ゆっとりーーーの教育

 ゆとり教育は結局私立の進学校を活性化させ、教育の格差拡大をもたらせた。高度な教育を禁止しなかったために私立は引き続き詰め込み教育を続けた。ゆとり教育に不安を持つ親のために新設される学校も多く、順調に合格者数を伸ばしてきた。公立の教育のみを受けてきた人間は、そういう人と難関大学受験で戦っても勝負にならない。というわけで、高い学費を払えない家の子どもさん方は淘汰されることになった。通学圏内に進学校がなければそもそもスタートラインが違う。
 なわけで、我が家も泣く泣く高い学費を払わされているわけである。でうちのガキも先生方の「これをやったらいいだろう」という課題に取り組んでいる。
 学校としてコンピュータ教育に力を入れているらしい。で、入学と同時にネットブックを購入となり、いろいろ「やれ」と言われている。が、情けないほどフォローが無いのよねぇ。いやホームページ作成の課題ってのがあって、うちのガキは「学校の校舎について書く」班に入ったそうなんだわ。当然ガキだからたいしたことは書けない。仕方なく(面白がって)ネタを探してきてやった。法務局に行って謄本を上げてきたのだ。学校がどこからいくら借りて校舎を新築したかまで分かるのはもちろん、ゴミ置き場にいたるまで全ての建物の図面と名称、面積、落成日が記載されている。あれ、全然反映してませんな。先生はなんて言ってた?なんにも。
 あれ、ブラインドタッチできないの?教えてくれてないよ。
 学習面においてもしかり。外部模試やれって?いいんじゃない?で何準備しろっていわれてる?問題集を3冊やりましょうって。どの問題集?なんにも言われなかった。

 これは放任と言わないか?これが最高の学力レベルを備えた生徒相手であればなんとでもなる。自ら調べて自ら考えるだろう。が、正直に言うと、中途半端に受験戦争で負けなかった(第一志望でここに来ましたという人がいないそうな)元小学生の集合体の学校である。真面目な奴は言うことを聞くだろうが、フォローは絶対に必要なレベルである。なのにその辺があきれるほどダメだ。

 雰囲気的に

といった発想でやらせているように見える。

 第一項の「思うようにいかない」は、当方の勝手な推測であるが、何か言いえているような気がしている。偏差値が同程度の学校と一流大学合格者数を比較した結果、客観的に少ない!とデータを出して対策を練るなら、もう少しやりようがあるだろう。
 そういえばアウトソーシング多いんだよな。模試はいいとして補習を進学塾にアウトソーシングとは恐れ入った。
 そういや知り合いが出た専門学校の面白い例があった。卒業単位として「資格を10個取る」というのがあったそうな。学生価値を高めるための分かりやすいアウトソーシングだ。どうしても10個揃わなかった彼の友人は「B級ライセンス」を取る講習に行ったそうだ。

 僕でももう少しフォローしてやれるぞ。ほぼ代筆した夏休みの自由研究レポートを見て欲しい。生徒を混乱に陥れるけど、絶対みんなが拍手するような充実感ある結果に持っていける。それくらいの自信はある。しかも「ネットでデータを集め、パソコンで集計し、自分の頭で考える」と分かりやすい分業で、自分の頭で考えるうち教室の議論が白熱し、今社会で問題となっていることの思いもよらなかった解釈が導き出される。もちろんジャーナリズムに出てくる意見に混じっても全く見劣りしないレベルのものだ。
 そういえば姉が音楽の先生をやっていたとき、生徒がやりたいという曲があったので、生徒向けに編曲して、かなり無理してやらせたことがあったそうな。どうか?という出来だと思うけど、終わった瞬間、生徒全員が自分たちの演奏に拍手したそうな。
 あんたら先生だろ。それなりの教育受けているんだろ。中高一貫進学校なんだろ。だったら田舎中学の新米音楽教師程度のことはやってくれ。エコロジカルが丘市の教育委員長までは期待してないから。

 ん?じゃあお前もう少ししっかりガキを教育して実例を示せってか?うーん、あれは頭の使い方を教える前に言い訳を覚えちゃったからなあ。私の言うこと10分聞いていれば全然違うんだが。個人的には言い訳できる自由がうらやましい。
 だから1分以内で終わることならしっかり教えている。かなり前だけどヴィヴァルディの調和と幻想第六番イ短調、第2楽章を弾いていて、リズムがとれないとこぼしていたんだわ。音を聞いて一言だけアドバイス。「鏡の前で自分を指揮しながら歌え。」その日からテンポが見違えて安定するようになった。今年はドッペルコンチェルト、ヘロヘロだったので「お前、その曲(音名で)歌ってないじゃないか。残り3日、歌ってみな。」3日待たずに出来上がった。
 下のガキが最初のエレクトーンアンサンブルの発表会で悩んでいたときも一発でカタがついたなあ。前ノリから後ノリに代わるところでまごついていたので、間奏部分の裏拍でこぶしを上げて「おう!」と鬨の声を上げさせたのだ。一発で後ノリが出来るようになった。問題は本番でもやってしまったことである。もちろん楽譜に無い。
 音楽なら一言で済むこともある。感覚を刺激してやればいいからね。そしてフォローは不要だ。なぜなら「自分の耳が自分の演奏を聞くというリアルタイムのフィードバックが働く」から。
 ところが勉強はそうは行かない。説明に最低でも参考書を読み込む程度の時間は必要だし、身についたかどうかフォローがいるということだ。

 で、そのフォローを怠る先生方の思考回路がナゾ。が最近ようやく分かった。「ゆとりの教育」とは「教育する側」が「ゆとり(=手抜き)」を行うことである。どうやらそんな風に捉えているっぽいのだ。まあ教え方を考える前に言い訳を覚えちゃったんだろうな。
 「生徒の自主性を尊重して」。

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