株主責任

 旧約聖書の中にこんな表現がある。
>>地は裂けに裂け、地はゆるぎにゆるぎ、地はよろめきによろめく。
>>地は酔いどれのように、ふらふら、ふらつき、仮小屋のように揺り動かされる。

 イスラエルはシリア・アフリカ断層上にあるとはいえ、マグニチュード7程度で「大地震」というところである。イザヤ書24章19節、20節のこの表現は大げさではないかと常々思っていた。

 ところが、最近、東京にいても有感地震のない日はない。東北地方はさぞやだろう、まさにこの状態になっている。そこで連想したのが
ゴルゴダで磔になったはずのイエス=キリストが東北に逃れた
という伝説。

 聖書にある地震の記述が、今の東北のような状態を指しているとするならば納得できる。
 チェルノブイリ、のときに言われた、ヨハネ黙示録にある「苦よもぎ」も、福島がヨモギの名産地であることを考えれば合点がいく。

 ということで、東北にキリスト教徒の巡礼を受け入れて世界の観光地にしてしまおう。

 これくらいしか復興策が浮かばないほどひどい状態である。
 ここなんかみると、福島市、郡山市も放射能の汚染がひどく「福島県」は「会津県」に名称変更することを考えたほうがいいのではないかというくらいである。少なくとも、六ヶ所村に続く放射性物質最終処分場は否応なく福島第一原発跡地になる。そして福島県には多分「福島第二放射性廃棄物埋設/処分センター」もできるだろう。(つまり、廃棄の方法がない以上、原子炉は設置されていたところに半永久的に放置するしかない、ということ。)東芝が処理案を提示したらしいが、廃棄物の受け入れ先があると仮定してのことだろう。

 要するに原子炉の廃棄物を処理する技術がないまま、原子炉の建設/運転を強行したのが悪いのであり、私が一番怒りを感じているのは「原子炉作った。いろいろゴミが出るけど後はよろしく」と知らん顔した連中である。そのDNAは現在の東京電力にしっかりと受け継がれているらしい。止められなかった原発を放棄するから、あとはよろしく、と民主党政権に言ったことからそれが伺える。だからそいつらへの怒りを含めて今の東電に怒りを感じてもいわれのないことだとは思わないでくれたまえ。

 プルトニウムの半減期を劇的に減らすことが不可能なことくらい、小学生でも分かる。当然原発を推進した人は分かっていたはずだ。
 それはね、ロケットで宇宙空間に捨てるとか(第2宇宙速度必須)、深海のプレートがもぐりこんでいるところに置くとか、やり方はあるよ。ただし処理に使うエネルギー量は原子炉がその寿命内で発電するエネルギー量では間に合わないと思うよ。
 本当はそういう現実をしっかり捉えて「どうするか」「そもそも原発を作るか作らないか」というところを議論しなければならなかったわけだ。その現実に対峙したくないものだから耐用年数が来た原子炉の廃棄を先送りして問題も先送りしていたところ、今回の地震に遭遇した、と。不運という意見もあるかもしれないが、地震なんていつかは起こるもの。起こってどうしようもなくなるまで先送りしてたんだから、同情の余地のない不運である。

 だから今度は目を背けてはいけない。原発周辺は今後数十年、住めなくなる。(政府首脳の発言に文句を言いたい住民の気持ちは分かるが、対峙することを拒んではいけない。)

 時々思うのだが、そろそろ「株式会社」という制度が時代に合わなくなっているんじゃないだろうか。
 原発事故の補償金があんまりたまっていない、という話だが、この「先送りしたことによって浮いたはずのお金」を貯めてなかったとまあ、そういうことだ。浮いたお金は利益として株主の配当に回ったり、役員報酬になったりした。役員の方は会社に不利益を与えたということで、やがて身ぐるみはがれることになるが、それを訴えるのが「株主」代表訴訟というのは何故なの?同じように当然積み立てておくべき資金を配当として受け取っていたのにである。なのに株主はなぜ一方的に被害者の側に立てるのか?原発の事故に備えて資金をプールしていかなければならないと利益処分案に反対したことがあったのか?もしあったとして、それが多数派を占めて、案が覆ったことがあったのか?

 東京電力は古い会社だから、今株を持っている人は、当初東京電力を設立するときに出資した初代の株主(上場が1951年だから出資はそれ以前)はそろそろお亡くなりになっているはずで、今の株主は直接東電に出資したわけではなく人づてに株を買っただけなわけである。当初の株主であれば東京電力の行なうことに対して責任を持っていたと思うが、今の株主はそんな気はなさそうだ。別にその人が株を買ったからといって東京電力の資本は1円たりとも増えてない。(公募増資を除く。)
 それだけならそういうルールだったというだけだが「株主」であることは「会社のオーナー」である。だから会社のやることに責任を負うはずである。したがって心情的には「東京電力の株主は責任を取れ」なのである。なのに株主は有限責任。責任は「株価が下がった」に限定される。
 いままで当然原子力発電所の防災/廃棄に費やす費用を配当として受け取ってきたにもかかわらずである。

 たしかに原発事故は外部不経済の部分が多い。が、その影響が巨大すぎる。でこれといって何も準備をせず、結局「国が何とかしてくれ」では、国のほうもいくら税金をとっても回らない。事故に限らず外部不経済を国がカバーする構造。これが近代国家の財政悪化につながっているという気はしている。

 リーマンショックもそうだが、技術が巨大化、関連がネットワーク化してどうにも動きが取れなくなった現代社会において、株式会社という責任免除装置によって生ずるモラルハザートが、国が穴埋めするしかない巨額の損失を生んでいる。
 とりあえずは言い切っておこう。これを防止するには、まず株主責任を確立させないと。あるいは何かあっても役員個人が自腹で賠償できるように、超高額な役員報酬を出すかね。任期中に原子炉事故が起こらなかったらラッキー。まるもうけ。まあ歴代役員に出すものは出させるような制度改革はいるなあ。なに?話が違うってか?
 文句を言うな、こちらは「国民責任」による増税が待っているんだ。

 せめて株主に奉加帳を回してそのお金で粒子加速器を設置。放射性物質を無理やり破壊する。こんな放射能除去作業もやってみたら?(多分、原発推進時、放射性廃棄物の処分法としてイメージされていたのはこんなものだろう。当初の予定を実施するという、それだけのことだ。そのときに出るだろう大量の放射線と熱はどうなるのだろう)そのときに使う電気代は・・・知らん。

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