ノーベル経済学賞への道

 サラリーマンのサラリーは何に使われるかというと、要するに労働力の再生産である。
 ご飯を食べて、寝て、あるいは休日に遊んでリフレッシュして、明日への活力を養うのにお金を使う。こういう観点からみると、人間は生きるために食っていることが分かる
。  なんと主体的な生き方だろう。ただし、明日への活力を養うとは、明日労働するための力を蓄えることに他ならないから、生きると労働するということは同じことであると仮定してのことだ。
(なお、我がニョーボは「人生の目的は美味しいものを食べることだ」というわかりやすい人である。そう言いながら美味しいものを自分で作るという安上がりな人間でもある。)

 しかし長期的には自らの労働力の単純な再生産のみならず、次世代の労働力をも再生産している。要するに子供を産んで育てて、サラリーマンにするために、給料を使っているわけである。
 親よりは多少いい生活をしてほしいので、せめてと教育に給料を投じる。これも結果的には優秀な労働力を供給することになる。つまり労働力を拡大再生産しているわけだ。
 もちろん量的な拡大再生産もある。たくさん子供を産むということだ。また次の世代の教育だけでなく、情報処理の資格でも取ろうかということで自ら勉強しても労働力の拡大再生産になるといえよう。

 以上の発想、大部分をマルクスから借りてきている。なんとなく疎外感を感じるがこの理論自体納得できる。
 しかるにマルクスの見た時代と、現代では大きな違いがある。これが現代のデフレを呼んでいることを発見した。(世間の用語法にあわせて、不景気=デフレとしてみました。)
 景気が悪いのは、マルクスが間違っていたからだということが分かった。以前であればこれだけでもノーベル経済学賞ものなのだが、ソ連崩壊以来、マルクスを批判しただけではノーベル賞はもらえない。仕方ない、もう少し考えよう。

 さて、労働力が拡大再生産されるためには、次の不等式が成り立っている必要がある。
 労働力の単純再生産費用<給料
要するに単純再生産を超える額が拡大再生産に回るというわけだ。ここまでは自明であるのだが、逆は真ならず。この不等式が成立していても、労働力が拡大再生産されるとは限らない。
 これは、人間の一生が、全て労働に費やされるのではないということを考えれば明白である。
 つまり、人が一生に使う費用は
 ア.労働者になる以前の養育費+教育費
 イ.労働力の単純再生産費用
 ウ.労働者引退後の生活費+葬式代
に分かれるからだ。そして「労働力の再生産」費用は次世代の労働力再生産を入れたとしても上のア.イ.しか見ていない。

 ところが平均寿命の伸長により、ウ.の費用がマルクスの分析した資本主義の前提を超えて大きくなった。ここで資本論第2巻にある再生産の式を労働力に当てはめると縮小再生産への道まっしぐらである。
 縮小再生産が嫌ならこの費用を何とか捻出しなければならない。とすると、次のような手段をとることが求められる。
 i)社会保障を充実させる。
 ii)次世代の労働力再生産をあきらめる。
もっとも、i)が強制的な所得の世代間移転であることを考えると、個人レベルではii)の手段をとるしかないわけだ。かくして子供を産むのをやめ、つまり少子化が進み、社会の高齢化はさらに強まることになる。個人レベルの最適化が社会レベルの最適化にならないというよくある奴だ。
 その結果、人口は減るし、i)で所得を吸い上げられるため、既存人口の購買力も減る。
 かくして需要が落ち込み、デフレになり、不況になるというわけだ。

 そんなわけでこのデフレの根本的対策は、引退労働者の数を減らすしかない。定年の延長や、延命治療の自粛という話になる。ちょうど北欧の高福祉国家が行っていることである。
 ただし労働者引退後の生活費を海外から持ってくるという方法もないわけではない。海外投資の利子とか知的所有権からくる特許料、キャラクター使用料という形で所得移転を行うということだ。これはアメリカ合衆国が積極的に推進していることである。もっともこれは、世界システム論的な観点から見て、新たな南北問題を産み出すことになろうが。(なぜチェコのバドワ村に昔からあるビールをバドワイザーと呼んではいけないのだ!従来の南北問題は経済力格差から生じたが、新たな南北問題は法務力の格差から生ずる。)

 経済・社会的な問題を分析して、マルクスが間違っているという結論で終わることができた時代は、なんと牧歌的であったことだろう。しかし社会主義が崩壊した後、資本主義社会の問題は資本主義の範囲内で解かなければならなくなった。しかも、ここで資本主義は悪くないと証明しなければノーベル賞はもらえない。とても大変になってしまった。

 仕方なく、オプションの理論価格あたりにノーベル賞を出すのだろう。(なお、うちのニョーボは、オプション価格理論の講義を受けて「あそこまでは誰でも展開するの。あそこからどうするかが面白いんだけどなあ」とぶつぶつ言っていたというわけのわからん奴である。ひょっとしてノーベル賞級の頭なのだろうか?いや、理論価格の形成に市場期待など関係ないことを当然と思っているだけなのだろう。)

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