私は小説家の才能がない。いや、企業小説でも書こうかとタイトルを考えたんだわ。結果出てきたのが「対決!富士の御前対鎌倉の老人」、これだけでセンスがないのが分かる。社会問題ネタ、目次へ
もっともこのセンスのなさ卑下する必要はなさそうだ。福島原発事故対応で「対決!マックスウェルの悪魔対シュレーディンガーの猫」をやっているようだから。なぜ2ヶ月もメルトダウンに気がつかなかったか。冷却水を喪失して、電源もなくなった。当然メルトダウンしててもおかしくない、とニュートン力学的因果律からメルトダウンを疑った私を含む外部の人間に対して、原子力に詳しい東京電力の皆さんは、量子力学の立場から反論しているようだ。
観測していない場合、量子の状態は不定であり、観測して初めて決定する。炉心は核物質であり、核分裂は量子論のレベルでの現象であることは自明。したがって特定の放射性物質が実際にどうなっているかについては、あえて観測しないことによって、最悪の事態となってしまうのを避けるという判断を行った。ただし、水素爆発についてはニュートン力学の範疇で説明しうることであり、かつ既に観測されたことであるため、温度を下げるという作業については、観測によって事態を悪化させないと判断しうるため、実行した。この調子で行くと、被爆ということについても、観測しなければ発生しているかどうか不定であるため、あえて観測しないことが推奨されるかもしれない。
すさまじく観念論的な発想だが、この理屈、スケールを量子レベルまで小さくするとどうやら成立してしまうらしいのだ。
しかし直感に反するのは物理学者たちも同じで、ミクロと現実を繋いだたとえ話を作って自らその居心地の悪さを説明してくれている。これが「シュレーディンガーの猫」というらしい。正確さをやや犠牲にして自分なりに説明すると。
という感じかな。ミクロの原子の崩壊と、直感の通用する猫の生死の問題を装置によって等置することにより、ミクロの世界の理論の居心地の悪さを説明したということだ。
- ある特定の原子が崩壊すると、それを検知して猫が死ぬ仕組みをつくる。
- その原子が崩壊しているかどうかは、観測したときに決まるのが量子の世界での法則。(つまり崩壊するという状態と崩壊しない状態は観測するまで決まらない。)
- 猫を観測すると、死んでいるか生きているかで、原子が崩壊したかどうか確認することが出来るが、これは観測して初めてわかることなので、観測するまでは猫は生きている状態でもあり死んでいる状態でもある。どちらでもない。
ただし、この居心地の悪さを受け入れるとこういうことになる。量子論的に言えば、現実を観測しないことは、問題の先送りではなく、猫が生きているか死んでいるかを確定しないための手段なのである。ようするに、観測をしないことによって、あるいは情報を出さないことによって、われわれは生死不明の猫として扱われてしまっているのだ。その間、死んだとはいえないから、東京電力は(政府機関もだが)、原子の崩壊で、つまり放射線で、人が死んだとは「物理学的に」確定させずに済む。だから責任は取らない。もし死んだとすれば、それは観測したからだ、ということになる。
彼らがそれなりに原子力の原理を理解し、情報隠しをしていないのだとすれば、彼らの目的はこれに違いない。それ以外考えられない。うーん。原典が分からないがパタリロ!にこんなのがあった。
「おまえが覗くから、おまえの大切な人が死んだのだ」
妖怪によるトリックだが、量子論的には成り立ってしまって、人が死んだのが確定したのは観測者のせいだということになる。
相手が原子力だけに、この論理は否定できないことになる。原子炉を東京電力に任せたばっかりに、被害者はこういうことを言われることになるのだろう。