文部科学省の行った学力テストの結果分析が発表された。社会問題ネタ、目次へ
発表を受けて、あちこちのマスコミが児童生徒の学力低下を憂えている。
確かに、円の面積くらいしっかりと求めろよ!という気はする。
下に答えが書いてあるのに、どうやったら間違うんだ?と疑問に思う問題もある。でも問題自身が悪いんじゃないか?というのも少なからずある。
例えば中一数学、9−(+4)×(−5)という計算問題。
無意味な引っかけ問題だ。どうして、9−4×(−5)と書かない!とかね。中一英語、原文直訳「私は小さな犬を持っています。彼女の名前はミミです。彼女は走るのが好きです。それで早朝、私は彼女と一緒に公園まで走ります。そこで私たちは人々に会います。彼らはとてもミミに優しく、また私に話しかけます。私は町にいる多くの人を知りませんでした。今私は多くの友達がいます。私はミミに感謝します。」
ここから読みとれることは?という問題で、正解が「一朗はミミを飼うまでは、町の人とあまり親しくしていなかった」なんだそうな。
理解はできるが、同様の読解をビジネス文書、例えば「システム仕様書」を読む相手に対して求めることは出来ない。「分からない」と言われても文句は言えない文章だ。ましてや、プログラムを海外に外注することが当たり前のようになるであろう将来を担うソフトウェア技術者には、英語だからこそ曖昧さのない読解をすることを教えるべきである。
従ってよりよいソフトウェア技術者を育てるという観点からは「正解なし」としていただきたい。
ところで、厳密に言うとミミを紹介する2文目の主語はit's nameでなくHer nameなので、1文目の犬を受けているわけではない。つまり1文目とは全く関係ない女性がミミということになる(ちなみに3文目の主語はShe)。つまり正解から類推すると、こいつは女を飼っていることになる。人権侵害だなあ。でも、まあここまでは揚げ足取りに近い。人間が歩くときに足を上げることを止めない限り、揚げ足取りのネタはなくならない。そう考えるとこのくらいの問題は見逃してあげるべきかもしれない。
しかし次の問題は許せない。
<中2社会>正解は「イ」だそうだ。
次の年表を見て、問いに答えなさい年表中の(a)のころ(引用者注:1914〜1925)の社会の様子と特色を説明しているものを一つ選んで、その記号を書きなさい。
年代 おもなできごと 1904 日露戦争が始まる 1914 第一次世界大戦に参戦する 1925 治安維持法が制定される 1931 満州事変がおこる 1937 日中戦争が始まる ア はじめて鉄道が敷かれたり、郵便制度が整えられたりした。
イ 東京や大阪が大都市として発展し、文化が大衆化した。
ウ 経済の高度成長により、世界有数の工業国となった。
エ 空襲などで工場が破壊されたため、工業生産が低下した。
私がこの問題に正解を出せたのは、大和和紀の「はいからさんが通る」を読んで、大正の時代背景にある程度理解があったからである。しかし、最近の中学生は大和和紀の著作など読んでいないだろうから、次のように考えるはずだ。選択肢「ア」は明治初期の話だからまず除外してよかろう。それ以外で考える。
年表の出来事を見てゆくと。日露戦争に勝つ→第一次世界大戦で戦勝国側に加わる→思想統制→太平洋戦争へ、という流れである。ということは正解は明治以来の富国強兵政策のが完成し、ファシズムへの萌芽が見られるというものが正解になるはずだ。(あるいは大正デモクラシー運動、とか。)
選択肢「エ」は、この後のことだからこれも除外する。
すると「イ」か「ウ」ということだが、工業生産が伸びたという「ウ」の内容は「富国強兵の完成」という文脈によく合っているからこれが正解じゃないかな。「イ」にある「東京と大阪の成長」「文化の大衆化」は江戸時代から続いていた話だから、この文脈ではちょっと唐突だしな。(そもそも日本における都市の成長と文化の大衆化、というとまずは元禄時代や文化文政時代の特色として位置づけられると思うんだが。)きわめてまともかつ応用力を効かせた思考の結果、不正解が導き出された。確かに選択肢「ウ」の「高度成長」という言葉は、第二次世界大戦後のキーワードだ。しかしこれは今の中学生にとっては歴史上の概念であり、つまり習わないと分からない。そして、テストの実施された時は、まだ習っていない中学2年生も多かったんではないかなあ。(テストの実施時期は昨年はじめ。でも現代史なんて3学期の最後だ。)
