お山の杉の子擁護論

花粉症対策として東京都が杉を植え替えるとか
経費として寄付を募っている
中国工業化の影響で酸性雨が強まり
植え替えた若年の木が枯れはしないのだろうか
 通常であれば扉の一口ネタで終わらせるところであるが、本当に心配なので残すことにする。何も杉花粉対策に反対というわけではない。私の父親は花粉症という言葉ができる遙か以前からの患者だし(国内第1号かどうかの検討対象となる資格はある)、姉も立派な患者である。決して他人事ではない。
 にもかかわらず「今、杉を別の木に植え替えると危険ではないか」という危機感は持っているし、「単純に杉を別の木に植え替えていいのか」ということにも疑問がある。(利権の発生は必要悪としても)東京都は善意で杉を植え替えることを考えたのだろうが、杉を植林することを考えた人は善意で杉を選んだのではなかったのか?ということを杉を伐採する前に、少しだけでも考えることは必要だろう。
 間違いなく善意なのだ。戦後復興のために伐採された森を安く・早く復興させるためには杉が一番適していたのである。そしてお山の杉の子たちはその役をきちんと果たしたのだ。

 その杉を切って何を植えるにせよ問題はある。それが冒頭にあげた酸性雨への耐性だ。中国の環境無視の工業化反対!といくら言っても中国大陸で燃やされた石炭による酸性雨は日本に降る。今の杉林なら、それなりの樹齢を重ねた結果「なんとか耐えられるかもしれない」というレベルには達している(らしい)。が、多分、今から植えた若い苗木なら耐えられるか極めて疑問である。かくして、杉を切って別の木の苗を植えた結果「東京の山は木が枯れてつるっぱげ」ということになりかねない。森を失ったときの問題は改めて言うまでもなかろう。

 戦後、何もない時代に「せめて杉を植えよう」と判断した人間を、後年、杉花粉症で責めるのであれば、今「杉を別の木に植え替えよう」と主張する人間も、後年、山をつるっぱげにしたということで責められることは覚悟しておく必要があろう。自分の感覚としては後者の方が罪が重い。一つは杉を植えた先人の判断を十分に評価したかどうか疑わしいからである。また酸性雨で森が枯れてしまうことを、現時点において、少なくとも僕が気づいたからだ。(つまり予測可能だったということだ。)

 なんでこういうことにかみつくかというと、この「先人のやったことを過小評価する」ということ、および「(この場合、酸性雨への耐性ということを考えない)浅慮で結局失敗する」というのが、IT業界で思いっきり目につくからである。
 これらへの批判は「はりせんかまし」でしょっちゅうとりあげていることで、いわば裏に流れているテーマの一つといっていい。

 例えばこんなパターンだ。
 ウォーターフォール型開発モデルを徹底する動きはここ数十年成功していない。なのに、今改めて試みて成功すると思っているのは、先人の努力を無視し馬鹿にしているのではないか。もっと徹底すればいい、というのは下流工程から上流工程へのフィードバックを禁ずるということで、悪影響が大きい。(3.23更新分「企画屋は失敗のプロである」におけるバックグラウンドの主張。)
 このパターンが出まくっているのは、番外編にしてしまう見本市のレポートである。なぜIBMのCrossPadが売れなかったのに、コクヨはmimioを売れると思えるんだ!といった感想群である。
 こういうことをその場で指摘してくれるんだから、見本市に出展した企業の人は喜んでくれてもいいと思うんだけどな。心情的には嫌がるにしても、だ。思いついたのは素晴らしいとしても、そのあと、この手の批判を自ら考えず、他人からも受け入れず、外野も「それ(IT)に乗ると儲かるかどうか」しか考えない〜きちんとしつけて育てようとしない〜のが、ビットバレーがシリコンバレーにならない本当の理由だと思う。だからベンチャーキャピタリストの皆さんは私のサイトを番外編まで読んでおいた方がいい。投資先の技術を評価する足しにはなる。銀行系のシンクタンクなどがIT企業のしつけを業務としてやると当たるかもしれない。言うことを聞けば資金面でも協力してくれると期待するかもしれないからね。

 というわけで本題に戻る。杉の木をどうすればよいかって?今は切っては駄目だから。自然の流に逆らわない程度に早く、極相林ないし亜極相林まで持ってゆくことを考えるしかないんじゃない?つまり杉林の中にブナなど日陰でも成長する広葉樹の苗木を植えて、それが成長して杉の木を追い越し、やがて枯らしてしまうまで待つのよ。気が長いけどね。ただし杉が酸性雨からブナの幼木を守ってくれるかどうか。そもそも可能かどうかは専門家の判断が必要。
 いずれにせよ、私が生きている間は解決不能なのが辛いが。が、そういうことなら苗木1本分くらいの寄付はしよう。


(2006.04.06 加筆)
 丁度この文章をアップした日に、日経新聞のコラム「新風シリコンバレー」に、しつけが必要な事態を誘発しそうな記事が載っていた。
《シリコンバレーには「テレビ改革」の伝統がある。1997年創立のティーボは録画した番組を好きなときに見られるサービスを提供。430万人の会員を抱える。
 ティーボがテレビを見る「時間」の制約をなくしたのに対し、見る「場所」の制約を取り払ったのが04年設立のスリングメディア。自宅のテレビで受信した番組をネット経由で外出先のパソコンなどで楽しむための装置を開発した。》

 似たことをやろう、と思う起業家が出てくると思うが、日本でこれをやると放送局に押しつぶされる。
 「録画ネット」という会社がすでに似たようなサービスをやって、放送局に訴えられ、サービス停止の仮処分が出ているのだ。(裁判そのものは係争中。)
 最大の問題は「どこが違法かわからない」ということである。従ってリスクは大きい。少なくとも結果論として、ティーボとスリングメディアを組み合わせて利用すれば違法であり。ティーボ、スリングメディアの片方だけでも違法と判断される可能性が高いということだ。

 ということは、同じような技術を開発しても無駄になる、ということである。どうしてもやりたければティーボとスリングメディアの両方をサポートするサービスを立ち上げるべき、ということである。なぜなら「ティーボ+スリングメディア」をそのまま使うならば、例え違法と判断されそうでも、外圧で合法になるからである。
 国産技術が発達しないのは寂しいが、投資資金はこういう判断をしそうだ。

 逆に放送局にしてみれば、録画ネットと同様のサービスを放送局合弁の会社で立ち上げようとするかもしれない。ただし「CM部分を海外現地のCMに入れ替えて」である。だから、そういう技術を開発できるなら、投資対象となるかもしれない。
 こういう技術を開発しようとする会社への私からのアドバイス「再生中にCM部分をカットないし早送り不能にできれば、放送局は採用してくれるよ。(そのときには機能の説明として、災害報道・周知義務のある注意事項など重要な部分については視聴を必須とすることを配信側から指定することができる機能があります、とそういう表向きの理屈付けをするのよ。)」

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