インターネットに半角カナが無くてよかったといつも思うのはサーチエンジンを叩くときである。エディターで単語を探すときと比べてなんと楽なことであろう。同じ単語を半角カナと全角カナと両方で探す必要がない。半角カナが導入されるとするとこうはいかない。社会問題ネタ、目次へ
インターネットで調べものをすることが一般化してくると、この実用主義的な半角カナ導入反対理由を納得してくれる人も多かろう。同じく「3音節以上の英単語の語尾にある『-er』等をカタカナ表記した場合には、長音符号を省く(これについては闘わないプログラマのここに詳しい」ということが、少なくともサーチエンジンを叩く際には一般化したりする。つまり「コンピュータ」で検索すると「コンピュータ」と「コンピューター」の両方がヒットするが、「コンピューター」で検索すると「コンピュータ」がヒットしない。(だから書く側からすれば「コンピューター」で検索してもヒットするように「コンピューター」と表記する方が望ましいということになるかもしれん。)このようにサーチエンジンの普及が日本語に微妙な影響を与えるかもしれない。用語の使い方を保守的にするかもしれない。とりわけロボット型サーチエンジンが主流になってきた今日この頃に置いては。つまり「サーチエンジンが迷わないように用語を統一しよう」という誘因が働くはずなのである。そしてロボット型サーチエンジンに慣らされて、機械的にインターネット検索を行なって調査する人間が増えてくると、書く側としても「そんなのは調べているとはいえない」と正論を唱えて無視するわけにはいかなくなるだろう。
かくして同じものを指してはいるのだが、差別化を図るために用語を分離させることが咎められるようになる。「状況」を「情況」と表出したり、「スターリン主義」を「ロシア=マルクス主義」と表出したりすると編集者から「吉本先生、お気持ちは分かるんですが、これだと検索エンジンがカテゴライズしてくださいませんので」と直される可能性が出てくるということだ。問題は新しい事象が生じたとき、どこまでを同じ用語にするか、どこからを別の用語にするかである。これは2007年問題をあつかったとき、最初と最後で力説したこと。
「同じ用語を使うと、異業種で同様な問題を抱えている人たちと意見交換を図れる」
「別の用語にしないと、別の問題と混同するおそれがある。」
つまりコンピュータの2007年問題をオリジナルの2010年問題と区別すると「コンピュータ業界におけるベテランの退職に伴い以前のシステムがブラックボックス化する」という問題と「労働市場の変化」の問題を混同する心配はないが、「団塊の世代の退職に伴うノウハウの消失」という共通項を論議する場を失ってしまうかもしれない。
また2006年でも2008年でもなく2007年問題と呼んでしまったため、東京のホテルの部屋が余るという別の2007年問題を調べる人に大量のノイズを乗せてしまうかもしれない。まあ似たような用語法の問題は昔から存在していた。一緒に本を書いていたジル=ドゥルーズとフェリックス=ガタリですら、同じ単語を別々の意味で考えていたことがあったそうだ。しかしそのときは二人で調整すれば笑ってすませることができた。サーチエンジンが普及すればそれだけでは終わらなくなったということだ。
これに大して根本的解決策がない以上、新しい用語をつくる人たち、とりわけマスコミ関連の人たちは今まで以上に用語法に気を配らなければならなくなるハズ。なのに2007年問題を例によって検索していたら、この用語を「2007年問題は世代交代に伴う、世代間のせめぎあいとしての社会構造の変化」という意味で使っている人がいた。(あのう、御社にそんな意味でその用語を使っていた人はいないのですが、編集部内の用語統一もできなくて新雑誌は大丈夫なんでしょうか。ご存じのように創刊予定を大幅に超過してますが。)問題意識はわかるが別の用語を使うべきだろう。どうしてもコンピュータの2007年問題との関連を残しておきたいのなら「ポスト2007年問題」とでも名前をつけてはいかがでしょうか。