キャリー・ザット・ウェイト

 私が知っているほうのハルヒによると、人間の格というものは、何気なく歩いているときの手の形に出るものらしい。身体の末端まで神経が行き届いているか?姿勢を気にしているか、が分かるらしい。これは不随意筋までコントロールできる(としかおもえない)人間の言うことだから話半分とはしても、確かに、と思う。涼宮ハルヒはその辺きれいなものである。
 そういう理由で、当方と歩いていると恥ずかしい、らしい、ので多少は気にする羽目になった。空のコカコーラの缶を持って歩いても恥ずかしくなくなるまでに時間はかからなかった。指の間隔をやや開き気味にして、浮かせるのがコツ。

 その後遺症か、たたんだ傘を持って歩くとき、どう持つべきか、私は気にする。ベストのポジションは傘の先端が自分の右足の前約20センチに浮くように、当然腕は振らない。木刀を片手にもって歩くとすればこんなもんだろう、という感じである。もっと露骨に言うと慣れた道で白い杖を持って歩く、まあそれよりは近めに。これなら持った傘が他人に迷惑をかけないよう、自分でコントロールできる。なわけで、私は傘を持って地面と並行になるまで後ろに振る奴が我慢できない。特に上り階段。ときどき払いのける。多分私は先端恐怖症の気があるのだろう・・・さあ、他人の傘を叩き落しても「正当防衛」とする根拠が出来た。
(さらっと書いたが、そういう傘の振り方をしているといきなり後ろから殴られても正当防衛で処理される可能性がある、そういうことよ。)
 火のついた棒を振り回して歩いている奴の腕を追越す際に押し下げたことならある。これは正当防衛かどうか以前の問題だろう。少なくとも他人が周りにいるとき、タバコは常に火のついたほうを自分に向ける、というマナーくらいは考えてほしいものである。もちろん吸うときも。

 で、火のついた棒の次に許しがたいのが、キャリーバック。目を見開いて注意を払っている限りそこにあるのは分かるので、周りの迷惑顧みず引いているおばさんがいても「占有する空間を考慮すると、ものすごいデブなんだ」と思ってあげれば避けられないこともない。でも、2度ほど踏みつけそうになったことがある。あたしの反射神経妙かなあ、危険物を飛んで避ける。ところが飛び上がった状態で一番近くにあるのはキャリーバック。当然キャリーバックを蹴って態勢を立て直すのがもっとも合理的。でも本当にやったら逆切れされるんだろうなあ。
(子どものときに河原で遊んでいた経験から来るんだろう。足元の石がグラっと来ると、まず飛び上がって安全な着地点を探す。)

 で、この先は特に言われてないが(言われてないのが不思議なんだが)。
 キャリーバックは場所をとるから迷惑で、低いから目立たないという問題点は確かに大きい。ぶつかったときこちら側が一方的に痛い、というのも納得しがたい。しかしもっと大変な問題なのは、予測できない停止が構造的に行われる、ことである。
 つまりキャリーバックを持った人が方向転換するときだ。方向転換が終了するまでキャリーバックは殆ど停止する。ここまで予測してキャリーバックをよけろ、というのは無理があるだろう。だからキャリーバック側で対策をとらねばならない。なにしろ、これはうしろにいる人がキャリーバックの存在に気がついていたとしても、よほど前の人に注意を払っていない限り避けられないのだ。

 解決策は、なんのことはない。キャリーバックを「引く」のではなく「押せ」ばよい。私の傘の持ち方と同じである。
 すると前方を注意するのはキャリーバックを持っている人になる。これが本来の形なのだ。後ろにいるというだけで、無関係な人に自分のキャリーバックを注意させるというのは虫が良すぎる。「他人に注意を払って」という道徳で処理してもらうには他人に与える負担が大きすぎる。
 というわけでキャリーバックのデザイン「押す」ように変えるべきだろう。ハンドルは変更しないといけないな(押して回転させるには現状のものは弱い。ハンドルも左右2本にして片手では持ちにくくしたほうがベター)。政府や業界団体もデザインを規制すべきだろう。これこそ「安全のため」だ。

(タイトルについて。ニョーボに「うまいじゃん」と言われたのはCarry That Weightのギターソロだけなので、つい使ってしまいました。)

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