フィールドワーク

 もしドラが何故読まれるか。
 今までドラッガーをまじめに読んだ人間が少ないからである。
 なぜ少ないか。
 経営者として労働者を動機付ける、なんて不要だったからである。
 何故不要だったか。
 2005年初頭にしっかり書いてます。

 時々昔のこともアピールしないと。当方のホームページもそれくらいは歴史が出来たということだ。読み返してショーペンハウエルの気持ちが分かることがある。「誰だ、こんなことが書ける奴は」。

 が、最近はルーチンに埋没してしまって、面白いものに出会ってないので発想が細っているのも事実。いや発想は相変わらず出ているんだろうが、無駄がなくなってしまってネタにならない、というのが正しいだろう。数年前なら真っ青になったであろう出来事も、あっさりと最短解決策を指示。関係部署に根回し。発覚した場合の理由付けも確立。後はぼーっとしておけばよい。
 そんなわけで今になっても異質なものを見ると、普通はないだろうな、という発想がコンスタントに出る。先日、学校説明会で遠くの進学校に行ってみた。フィールドワーク重視/問題を発見し考える力を育成、だそうだ。
 鳥の子用紙に発表形式にまとめたものをロビーに陳列していたが、突っ込みどころ満載だった。なに?大人気ない?そうだよ。知的生産に大人と子どもの区別はない。

 えー、磯のフィールドワークで、ヤドカリにボールペンのキャップを与えて、どの色を選ぶか見る、そうな。結論は「ヤドカリは色が見て分からない」。
 私はこういう馬鹿が嫌いじゃない。ただし一つ条件がつく。次の小咄をして笑ってくれることだ。

ある昆虫学者が蚤を訓練して、号令をかけると跳ぶようにしつけました。
さて、この昆虫学者、蚤が号令をどこで聞いているかを考えました。
そして仮説を立てました。
「蚤は前足の付け根に耳を持っているに違いない」
そこでその蚤の前足を取って号令をかけると蚤は跳びました。
そこで仮説を修正しました。
「蚤は中足の付け根に耳を持っているに違いない」
中足を取って実験しました。もちろん蚤は跳びました。
更に仮説を修正しました。
「蚤は後ろ足の付け根に耳を持っているに違いない」
後ろ足を取りました。今度は蚤は飛びませんでした。
昆虫学者はレポートを書きました。
「蚤は後ろ足を取るとつんぼになる。」
 もちろんヤドカリにボールペンのキャップを与えたこと自体にも問題はある。
「なぜ保護色を考えに入れない」
 僕なら「保護色ってことは考えなかった?」と聞くだろうね。生徒は「でも目が見えないと思うから」と答えてくれればしめたもの。保護色と言いながら色でなくて実は肌触りで住処にする貝殻を見つけている、という仮説を立てて次は実験してみるかね。

教師「ヤドカリは色の判別がつかない。そうかもね。でも保護色ってのがあるだろ。
じゃあヤドカリは保護色を気にしていないのかなあ?」
生徒「確かにそうですよね。あれ、でも色が分からないから」
教師「よし、じゃあ簡単な実験をしてみよう。目隠しをしてみて?今から布を3枚渡す。違う色のものが1枚だけ混じっているからそれを当ててみて。」
生徒「目隠ししてできるわけない、、、あ、これかな。」
教師「正解。何で見てないのに色が分かったの?」
生徒「生地の手触りが違った。」
教師「だよね。じゃあヤドカリは貝を手触り、というより肌触りで選んでるんじゃないかな」
 まあ、実験方法として、極彩色にペイントした天然の貝と、保護色にペイントしたボールペンのキャップを比べてみるかね。あと砂を接着剤でくっつけたボールペンのキャップとか。ほら、広がるだろ。

 洋紙と和紙の違いをまとめている奴もいた。何々、中国で発明された紙が西洋と日本に伝わって・・・。なぜ「パピルス」が出てこない。今だからこそ「パピルス」。多分効率がいいので草からではなく木から紙を作るのが主流になったんだろうが、最近では環境問題に配慮してか、ケナフのように草から紙を作るやり方が考えられつつある。最初は草から作られていた紙が、木からになって、そして今、また草から作ることが考えられている。論旨展開として美しいじゃないか。結果はどうであれ学問の「美」をここで教えてやってもいいんじゃないか?
 しかしパピルスに言及しないとは、調査以前の問題じゃないか・・・と思ってよく見ると、書いた生徒、どうやら中国人ですね。それで紙の起源は中国、としてそれ以外を無視したのか。

 フィールドワークをやって、自分で考えさせて、というのは大事だし、あえて教師が口を挟まないと言うのも分かるけど、考え方を教えてやる、で研究のレベルを上げてやる、はいると思うなあ。
 生徒の側もユーモアがないかもしれない。(さっきの中国人と思しき人に「紙の起源はエジプトのパピルスだよ」というと切れちゃうかも、という懸念はある。これは怖いことだ。中国人は意地でも草から使った紙を使用しないかもしれない。すると林産資源が今後、破壊されまくる。)
 まあ性格的に問題はあるかもしれないが、私は優秀な指導教官にはなれそうだ。そんなわけで、無用な軋轢を生まないために、うちのガキにはここに通ってほしくないなあ、と思ったのでありました。海に近い学校が一番あっている、と思うんだがな。

 そーいや、何年か前、うちのガキつれてその学校の最寄り駅にいたんだわ。天候が悪化して雷が落ちてきた。うちのガキはうずくまって白衣観音経を唱えだした。そこの生徒がガキを見て「?」。説明した「雷よけのおまじないらしい。」「かわいーーー。」(うちのガキは10人が10人可愛いという程度のルックスである。)
 もう一言加えとくべきだっただろうか。「雷よけに白衣観音経を唱えるのはおばあちゃんから習ったそうで、おばあちゃんはそのまたおばあちゃんから教わったらしい。この地域では古い家系だから、ひょっとしてこのへんの民間伝承として根付いているものかもしれないよ。」
 埋立地の新設校に通う生徒は、地元本来の民俗に興味を持ってくれただろうか。

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