ時間帯を割り当てる。

 問題は週刊誌である。芸能記事なんぞ誤報だらけだしなあ。。。よし、ゴシップ誌宣言をして、表紙と目次にその旨大きな活字で表記したものについては勘弁してあげようか。
 推測記事と誤報の区別が難しいんだよな。最近では「みずほのATMは4月30日に再び停止する」という推測記事があったが、結果的には誤報。さあ、これは誤報記事を見開きで載せるよう規制すべきか。(それだけの面積を「○○は誤報でした」という活字で埋め尽くすのも残酷だなあ。でも松本サリン事件で被害者の夫を犯人扱いした推測記事についてはそのくらいやってもらわないと、という気がするし。)

 どっちかというとテレビのほうが規制しやすい。「公共の電波を使っているから」という大義名分がある。ならば、CATVは多少甘くなるなあ、徳光の発言も読売ファンのためだけのCATVなら問題はないだろうし、と考えていて思いついた。「現行新聞社は販売網を無償ないし極めて安価で新規参入者に提供する」。前例はあるぞ。通信事業に新電電各社が参入したとき、NTTはそれに近いことをしなかったか?合衆国ではホンとに無償だったとか。

 報道の責任のとり方を、少なくとも誤報について明確とし、新規参入を容易にして競争原理を導入する。最低、この程度の規制は必要だし、反対もできないと思うのですが。このへんからやりませんか?全国の政策秘書殿。

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