憲法九条を何が何でも守る方法

 今年もあの日と同じ、暑い夏がやってきました。(この言い回しだけでポツダム宣言受託の打診記念日が想起されるというのが日本)うちのガキはたまたまこの時期日本国憲法を習ったみたいで、憲法第九条が気になっている様子。我が家は窓から自衛隊駐屯地がよく見えるし、毎年駐屯地の夏祭りには出かけているので「軍用サーチライトの明るさ」はよく知っている。つまりあれはどう見ても軍隊だと認識しているということだ。
 高射砲は花火を打ち上げるためにある、自衛隊は雪祭りのためにある、というわけではないと知っているわけだ。

 自衛隊が軍隊?当然だ。軍隊として登録していなければ、何かやったとき国際法ではゲリラとして取り扱われる。だからジュネーブ条約だっけ、登録している。その程度のことはやっている。下手に相手を攻撃すると傷害罪/殺人罪が適用されるのが問題だが。

 まあ一通り説明して、軍隊がないと困るけど、あるのも変だ、というよくある感覚に落ち着いたようだ。しかし、当方はこの先を思いついた。軍備がなくても自衛が出来る方法はあるよ。
 ようするに通常兵力はゼロにする。そして核武装をする。軍隊はない。核ミサイルがあるだけだ。
 それを発射するのに軍隊はいらないの?いらないよ、核ミサイルの技術者がいるだけでこれは軍隊ではない。で、総理大臣が核ミサイルのボタンを持つ。完璧なシビリアンコントロールが実現できる。なんてったって軍隊がないんだから。
(あとで気が付いたが、核ミサイルで相手国の人間を殺した場合の法整備が不要になる。指揮権発動でうやむやに出来る。有事立法の研究さえ不要。)
 要するになんかあれば核ミサイルを撃つ、これだけ。要するに抑止力という奴だ。コストもトータルでは安くなるよ。
 交戦権は?というので、不要。核をきちんと使うと瞬く間に相手の国家が滅びるので交戦かどうか分からないということになる。
 ただし問題があって、これが北朝鮮みたいに狭い国が相手だといいんだが、広い国だと全部を壊滅されるのに多量の核ミサイルが必要になって効率が悪い。逆に日本は国土が狭いから核兵器に対して弱い。水爆4つで壊滅する。これを克服できるかという問題は残る。あ、国土が広大でもオーストラリアは例外的に核弾頭5つでおしまい。人口がブリスベーン、シドニー、キャンベラ、メルボルン、パースに集中しているから。

 核拡散防止条約は?と聞いてきたので、あれは日米修好通商条約のような不平等条約。いままで核武装をしてきた国はそのままで、あとは持つな、だからね。したがって国連安保委員会はこの条約で認められた核保有国で占められている。
 さすがの私も良識はあって「別に日本が持っても問題はない。唯一の被爆国である日本は核兵器の恐ろしさを知っているから、乱用する事は絶対にない。少なくとも核兵器の使用は正しかったという主張を続ける合衆国よりはましだろう」なんてのは言わなかった。言うのは広島の平和祈念館を見学させてからである。

 冷静に考えて通常兵器全廃、全て核兵器に移行というのは実現の過程に現実味がないことを除けば悪い発想ではない。憲法第九条と自衛の必要の矛盾点を解決する論理だった唯一の手法だと思う。(他には知りません。)世界がこれをやると、通常兵器を生産しないということになるから、テロの撲滅にもなる。テロリストは自らの主張を通すという目的があるから、回りのものまで含めて根こそぎ破壊というキリスト教的発想はないはずだ。
(旧約聖書でソドムとゴモラに向かうエホバの「滅ぼすまい、その5人のために」という発想はキリスト教には、少なくともその実践のうちにはなく、気に入らなければ一律破壊である。偶像崇拝反対。美術品だろうと破壊、破壊、破壊。)

 エープリルフールネタにアレンジすることも考えたネタですが、夏枯れなので、生のまま使ってみました。

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