マークシートの効用

 子どもに「勉強しろ」というばかりでは説得力が無いので、勉強している子どもの脇で2009年のセンター試験問題を解いてみた。おかげで昔は気がつかなかったことに出会えた。マークシートは応用力を高め、頭をやわらかくするのにきわめて有効なのである。

 とりあえず解けそうな科目に手をつけた。地理B。完全に忘れているなあ、ゆとり教育と言いながら最近の子はこんな細かいところを勉強しているのか、それなりに冷や汗をかきながら回答。アジアへの比重が随分高くなっている。ところが私に施した父親の教育は凄かった。知らないことでも何とかなるのである。そして、いまでも十分に通用する。忘れたこと、知らないことが多いゆえに、久々に真価を見た!という感覚。

 一番説明しやすい例が、最後の一問。国別の女性の識字率・労働力率・女性労働力人口に占める第3次産業の割合のグラフを出して、どのグラフがどの国か答えよ。国名はメキシコ、パキスタン、カンボジア。
 えーと、民主化が一番すすんだ国は、今は知らないが歴史的にはメキシコだろう。アメリカ合衆国の影響があるはずだし。出稼ぎ労働をするためには当然。というわけで3つの率が最も高いのはメキシコ。で、あと2つは識字率/労働力率はほぼ互角。これでは民主化、という切り口では測れない。カンボジアはポルポト派の影響から脱してきたとは思うが。そのへんから推論できるわけではない。またカンボジアもパキスタンも難民の多い国だ。
 見方を変える。第3次産業の割合に差があるのはなぜか。そういえばインド独立の際、国を宗教で分けた。ヒンズー教のインド、仏教のスリランカ、回教のパキスタン。で、回教国では女性は人前にあまり出ないことになっている。というわけで第3次産業には女性はあまりいないはず。
 少々迷ったが正解は導き出せた。

 これが記述式なら完全にアウトである。覚えていなければそれでおしまい。しかし、マークシートなら答えの組み合わせを書いてくれているのだから、考えればなんとかなるはずだと粘る。で知識を総動員してあちらこちらからつつくとちゃんと答えが出る。1つに決まらなくても正解の確率をあげることはできる。ならばとやる気も出る。地理Bの問題、そんなのが多かったなあ。出題者も意識しているようだ。マークシートの統一入試も何十年の蓄積でブラシュアップされてきたのだろうか。それで「実はマークシートは応用力を養うのによい方法である」と分かってきた、と。

 ところで、今私が解説したような、正解の導き方、高校や予備校でしっかり教えてくれるものだろうか。問題を出す側に歩調を合わせて、教える側も進歩しているはずではあるが。どうなんだろ。実際問題、回答を出す思考経路、これ以外考え付かないぞ。
 ちなみに私は、父親が社会科の先生だった関係でこんなことをやっていた。
第1段階:父親がテストの問題を作る。見直しを兼ねて息子に説明する。知っている知識を組み合わせて回答を引き出す方法である。
第2段階:見直しのために息子に解かせる。息子の得点から平均点を予測する。
 きわめてよく機能したらしい。もちろん第2段階においても、間違った箇所は正解導出法を教わった。というわけで自力で取れる点数はどんどんあがり、平均点予測のためにはマイナス調整が必要になったそうな。小5の時には高校入試問題があらかた解けてしまったらしい。今思うと先生方はさぞやりにくかったろう。(事実、教育実習生には「あいつは当てるな」と注意が回ったらしい。)

 地理がまあまあの点だったので気分をよくして国語に向かう。う、とても人様に見せられない点。しかし、全然やっていないから壊滅、と予測していた古文漢文はマトモなんだよなあ。だめだったのは現代文、しかも論説文。なぜ?今も読んでいるし、一番慣れているはずだぞ。

 私の頭が固くなっているらしい。筆者はここまで書いているから、本当はこういうことが言いたいに違いない。と自分勝手に気を回し、正解を探す。適当なのが無いので、これかなあ、と丸をつける。見事に間違う。とこういうパターンが見て取れる。
 これが記述式だったらどうだろう。×にはならないぞ。採点者は「なるほど、こういう解釈もあるなあ」と納得しながら部分点くらいはくれるだろう。長文になるとなおさらである。うまく行くと、論旨がまとまっている、で部分点。良く読んでいる、で部分点。視点が斬新である、で部分点。ガチガチの先入観にとらわれた論旨でも、記述式である限り無下に不正解とできないのである。
 社会人になり、問題がビジネス上のものとなると正解が1つに決まらないから、適当に説得力があると(説得力には「地位」が大きな割合を示す)正解として扱われる。それに慣れてしまうと頭はどんどん固くなる。
 これに対して、客観的な正解が1つに絞られるマークシートでは、先入観を排して、作者のいいたそうなことを読み取る必要がある。結果が○×ではっきりするため、こちらの考えも正しいところがある、と言い訳を許す余地がない。というわけで筆者の書いていることに柔軟に合わせる頭が必要となるわけだ。
 実はマークシートは頭をやわらかくするのに有効だったわけだ。

 こんなふうに反省したところで、妙なところに影響が出た。娘の通っている音楽教室は練習スタジオも併設しているのだが、そこにDiGiRECOというフリーペーパーが置いてある。最新号に音響機器メーカーのべリンガー(多くの人が世話になっていると思います、カラオケマイクで高いシェア)社長へのインタビュー記事があった。
 興味深い内容であったが一箇所躓き。「自分より優れた人を尊敬できるようになった」という表現。
 常識と照らし合わせて違和感のある文意ではないが、文脈を虚心坦懐に読むと「自分より劣った人を尊敬できるようになった」でなければ意味が通じない。これが正しいとすると千秋真一がシュトレーゼマンから学んだ「音楽を、人を尊敬し」というのはこういうことか、と納得できるのでうれしい。ここで回答が納得いかないと先生に質問する癖がついでに発動してしまった。編集長にメールを出したのだ。
 すぐにとても丁寧な回答が来た。編集の都合上、つなぎのフレーズを省略したそうだ。というわけで納得。編集長がいい人でよかった。しかしこのフリーペーパー、読んでいると電子機器を使った音楽作りの技術はここまで発展していたのかと感心したり、今、ロックをやっている人がうらやましくなったり、である。

 センター試験、3科目目は英語に取り組んだ。ところが下の子は泣き出し、上の子は「怖いからもうやめて」と言い出した。私が試験問題を解いているとき、傍から見てもはっきり分かるほどピリピリしているらしい。英語ということでテンションは更に上がっていたようだ。この調子だと今後「勉強しなさい」と言う代わりに「パパも隣で勉強するぞ」と言った方が効果があるかもしれない。

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