耐震強度に問題がある構造改革

 マンションの設計段階で、強度計算の数値を改ざんした問題、名称だけは「耐震強度偽造問題」と落ち着いたが、問題が落ち着くことはもはやなかろう。

 国会で関係者が責任のなすり合いをしているが、いまのところヒューザーの社長のキャラが立っているので(マンションを買った方はたまらないだろうが)、ヒューザーの言い分に説得力があるかなあというのが当方の印象。「金をもらって確認をしておいて、間違いでしたから公表しましょうと急に正義を振り回すイーホームズの発想に『ちょっと待て』というのは当たり前だろう」と思っている。「全責任はイーホームズがとりますから、公表しましょう」と言うなら筋が通るんだが。
 計算の改竄そのものを行ったをした姉歯の受け答えは薬害AIDSの時の安部を思わせる。そのうち精神異常で病院に行くことになり名前も出せなくなるだろう。が、それにしては「ある日電波が聞こえてきて、今後震度5強以上の地震は起こさないから、その分人々に安価なマンションを供給しなさい、と神様が言われた」などと予防線を張っていないのが不思議である。それとも建設会社に強要されたからと言えば罪を逃れられると思うほど認識の甘い人間でも一級建築士の資格はとれるものなのか。

 なんで責任のなすり合いが続くのか、責任の所在が決まらないという事態を招いた大元の人間を批判すると粛正されるようになったからである(造反議員への粛正は民主主義を守る立場からは行ってはならないのである。個人の気持ちはあるかと思うが立場を考えて抑えないと)。
 民でできるものは民で、と構造計算のチェックを民間委託したところ、実は委託できないことだった、それが後で判明したときの対応策を全く考慮していなかった、というのに問題があるのだが、つまり「改革」のやり方が悪かったのだが、それだと改革の主導者を批判することになり、下手に報道すると記者クラブから放逐される等の粛正を受ける可能性があるので、ニュースが飽きられるまでの間、責任のなすり合いを演出し続けるしかないのである。
 行政は監督責任を果たしているが、責任の所在を不明確にしたままの責任は改革の主導者にある、というのが今のところの感想。現象面をとらえればマンション購入者に対する責任は売り主にあり、売り主に対する責任は建設会社にあり、建設会社に対する責任は、設計事務所と監査法人にあるという分かりやすい構造なんだがなあ。(どちらが重いかはちょっとわからん。過失という点では監査側に厳しいが、元々が偽造という犯罪だからなあ。)
 でも、付近住民に対する責任(マンションが倒壊して付近の住宅を壊すなどした場合)はマンションの所有者(つまり購入者)が負うのよ。
 最後の部分、マンション購入者には厳しい見方かもしれない。でもヒューザーの社長も(事前にどこまで知っていたかは別として)同じ気持ちかもしれないんだよ。建設会社の問題なのになぜ自分が責任を負うのか、とね。

 まー当方もマンション住まいなのであるが、人ごとのように見てしまった。というのは、買う前にいろいろと勉強して(幸運にも恵まれたが)危ないものはつかまされなかったという自信があるから。その代わりバブルの名残か今の倍の値段で買わされた。というわけで自分が払う金額と件のマンションを買った人たちが払う金額を照らし合わせると、論理上は次のような暴論が導き出されてもおかしくない。「今のマンションが危なくて住めないんだったら、もう一つ買ったら?」(バブル時代にマンションを購入し、資産価値の減少に悩む人がこの意見を聞くと、陰ながら賛同するかもしれない。)暴論だけど「政府が保証を」ほどの暴論ではないと思うぞ。(マンション住人は、小泉<ここは名前を出す>改革は正しかったか?の声をあげるべき。郵政民営化も見直すべきではと言うべき。その声を押しとどめるために、小泉さんがなにかやってくれるから。)

 じゃあ「民にできることは民に」の「民にできること」は誰が判断しているのだろうか。同様の問題が他の分野でも起こらないことを保証するためには、ここの判断プロセスが正当かどうかを確認しなければならない。(あー再発防止策の策定と徹底という職業病が。)

