JR東日本などの例外はあったが、諸外国に驚嘆されるような公衆道徳と思いやりを見せて、東日本大震災当日を乗り切った日本人。さすがは世界一マナーの良いサポーターとしてワールドカップで称えられただけのことはある。社会問題ネタ、目次へ
(この日本民族の中に他民族が入ると、ここぞとばかり自己中心的な人として浮いてしまう。関東大震災のとき「火をつけた」というデマが広まった理由も想像できるような気がした。)しかしその後、少々事情が変わってきたようだ。車を運転していると分かるが「流れに乗らなくなった」。急に止まって用を足す。角を曲がったところでいきなり停車。びっくりしたのは交差点の横断歩道の前で停車して人をおろす奴がいたこと。ちなみに交差点の内側である。停まるにしても普通は渡りきって、しばらく行ってからにしないか。こんなところで急に停まられても後ろから走っていた当方はどうすればよい。
そういうふうに「流れ」がなくなったせいか、やたらこまごまと渋滞するようになった。実に不満である。が、その人たちは多分「非常事態であれば多少のことは許される」と思うようになってしまったんだろうな。まあリーマンショック後「100年に一度の不況」という言い回しでなんでも許されると経営者と言われる層が思い込んだようなもんだ。
確かに地震+津波+原発というリーマンショックなんて児戯に思えるような大問題が沸き起こっている。なんでも非常事態と思っても仕方ない。確かに車の運転は一般的な例としては不適当かもしれない。なにしろガソリンスタンドに周囲の迷惑考えず並び続けたという通過儀礼があったからな。ならばそれに換えて電池やトイレットペーパーの買占めとかを考えてくれ。多分本人は非常事態のつもりなんだろう。でも、そんなに使うか?公衆道徳的に言えば買占めをすると必要な人に物が渡らなくなるので、こういうときだからこそ必要最小限に・・・アタマでは分かっていると思う。でも、本人にしてみれば「非常事態だから」許されるべきだろう、と思っているんだろうな。
というわけで、日本人の美徳は「マイ非常事態」とでも名づけるべき意識で覆われるようになってきた。もともと言葉にだまされやすい民族だからなあ。言葉にだまされる、の実例として余談を。
久しぶりに聞いたよ。「システムの全体が分かっている人間がいない」。これ使っちゃ駄目よ。存在するわけのない「システムの全体が分かっている人間」というのがあたかも可能なように聞こえる。だからそういう人がいれば問題が起こってもなんとかなるような気になってしまう。本当は「部分変更の全体の影響が分かる術がなくなった」というのが問題なのに、「じゃあ分かる人(スーパーマン)がいればいい」という等値の問題に言い換えて、なんとなく対応策を考え付いたような気になっている。ここで言葉にだまされている。
本来であれば、コンピュータシステムはすでに一人の人間が全体を理解できる閾値を超えてしまっているという現状認識から始めないといけない。では全体を把握する人間がいなくても、生じた問題点をどう解決するか、どういう問題が生じるかをどうやって予測するか、の仕組みを考えなければならない。そういうこと。
類似の表現で10年位前良く使われたのが「中堅SE」。一つの単語にいろいろな機能をおっかぶせることが出来るので、もしいるととても便利な存在。せめて「エクゼクティブSE」と言ってくれないかなあ。だったらなろうかと手を上げる人がいたかもしれないのに。「中堅」と言ったところで待遇/評価がそれなり、ということになってしまうので、誰もそんな便利屋に進んでなろうとはしなかった。能力があるので自然とやらされた、少数の例外はもちろんいるが。まあ、「マイ非常事態」というのは昔からある。それへの甘えが周囲の眉をひそめさせるような行動に繋がることはよくある。でも「普通は」あとで反省し、まあ徐々に良くなってくるものだ。しかし「マイ非常事態」の優先度が高くなりすぎているので問題が無視できなくなってきた。被災地のかたがたはまだ許されるかもしれない。確かに生き延びられるかどうか、の非常事態だろう。
ところが、内閣不信任案という「マイ非常事態」への対処を、今の国家の舵をどうとるか、の「非常事態」よりもはるかに上に持ってきた奴が日本で一番えらそうな顔をしている。株主総会という「マイ非常事態」の方が、福島原発の汚染水をどうするかという「非常事態」より上に来るのを当然視している奴もいる。(東電の株主は責任者なんだから、総会は出席者全員で「ごめんなさい」を言い合う場になるはずなのだが。)こんなのをみていれば節度を持って行動するのが馬鹿らしくなるのが普通だろう。僕だってそうだ。人にはない才を持って生まれたというプライドが、そこまで落ちることを拒んでいるがな。だから少々傲慢になっていると思う。しかし、自分の都合でいきなり車を止めて通行の邪魔をするような傲慢さにはつなげない。これだけは断言できる。