なお、この問題を高校入試なんぞに出してしまうと、クレームの嵐となる。なにしろ一生の問題に係わる。各中学校や父兄からあらゆる突っ込みがやってくる。要するにこの時代の日本の工業生産が世界有数であったことおよび、経済成長率がたとえ一時的にせよ高かったことを証明すれば「ウ」が正解と言い張れるのだから話は楽だ。
従ってこの問題を高校入試に出すときには次のようにアレンジしなければならない。1914〜1925の期間に最も良く当てはまる言葉を次から選べ
ア.日本初の鉄道の敷設
イ.大都市の発展と文化の大衆化
ウ.高度成長
エ.工業生産の低下
ここで調べてみると確かに「都市の発展と文化の大衆化」というのは教科書に載っていた。許せない問題、というのは言い過ぎだったかもしれない。
しかし、この問題、なんのこっちゃさっぱりわからん味気ないものになった。
社会の教科書は検定でもめることが分かっているのだから教科書なんか作らず、指導要領そのもので教えた方がいいんじゃないの?という感想を持ってしまうほどだ。
2003.5.31追加私のこの問題アレンジ案、間違いでした。該当期間に「関東大震災」が起こっているから工業生産は低下しているのです。従ってエ.の選択肢は「空襲があった」とするほうが適当です。さらにつまらない問題になってしまった。
どうしてこんな問題が出題されてしまうのだろう。どっかの中学校限定の期末テストならともかく文部科学省主催の全国テストで。これは問題を作成する教員の学力が低下しているからに違いない。対策として教員養成カリキュラムを徹底的に見直して・・・とマトモなことを言っても全然面白くないのでここからは冗談とする。国営全国テストであるから、問題作成委員会というのが多分あって、何度か会合を持っているはずである。
そこで問題の内容は徹底的にレビューされ、当然紛らわしい問題や不適切な表現は省かれたり、修正を求められたりするはずである。従って本来であれば私ごときに突っ込まれるような問題が出題されるはずがない。もし出題されるのであれば、それは委員会がうまく機能しなかったからであろう。ではどうして機能しなかったのか。
おそらく委員会の委員がテストに出題する問題の候補を作って持ち寄るという仕組みなのであろう。しかし、委員会に招集されるような人はフツー偉い人である。当然現場を離れて随分経つとか、単なる学識経験者という人々であろう。となると自分で問題は作れない(カンがない)。結局目をかけている誰かに問題を作らせることになる。
しかし委員会に問題を持ち寄る際には、自分で作ったような顔をしていなければならない。少なくとも自分が丹念に問題をチェックしているような顔をしなければならない。となると委員会のメンバーはお互い偉い人。顔をつぶすわけにはいけないので、誰かが持ってきた問題に文句はつけられない。
結局、レビューで問題点をつぶしあうことにならない。みんな大人だから。そこで改善策、問題作成委員を全国の現役の先生から無作為に抽出して任命するというのはどうだろう。ここでいい問題を作って手柄を立てよう、などと思ってくれる人が何人か出てくれば切磋琢磨していい問題が出来るかもしれない。
しかしよく考えると彼らは、どこかのえらい人が目をかけて問題作成を依頼したという程度の選抜すら受けていない。ホントに普通の教員である。(作成委員の選抜に誰かの推薦を仰ぐと、推薦者に遠慮して、きちんとレビューが行われなくなるおそれが大きいので、無作為に抽出するしかない。)
大丈夫かしら? 従って彼らが作成した問題を見たとき、我々が感じるのは「フツーの教師はこの程度の問題しか作れなくなったのか」という愕然とした思いになるかもしれない。