 調べてみると規制改革・民間開放推進本部という諮問機関があっていろいろと意見具申しているらしい。さて、ここがしっかりと機能してくれるのかどうか。
 いきなりずっこけた。「規制改革・民間開放推進のための基本方針」を読むと「基本的考え方」自体が素直な理解を妨げるようなものになっている。
《現在、我が国において、少子高齢化社会への進行と、国際化や情報化の進展といった中で、雇用の創出と活力ある経済社会の実現に向けた構造改革を強力に推進することは不可欠なものとなっている。》
 正直に書きにくいのは分かる。でも正直に書くこと自体が構造改革(意識改革)ではないかい?つまりこんな風に。
《現在の我が国の産業構造(注:「構造」という単語はそれ自体では何も示さない「○○の構造」といって初めて意味をなす)は、「少子高齢化」「国際化」「情報化」の進展に対する適応が遅れている。従って、追いつくために産業構造を修正することが必要である。》
 分かりやすいと思うが、どうだろう。もちろん原文にあった「雇用の創出」は抜け落ちている。少子高齢化で生産人口が減少しているという前提がある以上、雇用の創出は不要といってもいいから。
 むしろ上手く減らすことが大事だ。少ない労働力で今までと同等ないしそれ以上の付加価値を生むためにはどうすればよいかを考えるということだ。すると「国際化」:他国、特に経済発展の著しいアジア諸国からの貿易外収支黒字を増やそう、そのためには「情報化」:知的所有権の活用という手段もある・・・といった流れになるはずなのだ。

 というわけで「期待できない」という結論に速くも達してしまった。
 が、知的所有権については(なぜこれが構造改革なんだと思わせるが)何かやってはいるらしい。えーと、規制改革・民間開放推進会議が10月29日に、総務省やNHKの幹部を呼び、NHK改革について公開討論会を開催したそうな。
 で、提言が「放送にスクランブルをかけろ」。。。それで活力のある経済社会はもたらされるのかね。人口減少で国内市場が縮小する中で、国内での所得移転を第一の議題にしてどうすんねん、と思う。
 まあスクランブルをかけること自体は悪くない。持って行き方によっては、海外で衛星放送を視聴している人たちからも受信料がとれる(←こういう発想が裏にあるのかもしれない。いきなりトピックにすると反発買いそうだしね)。
 でもね、TV放送を俎上にあげるなら、放送に関する複雑な権利関係をまとめることが大事だと思うぞ。ライブドアや楽天が「TV番組のネット配信を」というとフジテレビやTBSが「権利関係が複雑で、思うようにはできない」と答えているのだ。ネット配信ができるように政府が音頭をとって権利をまとめればいいじゃないか。それが構造改革だろう。すると海外向けに直接番組の配信ができるようになる。すると受信料が海外からも入ってくる。多少は日本が豊かになるだろう。そういうビジョンはないのか。そういったビジョンがあって、最初にNHKを俎上にあげたのなら良く分かる、半官半民でかつ強大。複雑な権利関係を腕力でまとめるには適任である。またNHKアーカイブスという形で整理済みの配信可能なライブラリを持っている。
 ところで、NHKの受信料は何に対する対価なのだろうか。例えばNHKの番組を録画したテープを、たまたまその番組が見られなかった受信料を払っている人にあげることは違法なのだろうか。もし受信料が「番組を見る権利」への対価であれば文句を言われる筋合いはない。もちろんケーブルテレビの番組を録画したテープを受信料を払っていない人にあげれば文句言われるだろうけどね。海外から受信料をとるとすれば、この辺をはっきりさせておく必要がある。

 そう言えば私でさえびびった9.11総選挙以後、いつの間にか憲法変更まで射程に入っている。軍隊を持つのは時代の流れ、やむを得ないとしても、現在憲法第9条第2項が担っている戦争の再発防止策だけは盛り込まなければならない。「前項の目的を達するため、自衛軍は日本国への攻撃に対してのみ対処する。他国での活動はこれを認めない」とかね。ところが、集団的自衛権を認めるだと?これって例えば合衆国がどこかに攻め込んだら報復として日本が攻撃されるのを容認するということ?
 戦争の再発防止策を反古にしようとする同じ政府が、耐震強度偽造問題の再発防止策を作れないことだけは覚悟しておくべきでしょう。

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