私は例によって教科書検定問題が嫌いだ。なぜ数学の検定が話題にならず、社会科の検定だけが問題になるのかということもあるが、家永裁判の時に何も言わなかった人が今頃になって言うのは変だ、というのが根底にはある。ちなみに私のやったことは、中学校に入ったとき家永三郎の歴史参考書を買って読んだ程度である。(そりゃ、明治天皇は16才で即位した、露骨にいえば薩長土肥にとって傀儡として使いやすかった、なんて記述があれば怒る人は怒るだろうなあ。)だからあまり発言権はないかもしれない。社会問題ネタ、目次へそろそろ収まったと思ったら、まだ扶桑社の「新しい歴史教科書」がどうのこうのとわめいている。市町村の合併で現場の教育委員会が混乱していることもあるんだろう。
この教科書、戦争を美化しているそうだ。そうかなあ、読んでみると別にどうということはない。要するに戦争があったということを包み隠さず述べているだけである。まあ、開戦を国民が喜んだという事実(だったらしい)を書いているのが気に障る人がいるかもしれない。ちゃんと反省を書けという人もいる。悪うございましたと書けということだろうか。別に書かなくてもいいんじゃないかなあ。元寇を「日本に侵略を企てた中国は悪い」と書けと同じ人が言っているならともかく。(なお、この表現罠である。「中国ではない」という反論が来た瞬間、「じゃあ支那と書くよ、ドイツ語ではシーナ、英語ではチャイナだしね」と素直に返す。)それを言うなら「イエズス会は布教に名を借り、日本人を奴隷として・・・」などということも書くべきだろう。少なくともおかげさまで梅毒は広がった。ちなみに女性は一人も来日していないらしい。最大の問題点は、このとき「南蛮」という言葉が出来たことである。古代は「帰化人」として朝鮮人を重用するなど、海外の人間を尊んでいた日本人はこのとき自民族中心主義に目覚めたのかもしれない。(よほどひどいことをされたんだろうなあ。)
「新しい歴史教科書」の表向きのポリシー、納得できるところはある。歴史を現代の価値観にあてはめて解釈するのは止めよう、ということを首尾一貫させる、というところだ。
つまり、元寇は当時の価値観ではありうることだった。だから特に非難はしない。同様に帝国主義の価値観において「進出」したことを淡々と書く。(ところで、清の社会をボロボロにした大英帝国のアヘン輸出に対し、現中国政府はどのように抗議し、何回謝罪させ、いくら賠償してもらっているのだろう。)いいんじゃないか?昔の制度をいちいち現代の価値観に引き直して解説していたら大変だ。「士農工商の身分制度は良くない」「天皇は象徴であるべきで、この時代の天皇の権限には問題がある」。歴史的事実をいちいち否定的に説明されたのでは、生徒は学ぶ気がなくなりそうだ。少なくとも授業の能率は悪かろう。
ただし「新しい歴史教科書」には反対だ。日本を誉める時のやり方があまりよくない。端的に言うと「西洋のようにすばらしく、(中国や)朝鮮のように悪くない」という言い方をするのだ。途中でしんどくなって止めちゃったけど、数えてみたら平安時代までで十数カ所はあったぞ。(記述が客観的に正しいかどうかはおいておこう。文部省は正しいとしたんだから。といいながら2006年センター試験で現代社会の教科書が間違っていたのがばれてしまいましたが。)
これは中国や朝鮮の人は気分悪かろう。少なくとも日本人の美徳からは外れている。自分ところをよしとするのに、隣近所と比較してマシであるという言い方は(使う人間はいるけども)控えるのを美徳とするのが日本人だったはずだ。だから日本人の誇りとして、この教科書を中学生に読ませたくない。もう一つ反対の理由がある。「基本的人権の尊重」「国民主権」「平和主義」が2世代前の日本にはなかったとは、なかなか言いにくいのだ。もし日本に革命があって、それで人権を勝ち取ったのなら、昔はこういう価値観だった。それに対して人民が立ち上がった。そして我々は人権を得た。というしっかりしたストーリーがある。それを教えれば、歴史の流れの範囲で人権の大切さを教えることが出来る。ところが、日本はそうではない。戦争に負けたために、連合国から民主主義という制度を押しつけられたわけだ。
つまり、歴史を、少なくとも戦前の帝国主義を、その時代の価値観で教えられると「戦争に負けて、日本の価値観は外部からひっくり返された」ということを教えなければならないわけだ。すると「日本の本質は軍国主義であり、今はかりそめの姿だ」という印象を与えることになる。教科書問題なんて簡単な問題のハズなのだ。なにしろ読者層が限られている。日本の公教育を受けている中学生と極めて限定されている。中学生にこのような印象を持たせるのは、良くないだろう。というのが「新しい歴史教科書」に反対するもう一つの理由。
軍国主義はやめようよ。戦争したっていいことないよ。だってさあ、日本はイラク戦争に賛成したけど、それによって生活が楽になったわけじゃないよ。ガソリンだって高くなっているじゃない。(身も蓋もない言い方をすると「戦争すると、自分の生活良くなるの?悪くなるなら反対だ」ということ。資本主義的にはまっとうな考え。)イラク人の生活を破壊したのは、太平洋戦争に勝った国が正当化と見なしているので、ずるいようだがひとまず評価外とする。(宗教戦争の価値観を非難しても一次的には仕方ない。)
社会思想史として敗戦による価値転換を取り扱うのは興味深いかもしれない。政治史として帝政や絶対主義から民主主義が発生した理由を学ぶのも面白そうだ。でもそれは大学に入ってからのことでしょう。中学生にそれを求めるのは酷。弊害の方が大きい。(外圧で政体を与えられた国において、その政体が悪いものではなかった場合、自国の歴史の中での政体の正当性をどう教えるかというのは難しい問題。似た国も少ないみたいだ。ポーランドはポトニョフスキの祖国独立のための戦いがあったからベルサイユ条約で1つになり、ワレサ議長が独立させた。50年代のアフリカ諸国にはナショナリズムの高まりがあった。日本にはそういったものが無いから民主主義は押しつけられたもの、という感覚がついて回る。解放されたと同時に半分だけに民主主義が落ちてきた韓国も似たような感覚を持っているかもしれない。というわけで日韓共同研究でもしますか?)
かといって「中国や韓国が不快感を示している」から採用を見合わせる、という意見には与しない。どうも「あんたのおじいさんは悪いことをしたのだよ、と中学生に教えろ」と強制しているような気がするんだなあ。日本人の美徳として「こどもに罪はない」と親の罪を問わないようにしよう、親の罪は教えないようにしようという考えがある。親や先祖の罪をほじくり返して公開することを良しとする韓国(中国は知らない)の価値観を受け入れるようなことを、私は日本人としてしたくない。
しかし、どうして「ソウル大学は日本が植民地時代に作った大学だ。そこでの教育を受けた人間は日本の植民地教育を受けてきた。従ってソウル大学の卒業生を公職から追放しよう」という意見が出てこないのだろうか。(どっかでは出てたかもしれない。クローンES細胞の偽装研究はソウル大学だし。なお、植民地に大学を作った国は日本とポルトガルだけだそうです。)
あ、竹島問題って簡単よ。朝鮮半島は日本の一部だったんだから、戦後竹島を韓国に含めて独立させたか、の記録が残っているかどうかで片が付く。「元々新羅の領土のはずだから割譲してくれ」という正式な申し入れがあれば検討、でいいんじゃない。